第2話 和服と足袋

 ……しないと駄目なんだ。そう言いながら僕がテレビのチャンネルを変えると、地震のニュースを報道していた。

 大型の地震らしい。震度五以上を観測したそうだ。震源地一帯の建物は全て倒壊したとテレビのアナウンサーは熱っぽい口調で喋っている。継いで一夜明けた被災地の状況が映し出された。

「ありゃ」

 鍋を手に、キッチンから居間にやってきた同居人が声を上げる。

「やーだ、懐かしい」

 こら、シノブ、被災者を見て懐かしいとはどういうことか。そう叱ると、同居者であるシノブは鍋をテーブルに置いた。手を振る。

「違う違う。懐かしいっていうのは、ほら、あの、命の恩人の。安倍(あべの)、安倍様よ」

 僕はシノブを見上げた。

「ああ、あの安倍様ね」

「今頃どうしてるんだろうね」

 このテレビに映ってる被災地に居たりしてな、とからかうと、シノブは眉を寄せた。

「そっちのほうがどうかと思う発言だけど。安部様にも失礼じゃない?」



 安倍と名乗る人物は数年前の夕飯時に現れた。紺の着物を流すように着こなし、足も足袋を履いている。禿頭気味の厳しい表情の老人だった。

 両袖のなかに腕を突っ込んで狭いアパートの間口に仁王立ちになった。

「安倍といいますと、あの安倍清明様の御家系ですか?」と問う僕に安倍老人は頷いた。

「いかにも。安倍清明の末裔である」

 彼は、いがらっぽい声で応えるとよっこらせと玄関のたたきに腰を降ろした。

「今日は日頃の行いが真面目な、信心深い御前等に相談があってやって来た」

 尋常ではない威厳に恐縮しながら、なんでございましょうか、と僕が訊ねると老人は大仰に首を縦に振った。

「ここ数日のうちに地震が来る。大地震だ」

 あ、そうなんですか、と相槌を打った。僕はただただ呆気にとられるしかない。安倍老人は唖然としている僕を置いて、はなしをどんどん進める。

「天地鳴動し、この地に根付くもの須く、足を掬われる」

 老人は六十代にも見えたし、五十代と主張されればそうとも取れた。この厳つい面相で四十代と言い切られればそう思っても不思議は無かった。

「ありとあらゆる害がこの地を襲い、人間を含めて大地、全ての者に禍が逆巻く」

 老人は着物を見事に着こなしていた。だが、着物を剥ぎ取り、替わりにババシャツと腹巻を着せ手にカップ酒を持たせてから大阪の新地を歩かせてもそれはそれで遜色ないようにも感じる。

「聞いておるか? そんな禍から御前を守るべく、清明様より命あって仕った」

「それはどういう命でしょうか?」

 声に目を遣ると隣にシノブが正座で座っていた。手を前について身を乗り出している。まずいなと直感した。シノブはこういったオカルトに弱い。

「うむ。数日後に大地震が来る故、避難するように命ずる。また、鎮魂祭を催したい。地震で生き残るであろう者、つまり御前等が行わねば成らぬ、大事じゃ」

 念の為にシノブを脇に押し退けて、その地震の起こる日時を訊いた。具体的な応えがあったので驚いた。だが次の言葉で幻滅した。老人は自信たっぷりにこう言ったのだ。

「故に鎮魂祭の為の『心付け』が欲しい。○○銀行の番号○○に十万振り込め」

「振り込めば助かるのですか? 安倍様?」

 萎えた僕を他所に、シノブは目を輝かせて益々身を乗り出す。

「助かる。現に今、地震の日付、時刻を教授したであろうが? であるからその日、避難をすれば御前等は生き残る。生き残ったのであれば、生き残ったものの使命として、鎮魂祭を行え」

 安倍老人は懐から折り畳まれた紙を引き抜いて僕に渡した。開いて見ると、鎮魂祭の場所と日取りがこと細かに書かれてあった。筆で書かれた書面で、達筆だった。鎮魂祭の時刻は地震が起こる時刻とほぼ同刻。ただ失笑するしかない僕を隣に、シノブは食い入るように紙の字面を追った。鎮魂祭の詳細を貪るように読んでいた。

 


 安倍様がご帰宅なさられた翌日、僕は貯金の十万を安部様がご指名された御口座に振り込みさせて頂くよう、シノブに命令された。我が家の大蔵省はシノブだ。逆らえない。かといって馬鹿正直に十万も振り込めない。一応、銀行に行って試しにATMで指定の口座を検索した。確かに口座は存在した。名前の欄には「アベノ」。益々怪しい。僕はその場で回れ右をすると銀行から電気店に向かった。



