第6話
「おい、見てみろよ、向こうの席。可愛くね?
こっちのこと気にしてるみたいだし、いけるぜ」
二人で入ったカフェでケンスケが嬉しそうに言ってきた……。
どこがだ?
僕はゲンナリした。
顔面に「ヤリたい」って書いてあるようにしか見えない、
頭の悪そうな女たちだった。
ケンスケはモテる。
当の本人はあまり自覚がないようだけど。
それでいてかなりの女好きだ。
身長は百八十センチを優に超えていて、地黒で綺麗な小麦色の肌。
生まれつきそういう体質らしく、
特に何もしていないのに腹筋は六つに割れていて、
腕や脚も少し力を入れれば隆起した筋肉で鎧のように硬くなる。
しなやかで無駄な脂肪がなく引き締まった、いわゆるいいカラダをしている。
顔だって端正で悪くないし、表情豊かな目と大きな口が可愛い。
笑うと顔全体がクシャッとなるところも最高だ。
男らしくゴツゴツしてカッコよく血管の浮いた大きな手と長い指、
そこに短く切るのが好きなんだらしい小さな爪がちょんとついているのが
スゴく好きだ。
贔屓目もあるかもしれないが、性格だって明るくて
優しさの権化かのようにめちゃくちゃに良いし、頼りにもなる。
見た目に反して少し打たれ弱くて泣き虫だったりするとこなんて堪らない。
気も回るし、こまめに連絡を取ったりするマメさもある。
いつも長くは続かないけど
中学生くらいから途切れることなく彼女が出来ているのだから、
世間的にはモテる分類に入るだろう。
交際が続かない理由はただひとつだと思う。
女を見る目がない。
絶望的にない。
ケンスケが付き合う女性はいつも、
ケンスケの良さなんて知ることもできないくらい頭も尻も軽そうな女ばかりだ。
人の好みはぞれぞれなので直接言及したことはないが、本当にひどい。
僕が十一歳の時。
ケンスケに初めての彼女が出来た時は
ショック過ぎて数日寝込んだほどだった。
しかしケンスケの初めての相手となったその女子高生は
分かりやすくケンスケの身体が目当てだったようで、半年と経たず別れた。
多分、筆下ろしに興味があったところに丁度ケンスケと知り合った、
という感じだったのだろう。
ほっとしたのも束の間、次は同級生と付き合いだし、
この子とは数ヶ月程だったかと記憶している。
処女相手に前の彼女に仕込まれた上級テクニックを披露してしまい、
心の距離ができたのが原因らしい。
次は確か一個上の先輩だったはず。
夜の方は前の失敗を活かして順調だったようだが、
徐々にすれ違いが多くなり一年程で。
えーと次はおそらく逆ナンしてきた二十代の会社員で……、
別れた理由なんだったっけ?
次……、また同級生だったっけ?
街でナンパした女子大学生だったか?
告白してきた後輩……?
最新は多分大学の同級生だったはずだ。
……こんな感じでまぁ、ケンスケに彼女が出来るというのは、
いつしか年中行事のような感覚に近いものになっていった。
彼女歴だけ見ると、遊んでいると誤解されがちなケンスケだが、
当の本人はどの恋愛にも本気だった。
相談されてきた僕だから分かる。
彼は本気で、彼女たちと良い関係を築こうと頑張ってきたのだ。
その結果が、どうにも上手くいかないだけで。
僕としては、その方が良いと言えば良いのだけど。
ケンスケがああいう類の女を選び続ける限り、
ケンスケの最大の理解者の座は僕のものなのだから。
ケンスケにゴリ押されて、女性たちと一緒に街を歩く。
女たちは僕らを品定めするようにジロジロ見たり、
隙あらば触ろうとしてきたりするので上手くいなしながら歩くのがめんどくさい。
「きゃー! 筋肉すご〜い! 鍛えてるのぉ?」
「ううん、特には〜……♡」
「腹筋もすご〜い!」
片やケンスケはノーガードでそこら中を触られまくっている。
鼻の下も目尻も、なんなら顔ごと溶けて落ちそうだ。
触りすぎだし触らせすぎ。
公然わいせつ罪で捕まればいいのに。
ほんの数ヶ月前、フラれたって言ってワンワン泣いてたくせに、
そんなこと何処吹く風な様子のケンスケにもムカつきだしていた。
だいたい言うほどこの人たちは可愛いだろうか。
なんなら、僕の方が……。
そこまで考えて、さすがに気持ち悪いと思って
頭の中からその思考をかき消した。
どうあがいたって僕は男なんだから、
生物として作りそのものが違う女性と張り合ったって虚しいだけなのだ。
そしてケンスケは生物として絶対的に正しい。
間違っているのは、僕。
