赤い糸は朱殷色

 騒がしい教室にチャイムと少し遅れてドアの開く音が響いた。


「おーい。お前ら席つけー」


 担任の高橋先生の声にまだおしゃべりをしていたいくつかのグループが解散していく。

 その間に教壇に立った先生は教室を一見し出席簿に視線を落とした。


鬼塚おにづかのヤツがいないと」


 僕は窓際の一番後方の席から斜前を見た。1つだけポツリと空いた席。

 そこからはまるで秋が訪れ葉の落ちた枯れ木のような寂しさを感じた。


「ったくアイツは...」


 すると先生の呆れたような声を遮り教室にドアの開く音が響いた。

 僕や先生を含め教室のほとんどの視線を浴びながら入って来たのは、担ぐように鞄を持ちブレザーの下からパーカーを着た女子生徒。その人は前髪の片方をいくつかのシンプルなヘアピンで留めたポニーテールにまだ眠そうな気の強さを感じる目をしていた。

 彼女は鬼塚おにづか あかり。いつものように朝は遅れて来るしたまに授業もサボるけど所謂、不良少女という訳じゃない。成績も中ぐらいだし問題行動を起こすこともないし。でもあまり特定の誰かと親しくしてるのはみないかも。一匹狼ってやつだ。だけどそれは個人の自由だしだからどうこうって訳じゃないんだけど。とりあえず彼女はそんな人。

 そして鬼塚さんは大きな欠伸をしながらドアを閉める為に止めた足を動かし始めた。


「今日も遅刻だぞ。鬼塚」

「すいませーん」


 ただの作業として動かされた口から出てきたその言葉からは当然ながら謝罪の意は欠片も感じられなかった。だけど先生は特にそれについて咎めることはせず再び出席簿に視線を落とす。


「まぁ、来るだけマシだが――たまには遅刻せず来いよ」

「はーい」


 気の抜けた声が教室へだらしなく響く。多分だけど話は聞いてない。

 そんな彼女は僕の斜前の席まで来ると鞄を投げるように机へ置き、雑に椅子を引いて倒れるように座った。どうやら枯れ木には桜が咲いたようだ。

 すると何の前触れもなく突然、彼女の顔が僕の方へ(視線でも感じたのだろうか?)。

 不意に合う目。気まずさと気恥ずかしさと焦り...。一気に湧き上がった様々な感情はまるでミキサーで掻き混ぜられたように区別がつかなくなり、ただただ訳の分からない気持ちがそこでは渦巻いていた。


「なに?」


 そんな僕に彼女は端的な一言を口にした。その声が低めなのは怒っている訳じゃなくてまだ眠い所為だろう(そうだと信じたい)。


「あの、いや...別に、ごめん」


 予想だにしていない事にすっかり動揺丸出し。恥ずかしい。そんな渦から1人這い上がって来たその感情を感じながら僕は顔を逸らした。


「あっそ」


 視界の外から聞こえた彼女の素っ気ない声。

 少しだけ速まる心臓を胸に僕は朝のホームルームが終わるまで窓の外を眺めていた。時折、そこに映っていた彼女を見ていたのは内緒だが。


 実を言うと今日という日は僕にとって特別な日。このクラス――いや学校のみんなにとっては普通の何てことない日だろうけど(もしかしたらそうじゃない人もいるかもしれないが)僕にとっては祝日のように色違いで誕生日のように印の付いた日だった。

 なんたって今日僕は心に秘めた想いを伝えるのだから...。


 古典的な方法だけど昨日の放課後に彼女の靴箱へ手紙を入れておいた。


『12月1日の放課後に体育館裏に来てください』


 名前を書かなかったのは察してほしい。場所もベタだけどこの学校の構造上あの場所は良い感じなんだ。

 とにかく朝からそのことで頭は一杯。だから授業にも友達との話にも身が入らなかった。

 そんな一日の昼休み後、丁度5限目の教科書をロッカーから取り出し机に置いた時。教科書の上へ雑に折られた紙が1枚、投げ捨てるように飛んできた。誰だろうと顔を上げるとポケットに両手を入れた鬼塚さんと目が合った。