 僕が十万をガメたのは直にばれた。新しいBDレコーダーが住居に届いたからである。僕は自分の金で買ったと主張したが、保証書付属のレシート記載の日付からシノブは絶対に違う、これはわたしのお金で買ったものだ、そう推理したのだ。

 なおも否定する僕にシノブは迫った。

「それほんと? それほんと? それはほんとう? ほんとじゃないと痛い目にあうよ?」

 自信たっぷりにばしばし言うシノブが怖くなった。観念して白状した。かくて犯人の僕は賠償責任として、自分の金、十万を「アベノ」に振り込むことを余儀なくされた。

 今度は銀行までシノブも随伴した。シノブの目の前で僕は自分のカードをATMに差込み、振込み先を選択して、「アベノ」の口座番号をタップさせられた。

 僕達二人の前には「アベノ」口座は凍結された旨の表示が現れた。

 シノブは銀行員を捕まえて事態の説明を求めた。詳しくは言えないが、と銀行員は前置きしてから「噂ですが、どうも警視庁が凍結したらしいんです」とシノブに告げた。



 帰りしな、騙されたな、とシノブのまわりをぐるぐる回りながら囃し立てる僕にうるさい! と彼女は噛み付いた。

「煩いわね、安倍様はなんらかの事情があって、お隠れになったのよ! 警視庁とかなんとかって、それもいち、銀行員の憶測でしょうが! 絶対、あれは、なにかある!」



 夜半、シノブに起された。時計を伺うとまだ早朝にもならない。シノブは僕の身体を揺する。

「ねえ、今日だよ。今日のこの時間に、鎮魂祭があるんだよ、起きて、早く早く。鎮魂祭には安倍様も来てるから、その時、真意を問いただせばいいんだよ。本人に訊くのが一番確実だよ」

 本人に訊くのが一番怪しいのだが。僕はシノブにせっつかされて仕方なく服に着替えさせられた。しかしあれから数ヶ月だ。まだ覚えていたとはシノブにも呆れる。手を引かれ、家を出る。誰も居ない真っ暗な道を引っ張られて、街を離れ、小高い、妙に肌寒い湿っぽい丘に連れてゆかれた。丘には誰も居ない。当然だ。騙されたのだから。

 僕がシノブにはっきりとその事実を伝えようとした刹那、地が揺れた。

 時刻は午前四時三十六分。日付は一月十六日。後に『大震災』と呼称される様になる、関東大震災以来の大規模地震の「揺れ」だった。

 僕は立っていられなくなった。シノブは大地に尻餅をついている。泣きながら僕の名を呼ぶ。這って彼女の傍まで行った。揺れが収まるまで腕に彼女をしっかりと抱え込んだ。腕のなかでシノブは目をぎゅっとつぶって震えていた。

 それからは暫定的な記憶しか残っていない。アパートに帰るとそこには何も無く、材木が散乱しているだけだった。暗い夜空に出るはずの無い赤い夕陽が浮かび、悲鳴がそこここで上がっている。助けてくれとか、息子がとか、足が挟まれたとか、家の下敷きとか、錯綜する叫び声の中、気分が悪い、を繰り返すシノブを抱え込む事しか出来なかったことだけを辛うじて覚えている。

 シノブは頭を抱えてさかんになにか呟いていた。どうした、と彼女の顔を両手で挟んで上に持ち上げると、

「安倍様を馬鹿にするから罰が当たったんだあ!」

 シノブはそう叫び、朝日射す荒野で、大声で泣きはじめた。



 そんな昔日を思い出しながらシノブと味噌汁を啜っていると、ニュース番組は震災から通常のプログラムに戻った。

ニュースキャスターは今日発生した事件を読み上げる。強盗だとか、殺傷未遂だとか、薬物だとか、そんな内容だ。

 不意にシノブが頓狂な声を上げた。

「テレビ観ろ! テレビ!」

 シノブに促されて観たニュース画面には、安倍様が映っていた。あの老人の白黒写真が画面いっぱいに映し出されている。写真下の枠には「安倍清明(自称)容疑者」と記されていた。

 ニュースキャスターによれば、この老人は安倍清明を名乗る振込み詐欺の常習犯だとか。今回捕まったのは、数年後、大地震が東海で起こるのを防ぐ為、お布施が必要と老人たちに嘯いていたのをたまたま居合わせた人物が耳にし、不審に思って通報されてのことらしい。余罪は追及すればまだ出てくる可能性あり。

 

夜、床に付いた時、シノブは安倍様、捕まった時、どんな格好してたのかなあ、と僕に尋ねた。それは僕にも判然としないが、きっと、和服を着て、足袋を履いていたんだと思う。

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本朝怪談部屋縁起 池田標準 @standard_ikeda

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