ケンスケに触りたいし触ってほしい僕は、生物として異端なのだ。
だから僕にはケンスケを咎める権利など、ない。
たまにケンスケがこちらを伺っては「悪いな」みたいな表情で
アイコンタクトを送ってくるので毒気を抜かれて仕方なく付き合い続けた。
女性たちとの時間は苦痛だったが、
それも密かに話題だという雑貨屋に着くまでの間だった。
レンガ造りの屋根、中世ヨーロッパの建築様式だろう建物。
小学生の頃に行ったドイツのロマンティック街道、
その一角を丸ごと移築したようなお店だった。
テーマパークのアトラクションを前にした高揚感。
少年の心が刺激されるというか、とにかくワクワクする店構えだった。
入り口らしいドアにはプレートが下げてあり、
“すてきな雑貨屋さん”とあった。
お店の名前だろうか、分かりやすくて良い。
店内はアンティーク雑貨で埋め尽くされているが、
商品それぞれは見やすくレイアウトされており、手入れもキチンとされている。
ひょっとしたら故買屋なんかの可能性もあるかもなんて思っていたけど、
商品の様子を見ると骨董を愛するオーナーの趣味が高じて
オープンしたお店なのかもしれない。
長年海外を渡り歩き、
集めた骨董品を並べてニコニコしている可愛いおじいさんなんかが
オーナーだといいなぁ。
綺麗に髭を蓄えたメガネのおじいさんがピッタリくる、と思っていたら
「いらっしゃいませ」
すごく若い男の人がスッと店の奥から出てきた。
なんとなく、この人がオーナーだと直感し想像が外れて残念に思った。
商品を見ていたら、オーナーだろう男性が声をかけてきた。
「それ、美味しいですよ」
「えっ」
なんのことかと思ったが、
僕がなんとなく手に取っていたこの箱のことらしかった。
『願いを叶えるキャラメル』
箱にはそう書かれていた。
パーティグッズのような名前だけれど、
パッケージの装飾は上品で高級感があった。
願いか……。
単純に面白がったり素直に楽しめばいいのだろうけど、
どうも個人的にポジティブには捉えられず、少しメランコリックな気分になった。
「人間は美しいものに惹かれやすいですからね」
話しかけられ顔をあげた僕の目を、じっと覗き込んで男性は続けた。
「まるで夜灯に集う羽虫のように」
そのまま強く見つめられていると、頭の芯がぼやけていった。
「sehr toll!! これは貴方にこそ相応しい……」
オーナーの声が聞こえるが、僕の意識は虚ろだった。
「なんか面白そうなもんあったか?」
ケンスケの声がして、僕は空中から地面に戻ってきたような感覚を覚えた。
今一瞬変な感じがしたけど、なんだったのだろう……。
ぼんやりしてたらオーナーが僕の口にキャラメルを押し込めてきて
思わず食べてしまった。
「わぁ、美味しい!」
こんなに美味しいキャラメルは食べたことがない。
きっとミルクから上質なものを使っているのだろう。
濃い、だけどしつこすぎない牛乳と香ばしいバターの味、
上品な甘さに加えふんわりと鼻から抜けていく蜂蜜の香り、
主張しすぎずほんのりと感じる塩味が全てを引き立て……。
たった一粒のキャラメルとは思えないほどの余韻を味わわせてくれた。
感動的な美味しさだったけれど、ケンスケが怒ってるから買うのはやめておこう。
男性が僕に手を出そうとしたとでも思ったのか、
ケンスケがそのあとはピッタリくっついてきた。
それを嬉しいと思ってしまう浅ましい自分が悲しい。
店を出るとすっかり日が暮れていた。
帰りが遅くなると僕が母親にネチネチ言われるのを知ってるケンスケが
早々に解散してくれて喜んでいたのに、
あの女たちとちゃっかり連絡先の交換をしていて
胸にモヤモヤが広がった。
どんなにケンスケが僕を気にかけ、守ってくれたとしても、
ケンスケは女の子が大好きで、
どうしたって男である僕の居場所はそこにはないんだ。
「ケンスケってホント女癖悪いよね」
今までにもあんなことは沢山あったのに、なんだか今日は自制が効きにくい。
ついケンスケに悪態をついてしまった。
「エサ食べてるハムスターかよ、可愛いな! こいつめ!」
ケンスケに可愛いって言われてテンションが上がる自分が虚しい。
頭に、頬に触れる手が愛しくて切なくてもどかしい。
ケンスケの言葉は、僕が望んでいるものとは決定的に意味合いが違うのだ。
「お前が女の子だったら絶対彼女にしてたんだけどなー、マジ惜しいぜ」
心がずしんと重くなる。
どうして僕じゃダメなの?
