第93話 彼女たちの戦い

 一人の妖精がいた。

 「愛の国」と呼ばれる、愛に溢れた世界に生まれたその妖精もまた愛に溢れた存在だった。

 他の妖精を愛し、草木を愛し、人間を愛した。

 「愛の国」の中でも、高い能力と深い愛情を持っていたその妖精は、人間界へと向かう「愛の国」の中でも選りすぐりのエリートの一人に選ばれた。

 その妖精はそれを心底喜ぶとともに、誇りに思った。

 愛に溢れ、力は弱いながらも手を取り合い生きていく人間が彼は好きだった。


「頑張れ! ルシリン!」


「ああ。私は先に行くぞ。お前も早く来いよ、ラブリン」


 自らの弟分の頭を一つ撫でてから、一人の妖精――ルシリンは人間界へと向かった。


***


 妖精たちが生きていくためには、愛の力が必要となる。

 人間たちでいう酸素や水、食べ物が妖精たちにとっての愛の力のようなものだ。

 愛の国は愛で溢れている。だが、人間界は愛の国ほど愛に溢れているわけではない。

 そして、愛の力は愛に溢れた人間の傍にいることで最も効率よく集めることが出来る。

 故に、妖精たちは出来る限り早い段階で自らの持つ愛と適性のある人間と契約する必要がある。だが、妖精という存在が多くの人間たちにバレれば厄介な事件が起こることに間違いはない。

 だからこそ、妖精たちはとある能力を使い、人間界に溶け込む。

 その能力は、ステルス能力。

 妖精たちは、彼らの持つ愛と適性のある人間にしか姿が見えないようにしている。


「え!? よ、妖精さん!?」


 そして、ルシリンは一人の少女と出会った。


 ルシリンは今でも思い出す。

 たくさんの人を、ものを愛した一人の少女を。

 その少女が裏切られ、傷ついていく姿を。

 愛のために、この世からいなくなってしまった少女の涙を――彼は一生忘れない。

 それが、少女を守れなかった彼に出来る数少ないことの一つだから。



***



「ボス。準備が整いました。組織に残った下っ端たちも全員動けます」


 イヴィルダークのボス――かつて、愛の国の麒麟児とまで言われたルシリンはガルドスの言葉を聞き、玉座から腰を上げる。


「そうか。……ここまで長かったな」


 天を見上げながら、ルシリンは呟く。


「はっ」


「行くぞ。ガルドス。今日が、この世界から愛を奪いつくす計画の真の始まりだ。先ずはこの街から、人々の愛を奪いつくす」


「はっ! では、私たちは先に向かって暴れておきます!」


 そう言うや否や、ガルドスは部屋を出て行く。


(これ以上、この部屋にいると今にも爆発しそうなボスの憎悪に飲み込まれそうだ)


