第140話 再会と対話

 星川明里が目を覚まして真っ先に目に飛び込んできたのは、見知った天井だった。


「あれ……私の部屋?」


 窓からは満月が見えた。そのせいか夜にも関わらず部屋の中は真っ暗ではない。

 ゆっくりと身体を起こしながら、明里は自分自身の記憶を呼び起こす。


「そうだ……。私、あっくんに会って、それで……」


 下唇を噛み締め、手元にあるベッドの掛け布団の端を握りしめる。

 悪道善喜――明里が再会を渇望していた相手に出会えた。だが、明里は悪道を取り戻すことがまたしても出来なかった。

 全身を怪人と化した悪道にまさぐられ、情けないことにそれを気持ちいいと感じてしまい、挙句の果てには気を失ってしまった。

 全身は驚くほど軽いが、心は重い。


「ごめん……あっくん、ごめんなさい……」


 明里の目から雫が零れ落ちる。

 親友である花音の忠告も、両親の心配の言葉も無視して、明里は悪道を助けるべく行動し続けた。

 その結果がこれだ。

 力を持っていながら愛しの人一人救えない自分への憤りとこれからも悪道を救えないのではないかという不安が明里の胸中でうずまき、どんどん膨らんでいく。


 戦うことの意味を理解しているつもりだった。だが、今こうして戦いの果てに失ったものを見て打ちひしがれている時点で、明里は戦うことの真の意味を理解できていなかったのだろう。