「お、鬼塚さん!?」


 予想外の相手に包み隠さず感情を表に出してしまった。思わず大きな声を出してしまったから周りを確認してみたけどどうやら大丈夫そう。

 そしてそんな僕とは相反し鬼塚さんは何も言わずに机の前から立ち去り教室を出て行った。

 その後ろ姿がドアから消えた後、僕は視線をあの紙へ。まだよく分からなかったがとりあえず紙を手に取り中を見てみる。


『変更 体育館裏→幽霊ビル 17時半』


 そこに書かれていたのはそれだけ。でもそれだけで十分通じる。

 だけど1つの疑問が僕の中に浮かび上がった。


「何で僕があの紙を入れたって知ってるの?」


 入れる時、周りには誰も居ないことを確認したのに。

 でもこうやってわざわざ場所の変更をしてきたってことは何か用事でもあるんだろうか? どちらにしても呼び出したのは僕だしちゃんと従わないと。にしても直接じゃなくて何でわざわざ手紙で伝えたんだろうか?

 さっきから首を傾げる度に心の中に建てられた疑問の塔が一段ずつ高くなっていくのを感じた。このままじゃ白い雲に触れてしまいそう。そんなことを考えながら僕は手紙をポケットに仕舞った。

 それにしてもこういう事務的な手紙でも彼女から貰えたというだけで嬉しいのはきっとこの気持ちが理由なのんだろうか。バカと言えばそうだけど僕はこんな些細な喜びでさえ大切にしたい。胸に灯る温かな淡い光を感じながら1人静かにそう思った。


                * * * * *


 結局何事にも全然集中できないまま学校が終わり放課後。部活にも入っていない僕は約束の時間までを潰す為に本屋に来ていた。

 漫画とか小説とかを回った後は適当に店内を見て回る。筋トレとかあの女優の初写真集とか戦国武将の一生だとか。色々な本を見ては通り過ぎていく。

 だけどある1冊の本が僕の足を止めた。タイトルは『吸血鬼と人間』。僕はその本を手に取るとパラパラと捲り流すように見ていった。

 それは(簡単に見た限りだけど)ずっと昔の――まだこの世界で人間と吸血鬼がそれなりに交流をしながら暮らしていた時のことやあの教科書にも載ってる人間と吸血鬼の大きな戦争。そして現代の人間と人に紛れ暮らす吸血鬼の生き残りについてが書かれていた。

 目次にはあの戦争は止められたのか、これから身を顰める吸血鬼を含めどう接していくべきかなどがあってきっと色々と著者の考えとかが書かれているんだろう。

 僕はそれぐらいで本を閉じ棚に戻した。この著者がどう思ってるかはちゃんと読んでないから分からないけど、世界中の人々の大半は吸血鬼のことを良く思ってないと言うことは高校生の僕でも分かる。

 多分それは吸血鬼が人の血を吸う事と―中には食べる者もいたとか―歴史に残る程の戦争は吸血鬼が人間を(食料として)支配しようとしたことで起きたという事。そして吸血鬼は人間をひどく見下していたということが大きく関係してるんだと思う。

 実際、僕は吸血鬼は悪いとまではいかなくともあまり良い種族ではないという風に教わった。でも(教わったことが本当だと仮定した場合の)事実だけを見れば吸血鬼に対してあまり良い印象は持てないのは確か。

