スーツ・駅・自転車
寒い。
外はうっすらと明るく、横から差し込む光が霧を反射させて淡く輝いている。もうすぐ霜もおりだすだろうな、と思うと季節が深まっているのを感じて何だか楽しみになってくる。
先日母に買ってもらった手袋をつけて、私は自転車にまたがった。それから家の傍にある川まで行くと、自転車を停めた。
ふと小学校のグラウンドの平均台を思い出す。朝早くに登校すると、平均台をはじめ、遊具には霜がおりていて、私はそれを指で取って遊んでいたような気がする。
私の母校は、校門を通ってすぐ右手側に、鉄棒とかと並んで、それぞれ色の違う平均台が設置されていた。青とピンクと黄色で、青だけは他の色の平均台よりも細かったのを覚えている。その青色の平均台は、私が卒業する少し前に、老朽化が原因で撤去されてしまった。
ちなみに、左手側には、プールがあって、昔に作られたもので、コンクリートがごつごつとしていて、転んだ子の脛がぐちゃぐちゃになっていた、あと異様に暑く感じた。
小学校の頃なんて、久しく思い出していなかったのに、急に平均台やプール場のコンクリートを思い出したのは、きっとこの橋の欄干のせいだろう。田舎にある川に掛かった簡素な橋。特に装飾なんてしていない。だからこそ、逆に他の物へ連想しやすいのだろうか? そんな疑問を持ちながら私は再び自転車を漕ぎ出した。
私の住む地域は、家の近くにコンビニやスーパーはあるけれど、都会と比べるとやはり住宅以外の建物は少ない。それに、意外にも山が近いから、駅から家に向かうにつれて、坂道がしんどくなっている。
行きは良い、良い。なんて、有名な唄と重ねながら私は颯爽と坂道を下って行く。全身に風を感じる。身を刺すような冷たさだ。明日からはマフラーとか、マスクもして行った方が良いかも。
熱い。
駅に着く頃にはそう感じていた。さすがに、自転車を漕ぐと冬でも汗を掻く。寒いからと言って、考えなしの厚着をするのはもう止めよう。駐輪場に自転車を停めて、荷物を一旦カゴに入れて上着を脱ぐ。が、あまり変わらない。
荷物と上着を持って、改札を抜ける。ホームには人が何人かいる。電車が来るにはまだ早い時間だから、これから増えていくだろう。制服の人にスーツの人、私服の人ジャージの人。様々な服装をした人たちがいるのは当たり前だが、その人たちがどこに行って、何をするのか、時々気になったりする。例えば、髪の色が派手で、ピアスがいっぱい開いている、ホームの一番先にいるあの女性は、学生なのか社会人なのか。とか。
私も、もしかしたら誰かからそんな風に思われているかもしれない。なぜなら、私は高校生なのに、私服でいるからだ。社会人と感じさせるには幼い雰囲気で、制服ではないから高校生には見えなくて。よく大学生だと間違われるのも無理はない。私の通う高校は、定時制の学校で、学校指定の制服はなく、みんな好きな服装で登校している。私のように私服の人もいれば、いわゆる、なんちゃって制服ってやつを着ている人もいる。
スマートフォンでしばらく音楽を聴いていると、間もなく電車がやって来た。乗り込んで窓側に座る。毎日同じ道を走っているのに、中々飽きないのは、やはり季節ごとに違う顔を見せてくれるからだろう。田んぼばかりの地域を抜けると、徐々に建物が増えて、高さも増していった。小一時間すれば、結構都会の方に出るが、私の学校はまだ先にある。
1時間以上の移動を終えると、学校の最寄駅に着く。それから10分弱歩いてから、やっと学校へたどり着いた。毎日の通学なのだが、なんとなく旅をしている気分になったりして。
いつも通りに準備をして、いつも通り学校へ来た私だが、実は今日、授業が1つも入っていない。それは、今がテスト期間だからだ。私の取った授業のテストは、全て今日以外の日に割り振られている。
せっかくの休日なのに、なぜ遠いところをわざわざ学校に来ているのか。それは、大好きな先輩と話したいと思ったから。先輩は、前期で卒業に必要な単位を取り終えて、就活まで終わらせている。そして最近、第一志望の会社から内定を貰ったらしく春には上京するそうだ。
そんな先輩は今日、お世話になった先生たちに内定の報告をしにくると言っていたから、「私からもお祝いをさせてください」なんて口実をつけて学校へ来た。多分、先輩はもう職員室にいるだろう。コモンホールで先輩が出てくるのを待つ。おめでとうございます。って一言を伝えた後は、何を話せば良いのだろう。