「もう、0時なんだ……」


 ひとしきり泣いた後、明里は時計を見てそう呟いた。

 それから、枕元にあったスマホを手に取る。スマホには花音からのメッセージが届いていた。

 そこには、花音が気を失った明里を家まで運んでくれたこと、悪道には逃げられてしまったことが記されていた。

 それを確認してから、明里はベッドから降りて、寝巻を手に取り、部屋を出る。

 朝に家を出た時から変わっていない服を着替えるついでにシャワーを浴びるためだ。


 廊下は暗かった。恐らく両親も既に寝ているのだろうと考え、音をたてぬように慎重に明里は階段を降りる。

 そして、そのまま明里は家を出た。



 家を出た明里が向かったのは直ぐ隣の家、つまり悪道家だった。

 家主である悪道がいない今、悪道家は廃墟の如く静まり返っている。明里は、以前から持っていた合鍵を使って玄関から家に入った。


「あっくん……」


 声を出してみるが、反応はない。


「そりゃ、そうだよね」


 寂しげにつぶやかれた言葉が闇の中へ消えていく。再びこぼれそうになった涙を拭い、そのままお風呂場へ向かう。

 暗闇でもその足取りに迷いはない。ここ数日、明里は悪道がいなくなったことで生まれた寂しさを紛らわすために、毎日の様に悪道の部屋で寝泊まりしていた。

 そのおかげで悪道の家の間取りは自分の家とほぼ同じレベルで理解している。


 両親を気にする必要のなくなった明里ではあったが、言葉を発することなく、脱衣所の電気を付けて静かに服を脱ぐ。そして、そのまま隣の浴場に足を踏み入れる。

 お湯は溜まっていない。それでも、シャワーだけで十分だろうと思い、シャワーヘッドを手に持ちお湯を出す。


「……んっ」


 お湯を肩から流す。お湯が胸の辺りを通った時、明里の口から艶めいた声が漏れる。

 悪道に触れられた場所。その時のことが鮮明に脳裏に浮かび上がる。

 少しだけ身体が疼く。その疼きを癒すために、手を疼きの元となった部位へ持っていこうとして、やめた。


「悲しくなっちゃうだけだもんね……」


 自嘲気味にそう呟く。シャワーから流れ落ちるお湯は温かい。それにも関わらず明里は寒そうに片腕をさすった。



******



 お風呂から上がった明里はタオルで身体を軽く拭いてから下着を身に付けた。そして、ドライヤーで髪を乾かす。

 髪を乾かし終わり、ドライヤーのスイッチを切る。途端、静寂が辺りに広がる。


 酷い顔。


 鏡を見て明里はそう思った。泣いていた跡のある目元、力の無い目。

 こんな顔をしておいて、アイドルになって大勢の人を笑顔に出来たらいいなどどよく言えていたものだ。


 パチン。


 自身の頬を叩くと、乾いた音が鳴り響いた。


「弱気になっちゃダメ。あっくんが好きになってくれた私は、いつも元気で、明るくて、笑顔な星川明里なんだから」


 鏡に向けてニコリと笑う。

 綺麗な笑顔だった。だが、それだけだった。


 ガチャリ。


 玄関の扉が開く音に、明里は直ぐに反応して振り返った。

 悪道の両親はいない。故に悪道の家に入れるのは合鍵を持っている星川家の住人か、悪道本人かだ。

 可能性が高いのは明里の両親だろう。部屋から娘がいなくなったことに気付き、探しに来たのかもしれない。

 次点でいえば、悪道善喜本人だ。

 だが、可能性はもう一つある。それは……。


(イヴィルダークの戦闘員があっくんから鍵を奪った可能性がある)