 でも僕は実際に吸血鬼と会ったことはないから彼らが本当にそういう存在なのかは分からない。って確か最近の授業でも思ったっけ。

 それから20分程ぐらい経った後。そこまで大きくな本屋だということもありまだ消費し切れなかった時間を手に余らせたまま僕は店を出た。

 どうしようか、そう思いながら適当に足を進めていると、ふと自販機が目に入った。丁度、喉が渇いていた僕はお茶を買いそのまま近くのベンチへ。

 特にやることもなく焦る必要は無かった僕はゆっくりとお茶を一口飲み、ポケットからスマホを取り出して視線を落とす。

 そしてSNSなんかを色々と見ていたらあるニュースが目に止まった。


「街中で暴れていた男を逮捕。後の検査で吸血鬼と判明」


 この手のニュースはたまに流れてくる。政治家の汚職事件より少し少ないくらいだ。

 現代の吸血鬼は、身を顰め人に紛れているかこうやって事件を起こすかの大体2択。でも当然ながらこういった悪い方が大々的に取り上げられるから吸血鬼関連のニュースは大抵悪い事だ。だから吸血鬼の印象はより悪い方へ傾くのかも。

 でも現に僕も心のどこかでは、また吸血鬼かと思ってしまっていた。

 それにしても最近授業で吸血鬼との歴史をやったせいか今日はやけに吸血鬼という単語が目に止まる。まぁ別にだからと言ってどうという訳でもないのだけど。

 僕はそれからも小説なら読み飛ばされ映画ならカットされるような時間を過ごし、約束の時間に約束の場所へと向かった。


              * * * * *


「――にしても何でここなんだろう」


 自分でも少し声が震えてるのが分かる。薄暗さの中、見上げていた僕の瞳には時代に忘れられたようなすっかり廃れたビルが不気味に映っていた。

 周りは森という程ではないが木々が取り囲んでおりそれが更に不気味さを増幅させている。


「わっ!」


 その雰囲気で既にお化け屋敷に入る前のような気持ちになっていると突然、カラスの鳴き声と共に飛び立つ音が僕を怖がらせる為と言わんばかりに響いた。

 もしカラスがわざとそうしたのなら今頃ご満悦だろう。やられたこっちはたまったもんじゃない。


「なんだカラスかぁ。――早く入ろう」


 僕は更に速く動く心臓を胸に感じながらその廃ビルへ足を進めた。


「カラスって意外と大きいから怖いんだよなぁ。あと結構ハッキリ鳴くし」


 1人でそんなことを呟きながら僕は廃ビルの中へ。

 ただでさえ外は薄暗いのにビル内は余計に暗い。


「幽霊ビル...」


 この廃ビルは僕の学校ではそこそこ有名で今まで数えきれない噂―ほぼほぼ嘘だと思うけど―が生徒達の間で語られた。そしてある時から幽霊ビルとそう呼ばれるようになった。


「怖いのは苦手なんだよなぁ」


 肝試しはもちろんのことお化け屋敷にすら入りたくない(ホラー映画やホラーゲームは顔を背けがちだけどギリ見れる)僕が今の状況にため息をつくのは仕方ないことだろう。

 若干、気分が落ち込んでいた僕はふと重要な事を思い出した。


「あっ。そういえばあの紙に...」


 ポケットから鬼塚さんから貰ったあの紙を取り出す。


「やっぱりここのどこにいるかは書いてないや」


 そこには幽霊ビルとは書かれていたものの何階のどの部屋にいるかは書いてなかった。


「えぇー。どうしよう。1階から順に確認していくしかないのかな?」


 この場所を歩いて回るなんて想像するだけで嫌だ。

 眉間に皺を寄せた僕は近くにあった地図の前まで足を進める。


「3階建てか。――んー。一回だけ当てずっぽうで行ってみようかな」


 少しの間、地図とにらめっこをした後に僕は適当に場所を決めた。


「それじゃあ2階の209にしよう」


 そうと決まると早速、階段へ向かい2階を目指した。

 1段1段階段を上がるテンポのいい足音だけが響く中、まだ鬼塚さんが来ていない可能性について考えるのを忘れていたということが頭を過り足が止まる。