 ガルドスの考えの通り、ルシリンの感情は今にも爆発しそうだった。

 何故なら、ルシリンはずっとこの時を待ち望んだのだから。


「やっと、この日が来た。……愛、これ以上お前のような苦しむ人間はもう生まれないだろう」


 ルシリンは己の首に下げたロケットの中にある写真を見て呟く。

 その写真に写る少女の表情は笑顔だったが、どこか寂しそうであった。



***



「「「アイー!!」」」


 街中に突然姿を現した全身黒タイツの連中。

 この街では、珍しくはない光景だが、今日は余りにも量が多すぎた。


「た、助けてくれー!」

「いやあああ!!」

「うえええん! ママーッ!!」


 街中で全身黒タイツが暴れ回る。

 そして、全身黒タイツが持つ謎の注射器に刺されると、次々に人間たちが倒れていく。

 その光景に人々は恐れ、逃げ回り、街中に悲鳴が響き渡る。


 だが、そこに希望の光が差し込む。


「「「待ちなさい!!」」」


「アイ!?」


 街中の人の視線が姿を現した三人の少女に集まる。


「皆を思う温かな愛! ラブリーエンジェル・ルビー!」

「誰かを思う一途な愛! ラブリーエンジェル・サファイア!」

「変わることのない不変の愛! ラブリーエンジェル・トパーズ!」


「「「皆の愛を守ります!!」」」


 三人の美少女の名乗りと供に沸き起こる光と音による派手な演出。

 これこそ、愛の力による副作用である。


「ラブリーエンジェルきたああああ!!」

「ぎゃんばれええええ!!」

「ママーッ! 助かったよおおお!!」


 この街をイヴィルダークから守り続けてきたラブリーエンジェルと呼ばれる三人の美少女の登場に市民たちから歓声が沸き起こる。


「皆さん、ここは私たちに任せて早く逃げてください!」


 ルビー――愛乃花音の声が響き渡る。


「ありがとうございます!」

「ルビーたんの生声きちゃああああ!!」

「生でラブリーエンジェルが見れるなんて……後悔はない。ここで死んでも、僕は後悔はない……」


 感謝を伝え、その場から立ち去るものが多い中、ラブリーエンジェルたちのファンと思わしき人たちはその場で立ち止まって興奮していたり、満足げな笑みを浮かべて逝こうとしていた。


「……はあ。いつも思うんだけど、彼らはバカなのかしら?」

「ははは……。まあ、でも応援してくれるのは嬉しいじゃん!」


 呆れた表情を浮かべながらイヴィルダークの下っ端たちを倒していくサファイア――白銀イリスとトパーズ――星川明里。

 街の人々を苦しめるイヴィルダークを倒していくラブリーエンジェルたちの姿に市民は歓喜し、安堵の表情を浮かべる。

 そんな中、突如空を黒い雲が覆い、低く憎悪に満ちた声が響き渡る。


「光が強いほど影が濃くなるように、抱く愛が大きいほど裏切られた時の絶望、悲哀、憎悪は大きくなる。そして、大きな絶望は人間たちから生きる気力を奪い、取り返しのつかない悲劇を巻き起こす。お前たちの行動は大きな悲劇を生み出すことになると何故分からない?」


 ラブリーエンジェルの三人が視線を向けた先には、周りの建物をゆうに超える巨体を持った狼と鼠が混ざり合ったような禍々しい姿の化け物がいた。


「……あれがイヴィルダークのボスラブ」


 ラブリーエンジェルの傍にいたラブリンが呟く。


「そうね……。私がイヴィルダークにいた頃より、遥かに憎しみに満ち溢れてる。一筋縄ではいきそうにないわね」


 かつて、イヴィルダークに所属していたイリスは自らの記憶の中にいるボスの姿を思い浮かべながらそう呟いた。


「そっか……。でも、私たちならきっと大丈夫」

「うんうん! これまでもたくさん苦しいことがあったけど、全部乗り越えてきたじゃん! 守り切ろう。私たちの好きなこの街を!」

「ええ、そうね。行きましょう!」


 互いに声を掛け合い、そして、三人の姿が変わっていく。

 それは、かつて星川明里が己の弱さと向き合い至った、愛の境地。

 ヴィーナスフォームであった。

 ヴィーナスフォームは星川明里の様に自らの中に眠る負の感情を認め、己の全てを受け入れた時に至る領域である。

 愛乃花音は元々、元々そこに至れるだけの能力があった。

 きっかけは様々だが、愛乃花音は善道悪津という自らの友達に近づく男と触れ合い、その男に嫉妬する自分を知り、その男を認めることでヴィーナスフォームへと至った。

 白銀イリスは、イヴィルダークをやめ、己の過ちをラブリーエンジェルとして償っていくと共に、悪道善喜という男が好きだという思いを認めることで、そこへ至ることが出来た。


 今の三人は過程はそれぞれあれど、それぞれが一人の人間として悩み苦しんだ先で一つの答えを出し、覚悟を決めた。

 迷いがない。覚悟が決まっている。それこそ、戦いの上で大きな力になる。

 