一度でいいから、ケンスケに女の子みたいに扱われたい。
乱暴でもいいから僕をケンスケのものにして欲しい。
そしたら……、もしかして……、あわよくば……。
期待と願望で胸が締め付けられる。
叶わない願いは、いつだって僕の心を鋭くおぞましい爪でいたぶりながら、
耽美で芳醇な蜜の匂いを漂わせ、耽溺へ陥れてくる。
僕はもうすっかり、その蜜の虜になっていた。
気分最悪のまま家の玄関を開けると、母親が金切り声で迎えてくれた。
「ユキくんたら! こんな遅くに帰って来るなんて!」
「まだ八時前だろ。門限八時って決めたのは、か……、ママじゃないか」
ママと呼ばないとそれだけで機嫌を悪くする。
ただいま、くらい言わせてよ。
おかえり、くらい言ってくれよ。
「またお隣のフジタさんの息子さんと遊んでたの?」
「うん。ねぇ、お腹すいた」
「あぁ、お食事、ヨシエさんが用意してくれてるわよ」
見ると、ダイニングテーブルに一人分の食事が寂しそうに放置されていた。
ヨシエさんは通いの家政婦さんで、子供の頃からお世話になっている。
僕は手を合わせると、冷めたハンバーグを食べ始めた。
レンジはあるけれど、いつも不精をして冷めたまま食べている。
母親が向かいの席に座ったので、面倒な予感がした。
「ママ、ああいうガサツそうな子はユキくんには合わないと思うのよ。
フジタさんって、やっぱり庶民の方々だから、ご家族揃って品性がねぇ?
あのね、パパの会社の部長のお子様が東大の医学部でお勉強されてて、
とってもいい子なんですって。ユキくん、ずっと全国模試も一位なんだし、
レベルに見合ったお友達の方がもっと良いと思うの。
ママが声を掛けておくから今度一緒にお食事に行きましょうよ」
甲高い声でペラペラ、ペラペラと下らない話をまくし立てる。
よそのお宅を、しかも長年仲良くしている一家をまるごと貶し、
成績や家柄で友達を選べなんて言い出すこの母の品性の方が、よほど疑わしい。
「うん、そうだね。それもいいかもね。でも僕……、
東大の人よりもハーバード大学の人とおしゃべりしたいな!
