第133話 母性
白銀イリスという女性にとって、タッコンという存在は憐れみの対象であった。
イリスと同じイヴィルダークという組織の部隊長であるシャーロンによって、強制的に生み出されてしまった悲しき化け物。無理矢理、悪に身を染めることを強制された存在。そう思っていた。
しかし、公園にそのタッコンが現れた時、イリスは自らの間違いに気づいた。この化け物は、誕生するべきでは無かった、と。
イリスは悪の組織の人間だ。だが、彼女は彼女なりの正義を胸に抱き悪の組織にいる。
しかし、目の前のタッコンはどうだ。
イヴィルダークという組織として、人々から愛を奪うというなら分かる。
だが、このタコは人々から愛を奪う訳でもなく、ただ力の弱い子供たちを捕らえニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべている。
おまけに、まるで子供たちを玩具かのように扱い、その泣き叫ぶ姿を見て邪悪な笑みを浮かべているではないか。
イリスは愛を憎んでいる。しかし、罪の無い子供たちを傷つけたいわけではない。彼女は、愛故に傷ついてしまう人を救いたくて悪の組織に身を投じた。
故に、彼女にとってただ意味もなく人々を傷つけ、子供を恐怖させるタッコンの存在は許しておけるはずが無かった。
傍にいた子供たちを安全な場所に避難させた後、イリスは素早く戦闘モードに姿を変え、タッコンの前に降り立つ。
「そこまでにしなさい」
タッコンを鋭く睨みつける。
場合によってはここでタッコンを自分が処理する。その覚悟がイリスにはあった。
「キエエ……」
イリスの睨みがきいたのか、タッコンはうめき声をあげながら捕えていた子供たちを地面に下ろし解放する。
タッコンに解放された子供たちはいっせいに親の元へ駆け寄っていく。
「あ、あの……ありがとうございます!」
誰かがイリスにそう言った。
イリスの睨みのおかげで自分の子供が助かったと思ったのだろうか。だとすれば、それはとんだ勘違いだ。
何故なら、この化け物を生み出したのは自分たちの組織なのだから。
自らの行動のマッチポンプさに自嘲気味に笑う。それから、直ぐに目の前のタッコンに目を向けた。
タッコンは大人しくしていた。
さっきまでの暴れ具合が嘘の様に、静かにイリスの動きを伺っているようだった。
その姿にイリスは疑問を抱く。
タッコンは確かに嬉々として子供たちを襲っていた。だが、今の大人しい様子を見るとそれは嘘のようだ。
これはどういうことか……。
僅かな間考えた結果、イリスは一つの結論に辿り着く。
ここには、タッコンの上司とも言える自分の存在がある。となると、タッコンは自分の言うことを聞く気があるということか?
「タッコン、この場から離れるわよ」
タッコンが自分の言うことを聞くのか、試しに指示を出してみる。
すると、タッコンは大人しく自分についてきた。
……なるほど。どうやら、タッコンは自分の意志を失っているらしい。
イリスはそう考えた。この目の前にいる化け物は、哀れにもただ命令を聞くだけの兵器と化してしまったのだ。
先ほど、子供たちを襲っていたのはシャーロンの指示だろう。
自分の部下さえ平気で使い捨てるあの蛇男なら、そういう指示を出していてもおかしくはない。
その可能性に気付いたイリスは奥歯を噛み締める。
イヴィルダークの構成員は皆、自分の意志で悪の組織に入ることを選んだ。だが、このタッコンは自分たちとは違う。
シャーロンの手によって、否応なしに自分の意志も未来も奪われたのだ。
(最悪の気分ね……)
イリスは舌打ちを一つしてから、タッコンを見る。
その目は緑色にただ輝いていた。その目をイリスは綺麗だと思った。
まだ、汚れきっていない純粋さを宿した目だ。だからこそ、タッコンをシャーロンのような汚い男の下に置くのはダメだ。
「タッコン、あなた、今後は私の部下になりなさい。あなた自身の意思が復活するまで、私以外の命令を聞く必要はないわ。いえ、聞いてはいけない。いいわね?」
ぺたぺたと足音を鳴らし、イリスについてくるタッコンに向けてイリスはそう言った。
タッコンは驚いたように目を見開いた後、静かに頷いた。
(意外と可愛いわね)
ぺたぺたと健気についてくる姿はまるでカルガモの雛。自分の言うことを純粋に信じるところを見ると、容姿がいくら気持ちの悪い化け物とはいえ、なんだか愛着が湧いてくる。
(この子は、私が守ってみせる)
イリスの中に母性が芽生えた瞬間だった。
*******
公園で俺を睨みつけるイリスさんに出会った時は背筋が凍る思いだったが、その後イリスさんの言うことを従っていたら、何故かイリスさんの部下になることになった。
よく分からないが、イリスさんと協力関係になれるなら問題なし、ということでイリスさんと供にイヴィルダークの基地に戻ることになった。
「タッコン、あなたご飯は食べているのかしら?」
基地に戻る途中、唐突にイリスさんがそう問いかけてきた。
そういえば、ご飯を食べていない。だが、お腹が減っているわけでもない。
そのことを不思議に思っていると、脳内にタコの声が響く。
『まあ、食べなくても一応生きていけるからね』
そうなのか?