 だけどまずはと思いすぐにまた上り始めた。最悪、LINEをすればいいわけだし(でもその為にはまずクラスLINEグループから友達登録しないといけないわけだが)。

 そして思ったより怖さはないまま2階に着くと地図を思い出しながら209へと向かった。

 これで彼女がいたらきっと成功する。そんなおみくじのようなことを考えながら廊下を歩き、やっと209に着いた。


「ここだ」


 ドアは無く常時解放状態。僕はあまり期待はせず―だってこのビルには沢山部屋があったから―軽い気持ちで部屋を覗いた。

 片側に雑に寄せられ積まれたデスクや何やらに割れたりひびが入った窓。

 木漏れ日のように木々の隙間から差し込んだ夕日が更に窓からこの部屋に入り込み微弱ながらもこの空間に光を与えていた。

 薄暗くぱっと見では分からなかったが入り口から丁度正面のデスクには人影がまるで夕日を避け暗闇に紛れるように座っていた。顔は窓外を向いている――気がする。


「あっ、居た」


 あまり期待していなかった分、不意を突かれた気分で僕は気が付けば心の声を口から出していた。顔や容姿はハッキリと見えなかったが他に人がいるとは思ってなかった僕はその人影を自動的に鬼塚さんとして認識していた。

 その声にその人影は僕の方を見遣る。


「――何してんの? 入って来たら?」


 その言葉に、入り口の前で立ちっぱなしになっていた僕は―居ると思って選んだけどまさか本当に居るとは思ってなくて―我に返った。

 そして微かに夕焼けに染められたその部屋へ僕は足を踏み入れ彼女の元まで足音を響かせる。僕の足が止まると彼女はデスクから降り目の前まで歩いて来た。

 そんな彼女を仏のように背後から照らす夕日。そのおかげで見えた彼女の姿は学校で会った時と同じだった。


「それで――何?」

「え?」

「いや、場所変更したのはアタシだけど呼び出したのはそっちじゃん」


 そう言えばそうだった。正直、ちょっと忘れていた。

 でも自分のしようとしていたことを思い出すと急に緊張がBPMを上げた鼓動に乗って体中を駆け巡り始めた。鼓動の1回1回が頭の先からつま先まで響き窮地に立たされたように呼吸が浅くなる。


「――あ、あの、その...」


 自分でも驚くほどに頭は真っ白で口は砂漠みたいに乾いていた。僕は切り出すべき話を先延ばしにするように鞄からお茶を取り出して一口、二口。その間も鬼塚さんは黙って待っていた。

 あまり待たせるのも悪い。依然、緊張は止まることを知らなかったが徐々に現れ始めた罪悪感が口を動かし始める。


「じ、実は。あの――前から鬼塚さんのことが、気になってて...。だから、その――」


 僕は大きく息を吸いながら空気と共に勇気を体に取り込んだ。もうどうにでもなれ。若干投げやりな気持ちで覚悟を決めた。


「好きです!僕と付き合って下さい!」


 取り込み振り絞った勇気で押し上げた言葉を口にしながら、僕は頭を下げ片手を前に出した。謝罪をするように深く頭を下げたのは誠意の表れか彼女の顔を見ながら答えを待つのが怖い弱さか。多分、後者だ(もちろん前者が無い訳じゃないから8対2といったところだろう)。

 僕の言葉が消えてしまうと、緊張がひどく絡みついた僕以外はまるで世界の音量をゼロにしてしまったかのように静まり返った。そんな空間では心臓の音のみならず心の声すら漏れてしまいそうで心配になる。

 もしかしたらもう彼女は目の前から去ってしまったのかもしれない。そんな不安さえ湧き上がる静けさの中、僕はただ返事を待った。どこか期待しながらも緊張し宝くじの番号を確認する時と似た気持ちを抱えて(正確に言えばそこへ更に緊張を追加させた気持ちだが。何しろその緊張で少しばかり気分が悪かったのだから)。

 だけど緊張で時間の流れをまともに感じられなかったおかげで―と言うべきか所為と言うべきか―短いか長いか分からない過ぎた時間の後、その時はちゃんと来た。


「アタシさ...。実は――吸血鬼なんだよね」

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