オックスフォードでもいいよ。心理学を専攻してる人がいいな。
ママ、探してよ!」
ニコニコと元気よく言った。
母親が好むものの言い方だ。
「あらぁ、オックスフォード? ハーバード……、通ってるお子様いたかしら……。
ちょっと今度の奥様会で聞いてみるわね!」
「うん! ありがとう、ママ! 僕楽しみにしてるね!」
バカバカしくて疲れる。
この母親が死ぬまで、僕はこんな事に付き合わされるんだろうか。
価値観も思想もここまで合わないこの人は、本当に僕の母親なんだろうか。
母は、元々上流階級とかいう側の人間だ。
上流階級と言っても何も華族とか、ご大層な血族の生まれと言う訳では無い。
むかし昔、日本が裕福だった時代に祖父が起業して財を成したが、
時代の流れに対応出来ず没落した、元成金だ。
お祖父さんはホテル王なんて呼ばれていたらしく、
資産も相当のものだったらしい。
そんな家で、遅れてできた一人娘として贅を極めて育てられた母は
不惑を過ぎても世間知らずで、家事育児なんていう概念は頭にない。
七年前に亡くなった祖母曰く、
母は家が没落する寸前に祖父の計らいで知り合いの息子、
つまり僕の父さんに嫁がされたらしい。
少しでも自分の娘に惨めな思いをさせないように考えた、
祖父の思いやりだったのだろう。
祖父自身は金策に奔走し、
爪に火を灯すような生活の中なんとか返済の目処を立て、
その後すぐ心労がたたり病に倒れると、
快方に向かうこともなく逝ってしまったのだという。
事業が順調だった頃には祖父の周りは
常に沢山の友人知人で溢れていたらしいが、
最期、あの人の傍には家族しか居なかったよ、
と言った祖母の怒ったような顔が忘れられない。
母がことあるごとに人にひけらかしている
高そうな着物や、化粧台や箪笥も、祖父がどうしても娘に遺したいと
債権者の足元に
自慢する時以外は見向きもされないそれらを慈しむように撫で、
目元に刻まれた深い皺に涙を滲ませて祖母がこっそり教えてくれた。
僕が暮らすこの家もホテル王並とは言わないが、
父さんが大きな会社の役員で裕福な方だ。
でもこの母親は、今の暮らしがお気に召さないらしい。
百坪、6LDK庭付二階建ての一軒家を猫の額だ、みすぼらしいと泣き、
どうして執事とメイドが居ないのだと泣き、なぜ外商さんが来ないのだと泣き、
既製服なんて恥ずかしいと高級ブランドの洋服を嫌がり泣いた。
不思議なことだがこの母親の脳内設定では、自分は突然結婚を強いられ
貧乏暮らしを押し付けられた可哀想なヒロインになっているらしい。
我儘お嬢様にホトホト困り果てた父は海外勤務をこれ幸いと、
この家に帰って来ること自体珍しくなっていった。
この母にとっては子供や夫も
自らを飾り立てるアクセサリーの一つに過ぎないようで、
他人にどう自慢できるかが何よりも重要らしかった。
僕にも常に一流を押し付け、学習塾にスポーツ教室、習い事、家庭教師までつけて
『優秀な私の子供』に育てることに執心した。
幼い頃は、盲目的に母が喜ぶならと大人しく従っていた。
家族とはこうなのだと当然のように思っていたのだ。
しかしその洗脳が解けたのは僕が六つの春休み、
初めてケンスケの家に泊まらせてもらった日のことだ。
今にして思えば母は嫌がっていたようだが、
ケンスケとケンスケのおばさんが是非と言ってくれたので
お泊まりセットを用意して、
お昼頃からケンスケ一家の生活を体験させてもらった。
ケンスケの家は、とても賑やかだった。
おばさんがケンスケに宿題しなさい!って怒鳴ったり、
ケンスケのイタズラを叱りながらも笑って許してあげていて。
おじさんはそんな様子を静かに微笑んで眺め、
肩車や抱っこをしたりして一緒に遊んでくれた。
ケンスケと二人でお風呂に入ってたら、おばさんが来て
「ユキノリくん、もうひとりで頭洗えるのね」って言ってて、不思議に思った。
お風呂から上がったらおばさんが
僕をふわふわタオルで包んで優しく拭いてくれた。
下着や服も着せてくれて、恥ずかしくてくすぐったいような、
でもとにかく心地よかった。
夕ご飯の時間、おばさんの元気な声に呼ばれると、
バンバーグやシチュー、美味しそうなご飯がたくさん食卓に並んでいた。
全部のご飯からホカホカと湯気が出てて、不思議だった。
歯磨きも、ひとりで出来て偉いねなんて褒められて。
眠る時はおばさんが優しい声で絵本を読んでくれて、おじさんとおばさんが
僕とケンスケの頭を優しく撫でて、みんなで川の字になって眠った。
耳障りな大人同士の言い争いが聞こえてくることのない、静かで優しい夜。
僕はこっそりと、生まれて初めて泣きながら眠った。
知らなくても良かったことだったのかもしれない。
でもあの時に知っておいて良かったと今は思っている。
僕が生まれ落ちた環境は、少しだけ僕に冷たいものだった。
それだけのことなんだと思えるようになれたから。
僕にはケンスケがいてくれるから、全部大丈夫だと思えたんだ。
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