先輩と私は、小学生からの付き合いだ。と言っても私が中学に上がる頃には先輩は両親の都合で引っ越してしまっていて、先輩の友達に聞きこんで、追うようにして同じ高校へ入学した。先輩には、よく一緒に遊んでもらった。二人とも朝早くから学校にいたから、最初に私から話しかけて、一輪車の乗り方を教えてもらったっけ。
先輩は、私のことを覚えているだろうか? 高校に入ってからは、先輩の所属しているクッキング部に入り、先輩後輩として仲良くしているが、お互いに小学生の頃の話をすることがなかったから、私のことを覚えているのか、忘れているのかは分からなかった。
「ゆうか!」
私が小学生の頃の思い出を振り返っていると、職員室の方から先輩の声がして、そっちの方向を見る。
「待たせてごめんね~! 先生たちうるさくって」
久しぶりに会った先輩は、スーツを着こなしていた。先輩は、単位を取り終えているから、卒業まで、学校に来る必要はない。だから会う頻度も少なくて、寂しかった。
「えと、大丈夫です。あ、先輩、内定おめでとうございます」
「ありがと~、春から東京なんだ~って考えると既に楽しみで仕方ないよ」
東京、先輩は、春から東京に行ってしまう。私は九州に住んだままだから、会えなくなるのだろうか?
「それにしても先輩、なんでスーツなんですか?」
「んっとね、先生たちに、私もスーツの似合う立派な大人になりましたよ~って自慢しようと思ったから?」
へへん、と自慢げにスーツ姿を見せびらかす先輩。確かに、似合っていて、どんな服装でも綺麗だと思った。
「あはは、それは先輩らしいですね。あと、東京、なんてすごいですね」
「ほんとだよ~、まぁ住むのは神奈川だけどね~、会社がってだけで」
「でももう、会えなくなりますよね」
「え?」
先輩の表情が、少しだけ神妙な顔に変わる。
社会人になった先輩はきっと、これから新たな恋愛もして、私にはいつか結婚式への招待状なんかが届いたりするのだろう。私の知らない男性と、幸せそうに寄り添った記念写真なんかを撮ったりするのだろう。
それは、嫌だな。だって、私の方がいずれ出来る旦那より早く先輩と出会っているし、他の誰よりも先輩のことを愛しているのに。
春には、先輩は私の手の届かないところへ行ってしまうんだ。
「先輩、小学生の頃って、覚えていますか?」
「うーん、まぁ少しなら」
「誰かに一輪車の乗り方、教えたりしてませんでした?」
唐突に、告白なんて出来るもんじゃないし、もしも先輩が私のことを微塵も覚えていなかったのなら、諦めようと思う。
「あー、多分してた。でもそれがどうしたの?」
諦めようと思ってた。正直、ちょっとした話すら出なかったし、覚えていないと思ってた。
「それ、私です。小学生の頃から、ずっと先輩が好きでした。中学では違う学校でしたけど、それでもずっと好きでした。同じ高校に来て、やっと再開できたのに、今度はもっと遠くへ行っちゃうんですね……」
今まで神妙な顔をしていた先輩は、次に驚いた表情に変わって、こう続けた。
「え、ほんと? あの子、男の子だと思ってた」
…………。悲しい。数秒間の沈黙を経て、1つの可能性を導き出した。そういえば私は、今では伸びて女性らしい髪をしているけれど、小学生の頃はずっとベリーショートだったし、ボーイッシュな服が好きだから、男の子だと勘違いされても、無理もなかったのかもしれない。割とこじつけだし、そうだとしても、さすがに傷付いた。
「そう、でしたか……」
「今まで気付かなくってごめんね」
「いえ……」
「…………」
「…………」
終わった。先輩は、完璧に困った表情をしている。
私は努めて、いつも通りの表情を保っているけど、内心では今すぐここから走って逃げて、家に帰って布団に包まって泣き叫びたいくらい、恥ずかしいし、辛い。
「あ、友達からラインきた、ちょっと行くね、ゆうかまたね、なんかごめんね」
「いえ……、また……」
スマートフォンの画面を覗きこんだまま、先輩は行ってしまった。もう顔を合わせることはないのかも。多分だけど、何となくそんな感じはする。
私がもし、男性だったなら、恋人になれる可能性はあったかもしれない。でも、九州と関東の距離じゃあ、そもそも無理があったのでは。
あの瞬間、イケると思った自分を一発叩きたいと思った。初恋は実らない。
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