 その可能性に思い至った瞬間、明里は警戒心を最大まで高め脱衣所の扉の傍による。

 そして、耳を澄ませる。


「いやー、久しぶりだけど何も変わってないなぁ」


 家に入って来た者の声が明里の耳に入る。

 その声は今日の昼に聞いたばかりの、明里の最愛の人の声だった。


「あ、あっくん!」


 自分があっくんの声を聞き間違えるはずがない、と脱衣所から飛び出した明里の頭の中からは、自分の格好がすっかり抜け落ちていた。


「ほ、星川……!?」

「……っ! あっくん……」


 片や触手少年を名乗る触手に包まれた変態、片や自身の身体を隠そうともしない下着姿の痴女。


『ひゃああああ!! 絶景だああああ!!』


 悪道の脳内でタコの叫びが響いた。



*******



 久しぶりに実家に帰ったら下着姿の幼馴染がいた。

 おまけに幼馴染は俺の姿を見て悲痛な表情を浮かべている。

 確かに俺は星川と再会することを願った。でも、こんな再会の仕方は望んでいない。


『どうしてそんなことを言うのさ。明らかに役得じゃないか』


 まあ、そうだけどさぁ……。


「星川、色々と言いたいことも聞きたいこともあるけど、とりあえず服着ろ」

「え……? あっ。ば、ばか! あっくんのエッチ!!」


 自分の格好に気付いた星川が慌てて脱衣所に引きこもる。

 暫くの間、その場で待っていると脱衣所から強烈な光が放たれる。そして、変身した星川が俺の前に姿を表した。


「昼はやられちゃったけど、今度はそうはいかないよ!」


 ステッキをこちらに突き出し、やる気満々といった表情を見せる星川。

 だが、もう深夜だ。


「いや、時間考えようぜ。流石に、ここでドンパチは近所迷惑だろ」

「あ、確かに……。でも、あっくんを助けないと……」

「まあ、その辺も含めて星川と話そうと思ってわざわざここに来たんだ。リビングで話そうぜ」

「あ、うん……分かった」


 俺が提案すると星川は渋々と言った様子で、俺の後ろについてきた。



 リビングに入り、部屋の電気を点ける。

 そして、冷蔵庫から牛乳を取り出し、マグカップに注いでからレンジで温める。賞味期限はまだ大丈夫だった。


「ほい」

「あ、ありがとう」


 ソファに座る星川にホットミルクが入ったマグカップを渡し、俺も星川の横に腰かけてホットミルクを飲む。

 ほっ、と白い吐息が漏れる。季節は春だが、夜はまだまだ冷える。

 変身した星川の姿は極端に言えば半袖にミニスカだ。誰が考案したか知らないが、防寒性能が低すぎる。

 こんな時はさりげなく自分の上着を肩から掛けるのがいいのだろうが、生憎と俺の格好は触手まみれだ。


『いいじゃん。肩から触手をかけてあげなよ。人肌くらいの温かさはあるよ』


 やめろ。それで喜ぶのはお前とイヴィルダークの地下牢に捕らわれている触手ジャンキーと化したあの美女だけだ。


 仕方なく触手を一本伸ばしてダイニングの椅子の背もたれにたまたまかけられていたバスタオルをこちらに寄せて、星川の肩からかける。


「その格好、寒いだろ」

「え? そんなことないけど……でも、ありがと」


 意外にも寒くはなかったらしい。それでも、星川はタオルを受け取ってくれた。


「ねえ、今のあっくんは一体何者なの?」


 マグカップの中を覗きこみながら星川が問いかける。

 星川の横顔を見るに星川は困惑しているように見えた。


 まあ、幼馴染が触手まみれの格好になったら誰だって困惑するか。


「まあ、簡単に言えば触手と融合してしまった人間だな。でも、それ以上に星川明里の幼馴染で、星川明里に恋してる一人の男だよ」

「なら、戻って来てよ……」


 顔を伏せたまま、星川が言葉を漏らす。


「私のことが好きなら、私の幼馴染なら傍にいてよ……。私はあっくんを助けようとしてるのに、どうしてあっくんはわたしに助けられてくれないの?」


 星川が俺に向けた表情は苦しそうで、助けを求めているようにも、ただただ悲しんでいるようにも見えた。


 俺は心のどこかで星川は俺がいなくなっても大丈夫じゃないかと思っていた。でも、そうでは無かった。

 俺が思う以上に星川明里という少女は年相応で、強くはなかった。


『だからこそ、君がやらなきゃいけないことがあるだろ?』


 タコが俺に語り掛ける。

 その役割は俺でなくてもいいかもしれない。それでも、星川明里に惚れた男として、傍で彼女を見続けてきた幼馴染として、その役割は俺でありたい。


 触手を星川の背中側に伸ばし、そのまま星川の身体を抱き寄せる。


「っ!? あっくん……?」


 最初こそ身体を強張らせる星川だったが、俺がただ抱き寄せただけだと理解したのか、徐々に身体の力を抜く。


「ごめん。一番辛いときに傍にいてやれなくて。俺も、星川の傍にいたい。でも、やらなきゃいけないことが出来た。やりたいことが出来た」


 星川は黙って俺の話を聞いている。

 そんな星川に語り掛けるようにゆっくりと、そして、はっきりと言葉を紡ぐ。


「今まで俺はたくさん星川から貰って来たから、少しでも星川に返したいんだ」

「……そんなのいらない。あっくんが傍にいてくれるだけで私は――」

「それじゃダメだ」


 星川が言いかけた言葉を遮る。星川の言葉はとても魅力的で、これ以上ないくらい嬉しい。

 だけど、それじゃ俺たちの関係は一方的なものになる。

 一方的な関係は脆い。

 お互いが支え合って、力を合わせて生きていく。それが自分以外の誰かと生きるってことなんだと思う。

 少なくとも、今の俺とタコはそういう関係だ。


「星川が俺のために行動してくれているのと同じように、俺も星川の為に少しだけ頑張りたいんだ。必ず戻って来る。だから、もう少しだけ待っててくれないか?」

「…………いつ? もう少しっていつなの?」

「一週間。それで片をつける」

「信じていいんだよね?」

「ああ」

「一週間たてば、あっくんは戻ってきてくれるんだよね?」

「必ず戻る」


 俺の言葉に納得してくれたのか、星川は「分かった」と言ってくれた。

 それから星川は俺の背中に腕を回し、強く抱きしめてきた。


「一週間、頑張るよ。あっくんの言ってることを納得できたわけじゃないけど、理解は出来るから。だから、必ず戻ってきてね……」

「ああ。必ず、な」


 それから、俺と星川の間に会話は無く、俺は星川が眠りに落ちるその時まで星川の背中をさすり続けた。



*******



『君を選んでよかったよ』


 星川が眠りについた後、俺は星空の下を歩きながら基地へ向かっていた。

 その途中、不意にタコが脳内で俺に語り掛けてきた。


 急に何だよ。


『いや、ふと思ってね』


 まあ、俺もおかしな姿になった時こそ絶望したけど、今思えばお前と出会えてよかったよ。


『そう言ってもらえると嬉しいね』


 たかがそう言うと共に、俺の足が止まる。俺の身体は俺のものであると共に、今はタコのものでもある。

 俺の足を止めたタコはそのまま俺の触手を天に伸ばす。


『悪道、この触手は誰かを傷つける道具じゃない。大切なものを掴み取り、大事に包み込むためのものだよ』


 そして、タコはそう言った。


 そんなことは分かってるよ。


『それならよかった。くれぐれも忘れないでくれよ』


 タコはそれ以降は喋らなかった。

 珍しく頭の中が静かな中、基地まで歩いていった。

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