『そうだよ。今はまだ触手に対する風評被害が多いからね、触手を広めるという存在意義がある限り、僕は消えない。つまり、僕と融合している君も消えないわけだ。まあ、食べることも出来るけどね』
へー、便利な身体。
そう思いながら、イリスさんに向けて首を横に振る。すると、イリスさんはあからさまに顔を顰めた。
「そう……。ご飯も与えられていなかったのね。ごめんなさい。でも、安心して、もうあの蛇からあなたは解放されたの。そうね、基地に戻ったらまずはご飯を食べましょう」
優しい声だった。
まるで、泣きそうな子供を安心させるかのように、俺の触手を一本手に取り両手で優しく包み込んだ。
『ふおおおお!! 美少女の手! すべすべぇ!!』
脳内で歓喜するタコ。
一方で俺は困惑していた。
さっきまで俺のことを鋭く睨みつけていたのに、この変わりようはなんなのだろう。
だが、イリスさんの部下になれたことはよかった。結果的に狙い通りになったことに満足しながら俺はイリスさんと共にイヴィルダークの基地に戻った。
そして、イリスさんと基地にあるという食堂に向かう途中、俺たちは蛇男と鉢合わせしてしまった。
蛇男は俺とピンピンしているイリスさんの姿を見て顔を顰め、俺を睨みつけてきた。
「タッコン……。これはどういうことですか? あなたは有用だから生かしたのです。私の命令を聞けない兵器など必要ないのですよ」
俺のそばにより、蛇男が囁いてくる。
その声には明らかな怒りが含まれていた。
ひぇっ……怖い……。
助けてください、イリスさん。
そう願い、ぷるぷると震えながらイリスさんを見つめる。
俺の目を見たイリスさんは、俺と蛇男の間に割って入り、蛇男を強く睨みつける。
「私の子どーー部下に近づかないで貰えるかしら?」
一瞬、変なワードが聞こえたが、イリスさんは俺を守る姿勢を見せた。
そうなると蛇男も黙ってはいない。
「部下? 何を言っているのですか! タッコンは私が生み出した! 私のものです!」
「もの? 違うわ。この子は自分の意志を持った人よ。あなたのような毒親のもとにいてはこの子は幸せになれない」
「幸せ? これはおかしな話だ。あなたはものに感情があるというのですか?」
「この子はものじゃない。何度言えば分かるのかしら? 産みの親だからって調子に乗っていると、あなたを潰すわよ」
バチバチと視線をぶつけ合う二人。
かたや、自分が生み出したから自分のものであり、自分の所有物をどう使おうが誰にも文句は言わせないと主張する。また、もう一方は、産みの親だろうと子どもの意思を潰していいはずがないと主張する。
まるで、産みの親と育ての親の間で親権を奪い合っているかのようだった。
いや、俺子どもじゃないんだけどね。
だが、ここは止めた方がいい。気付いたら周りに下っ端立ちが集まってきているし、この二人は部隊長という何やらたいそうな肩書きを持っているものどうし。
恐らくここで戦闘に発展すれば、ただでは済まない。
俺と下っ端たちが。
「アラソイ……ヤメテ……」
触手を蛇男とイリスさんの手首に巻きつける。俺の様子を見て、イリスさんは驚きながらも穏やかな笑みを浮かべる。
対照的に蛇男は苦々しい表情で舌打ちをした。
「ごめんなさい。怖かったわよね。でも、これはあなたのための戦いなの」
イリスさんが俺の目を見て、優しく語りかける。
「ふん。くだらない。人形ごっこなら他所でやってください。タッコン部屋に帰りますよ。私のもとに戻ってくるなら今回の失敗は許してあげます」
蛇男は俺たちの様子を見てから、鼻を鳴らすと戻って来いと俺に手を伸ばす。
その手をイリスさんが振り払おうとするが、俺がそれを止める。
「タ、タッコン……?」
俺の行動が信じられないのか、イリスさんは瞳を揺らして動揺を露わにする。
逆に、蛇男は嬉しそうに口角を吊り上げる。
二人の様子を見てから、俺は蛇男の前に立つ。
そして、頭を下げる。
「オレ……イリスサン……ツイテク……」
「タッコン……!」
「何ですって?」
俺の言葉に感動したように、イリスさんが俺の触手を手に取る。
蛇男は表情を歪めて俺を睨む。
「私と敵対する。そう言っていることと同じですよ?」
蛇男の言葉に静かに頷きを返す。
それを見た蛇男は歯軋りを一つして、背を向けた。
「そうですか。あなたがそのつもりなら、それでいいでしょう。ただし、覚えておきなさい。私は蛇。一度決めた獲物は、地の果てまで追いかけてでも仕留めます」
「そんなことは私がさせないわ」
蛇男の言葉に即座にイリスさんが返事を返す。
だが、蛇男が再び振り向くことはなかった。
「さて、それじゃご飯を食べに行きましょうか」
蛇男がその場から立ち去ったあと、重くなった空気を変えるように明るい声でイリスさんがそう言った。
その言葉に頷きを返し、俺たちは食堂へと向かった。
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