「「「はあああ!!」」」


 三人は同時に地面を蹴りだし、イヴィルダークのボスであるルシリンの下へ飛ぶ。


「三人とも行くラブ! 道を誤った先輩の目を覚ましてやるラブ!!」


「「「行っけええええ!!」」」


 ラブリンの思いが、街中の人の願いがラブリーエンジェルたちに託される。

 その思いが彼女たちの力となり、ルシリンの野望を打ち砕く。


 誰もが、それを信じて疑わなかった。


虚無の世界ゼロ・キングダム


 ルシリンがその言葉を呟いた瞬間に、世界が色を失った。

 音も、色も、感情もない。

 時が止まったかのように、その世界では誰もが動きを止めていた。

 ただ一人、ルシリンを除いて。


「大きな幸福も、深い絶望も無い。誰かを愛することも、誰かを憎しむこともない。ただ、無感情に生きていく。そうすれば誰も傷つかない。誰も犠牲にならない。十の愛の言葉を一の憎悪が上回る。それが不完全な今の世界だ。数多の憎悪を持ってして、愛を謳うお前たちを倒す。全ての愛を消した後に、全ての憎しみを背負い私が消える。それにより、愛も憎しみも存在しない『虚無の世界』は完成する」


 その言葉がラブリーエンジェルたちに届いているか、それは分からない。

 理解されたいわけではない。同情されたいわけでもない。

 ただ、たった一人の愛に溢れた少女が死んだあの日から、この世界を創るとルシリンは決めていた。

 だから、それを最後まで完遂するだけ。

 ルシリンにとって、それだけのことだった。


 ラブリーエンジェルたちは覚悟を決めていた。

 この街を、愛のある世界を守り抜く覚悟を。


 だが、彼女たちがその覚悟を決めるよりずっと前からルシリンは覚悟を決めていた。

 自らが愛して止まなかった愛をこの世から消してでも、愛という少女のように傷つくものがいない世界を創ることを。


「さらばだ。愛に生きたものたちよ」


 ルシリンの指がラブリーエンジェルたちの身体に突き刺さる。

 そして、彼女たちの身体を覆う衣装が消え、彼女たちの変身が解ける。


「……これだけの愛の力。無くすには惜しいと感じてしまうあたり、私もまだ非情にはなり切れていなかったのかもしれないな。安心しろ。命を取りはしない。ただ、お前たちの愛の力を奪うだけだ」


 ルシリンの指が彼女たちの身体から抜かれる。

 それと同時に、力を失った彼女たちはコンクリートの上に落ちていった。


「時間だ。絶望がこの街を覆うことになる」


 ルシリンがそう呟くと、世界に色が戻り、人々が動き出す。

 希望に満ちた人々の表情が、目の前に広がる光景を前にして、絶望に歪んでいく。


「お、おい……ラブリーエンジェルたちはどこ行ったんだよ……」

「あ、あそこ……! あの化け物の足元に女の子が三人倒れてるぞ!」

「ま、まさかあの三人が……? う、嘘だろ? 嘘だって言えよおおお!!」


「残念だが、本当だ。ラブリーエンジェルの三人は私に敗北し、そこに転がっている」


 ルシリンがそう言い終えると同時に、人々は慌てて逃げ出した。


「くっそおお! もうお終いだああ!!」

「……う、うそだうそだうそだ。正義の味方が負けるわけないんだ。ああ、これはきっと悪い夢なんだ」

「ママーッ! 助けてー!!」


 絶望が街中を覆っていく中、ラブリンはコンクリートの上で倒れて動けなくなった三人の下へ走る。


「み、皆……。起きるラブ! じ、冗談はやめるラブ……。皆を守るって言ってたラブよ!」


 三人の身体をゆすり、声を掛けるラブリン。

 だが、三人は目を覚まさない。

 そして、彼はとあることに気付いた。


「さ、三人から愛の力を感じないラブ……!?」


 愛の力があるからこそ、彼女たちは戦ってこれた。

 それこそが、彼女たちがラブリーエンジェルたらしめるものであり、それが無くなった以上、彼女たちは一人の一般男性にさえ勝てないか弱い女子高生と戻ってしまう。


「今更、気付いたか。ラブリン。……今は見逃してやろう。愛の国は最後でいい」


 それが情けかどうかは分からないが、ルシリンはラブリンを見逃した。

 そして、ルシリンの目に既に光が無いことに気付いたラブリンは再び絶望した。

 もうルシリンは止まらない。誰にも止められない。

 希望の光は、闇の中に消えていった。


「ちくしょおおおおおおお!!」


 ラブリンがいくら叫んでも、助けに来てくれるヒロインはもういない。

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