第121話 会うべきじゃなかった

「キサラさん、なんの話をしてたんですか?」

 2階に上がってくるキサラに私は尋ねた。

 シャワーを浴びて何か飲みたくなりキッチンに向かった私は翔君とキサラの話をちょっとだけ聞いた。

 立ち聞きしようとしたわけじゃないよ、聞こえちゃったんだから仕方ない。

 そして慌てて2階に戻ると余計な事をしないように、言わない様に釘を刺しておこうと彼女を待っていた。


「ありゃあ、マドカちゃん~~うふふ、さん付けなんてぇ他人行儀な~~」

 とろんとした顔で目で私を見ながら、酔ってるかの様にそう言った。


「……私の前で酔った振りはいいですから」


「えーー酔ってるわよ?」


「キサラさんがあれぐらいで酔うわけ無いですよね?」

 

「えーー、うーーん、最近はそうでもにゃいのよ? 年かにゃ?」


「嘘ばっかり……天ちゃんの事はお願いしましたけど、彼の事は、彼と私の事はほっといて欲しいんですけど」


「あらあ、何? 立ち聞きしてたの? 駄目よ~~そんなはしたない事しちゃ、でもねえ折角人間嫌いのマドカちゃんがあんな理由があるにせよ、男の子に興味を抱いたんだから応援しなくちゃでしょ?」


「だからそれが余計なお世話って言ってるんです!」


「ねえねえ、彼のどこが好きなの?」

 全く聞いていない……。

 彼女は昔からこうやってグイグイと人の心の中に土足で踏み込んでくる。

 こういう所は本当に嫌だった……でも……でも……ほんの少しだけ安心してしまう自分がいる。

 嫌いなのに嫌いになれない人。


「べ、別に好きとかそう言うんじゃ無いです!」


「えーーでもさあ、彼の為に声の仕事までしてさあ、私に連絡してきてさあ」


「あ、あれは仕事じゃないです!」


「へえ……まあいいんじゃない……どんな理由があるにせよマドカの心が動いたんだから」

 この視線、昔と変わらない……この人は人の心を読む。


「動いたって……」


「ふふふ、数千人のファンの前でようやく動いたのに、まさかたった一人で貴女をここまで動かすなんて、彼にどんな力があるか凄く興味があったのよねえ、まさかマドカから私に連絡が来るなんて夢にも思わなかったわ」

 

「別に直接は……」


「嬉しいのよ、私もこれで決める事が出来るわ」

 この人は私が唯一怖いと思ってる人……だから出来る事なら会いたく無かった。

 でも、翔くんの為に、そして天ちゃんの為に彼女と会わなければいけなかった。

 

「決める?」


「ふふふ、なーーいしょ、さて私もお風呂に入って寝るわ、明日から天ちゃんとラブラブお勉強だし」

 さっきまでの真剣な顔はどこへやら、ニヘラと笑い今にもヨダレを垂らさんばかりの顔付きに変わった。

 本当にこの人は……以前と変わらない……どれが本当の彼女の姿なのか全くわからない


「どんな勉強をするんだか……」


「書斎とリビングで別々に教えるのよね?」


「まあ集中するにはそうした方がって、本当に駄目ですよ?!」


「あらあ、大丈夫よ中学生には手は出さないから」


「はあ……全くこれで理科三類だなんて」


「ああ、知らないのか、私今別の大学にいるの、医学部辞めちゃったのよね」


「へ? だ、だって」

 

「ちょっとねえ、やりたい事が出来たから」


「ええええ?!」


 アイドル時代、私は彼女に勉強を教わっていた。

 私の学習の基礎がしっかりしていたのは彼女のおかげだ。

 だからたった数ヶ月の死に物狂いの努力であの名門に入れたのだ。


 当時から頭が良くて、大学に行きながらアイドル活動をしていた。

 要領が良く面倒見がよく、そして女の子が大好きという。


 誰しもが彼女に憧れ……そして恋をしてしまう。

 当時小学生だった私だけ彼女の毒牙には引っ掛からなかったけど……。


「心配しなくても大丈夫よ、天ちゃんの事は任せておいて」


「いえ……まあ」

 私は愕然としていた。

 キサラさんをここに呼んだ理由は大きく二つあったからだ。

 一つは天ちゃんの事、彼女の受験勉強と、キサラさんのファンとの事でやる気を出して貰う事。


 そしてもう一つは、翔くんに医学という選択もあると知って欲しかったから。

 彼の知識、そして興味は陸上よりも寧ろそっちにあるのでは? 私はそう思っていた。

 勿論他にもあるだろう、彼は今後色んな道から何かを選ぶ事になる。私はその道を彼に提示する役目、彼の手を引き共に進む事が私の最大の目的。


「ふーーん、そうかぁ」

 考え込む私を見つめニヘラと笑う。


「な、何ですか?」


「そっかそっか、あははは、でもそれじゃまるでお母さんだね、あははは、マドカお母さん」


「おか……な、なにいってるんです?」

 本当にこの人はいつも唐突に変な事を言い出す。人の内側を見透かした様に……。

 

 そして──いつもこうする……。

 キサラさんは突然私を抱き締めた。


「辛くない? もっと自分の感情に素直になった方が良いよ」


「な、何を突然、いいから、は、離して……」


「よしよし」

 小学生の頃の私とは違う、私は今、ちゃんと自分の意志で、ちゃんと考えて行動している。


「や、やめて……お酒臭い」


「あら、ごめんなさい」

 

「……私は彼の為に……そう決めたの……彼から全て奪ってしまったのだから、だから私は何もいらない……彼から何かを求める事はしない」


「え~~まあ、それにしては色々楽しんでるじゃない?」


「……っ」


「あはははは、相変わらず思い込みが激しいというか、なんというか」

 キサラは呆れた顔で首を振る。


「うううう」


「ああやって誘惑してるのは女を教えてるって事? まあ、あの子はお子ちゃまだからねえ、でもマドカもお子ちゃまだからねえ、お子ちゃまの誘惑ってなんか見てて恥ずかしいっていうか、痛々しいっていうか~~」

 

「ううっっっ、うるさい!!」

 もうやだ、やっぱりこの人嫌い!


「あーーー怒っちゃった」

 私はもういい! と、彼女に背を向け部屋に向かう。

 いつもこうだ、この人はこうやって人をおちょくる。

 解散の時も……こうだった。


 あの時だってはぐらかさないで……ちゃんとしてくれれば……。


 やはりもう会うべきじゃなかったのかも知れない。


 私は彼女と再会した事を、少しだけ後悔していた。

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