第85話 イヴィルダーク

 星川と別れ、俺の姿は悪道へと戻った。そして、昼前になる頃に、俺はイヴィルダークのアジトを訪れた。

 平日の昼ということもあり、イヴィルダーク内の人影は殆ど無かった。


「来たか」


 アジトの廊下を歩いていると、兄貴が廊下で俺を待っていた。


「聞きたいことがあるんだろう。来い。話を聞かせてやる」


 そう言うと兄貴は俺を引き連れて、自らの部屋に向かっていった。

 兄貴の部屋に着くと、兄貴はお茶を二つ入れて、片方を俺に渡してから自分の席に座った。


「さて、お前の聞きたいことを教えてもらおうか」


「ああ。シャーロンから聞いたぞ。兄貴がイリス様を始末するように指示していたってな。……それは本当か?」


 兄貴は深呼吸を一つしてから、俺の目を真っすぐ見つめる。


「本当だ」


 そして、はっきりとそう言った。

 嘘であって欲しいと思っていた。だが、兄貴は紛れもなくイヴィルダークに所属している人間だ。

 そう言うだろうということは十分予測出来ていた。


 だが、予測できていたからと言って兄貴を許すつもりは無い。

 いや、許す許さないの話ですらないのかもしれない。

 兄貴には兄貴なりの考えがあり、イリス様のために行動していた。それは事実だ。だが、ここに来てイリス様と敵対する道を選んだ。

 なら、俺はイリス様の味方として敵対の道を選んだ兄貴をここで叩き潰すだけだ。


「兄貴、覚悟はいいよな?」


 拳を強く握りしめる。


「待て。お前は勘違いをしている」


 だが、俺が拳を振りかぶる前に兄貴が俺を止める。


「勘違い……?」


「ああ。これはカモフラージュだ」


 カモフラージュだと?


 不審な目で兄貴を睨みつける。


「まあ、そう睨むな。これは仕方なかったんだ。ボスに怪しまれてしまってな。俺が組織を裏切っているのではないかと言われたんだ。だから、ボスの目を欺くために、シャーロンに情報を流して、イリス様たちを始末する姿勢を見せたんだ」


 へらへらとふざけた笑みを浮かべる兄貴。

 その態度に、僅かに苛立ちを感じる。

 

 つまり、兄貴は自らの保身のために、イリス様を売ったということだ。

 星川が覚醒したから何とかなったものの、あの時、一歩間違えればイリス様も愛乃さんも死んでいたかもしれないのだ。

 それならば、兄貴は自らの信念のために敵対の道を選んだと言ってくれた方が良かった。


「ふざけるなよ。その行動でとんでもないことになりかけたんだぞ」


「だが、無事だった。俺はお前を信用しているからな、お前なら何とかしてくれると信じていたよ」


 兄貴はそう言って笑う。

 だが、俺からすれば兄貴の言葉には不信感しかない。


 俺なら何とか出来ると信じていた?

 なんとか出来なかったらどうする?

 こいつは、自分の行動でイリス様が死にかけたというのに、その尻ぬぐいを自分でしようとせずに俺に丸投げしたのだ。


「そう怖い顔をするな。お前のおかげで、俺へのボスの不信感は払拭できたんだ。ところで、話はこれで終わりか?」


 露骨に兄貴が話を終わらせにかかる。


「いや、もう一つある。俺は、この組織をやめる」


 俺ははっきりとそう言った。

 兄貴の話を聞き、ここで決断した。もう、この組織に俺が残る理由は存在しない。


 俺の言葉を聞いた兄貴は数秒俯く。

 そして、目を開け顔を上げた。


「待て。最後に手伝って欲しいことがある」


「手伝って欲しいこと?」


「ああ」


 兄貴は一つ頷いた後、席を立ってから俺に背を向ける。


「最終決戦だ」


 そして、そう呟いた。


「お前の働きもあり、この組織の部隊長は俺以外は全員離脱した。残るは俺とボスだけだ」


「つまり、何だ? 最後にイヴィルダークに協力しろってことか? 悪いが、断らせてもらう。俺はイリス様の味方だ。イヴィルダークの味方じゃない」


「いや、違う。逆だ」


「逆?」


「俺はイヴィルダークに反逆する。つまり、ボスを止めるつもりだ。来週の月曜。その日にボスはこの世界を飲み込むために外に出る。その時、ボスが外に出られないよう手伝って欲しいんだ」


 来週の月曜日というと、イリス様とのデートの翌日か。

 イヴィルダークのボスを止めれば戦いが止まる。結果としてイリス様たちの負担を減らせるなら、兄貴の誘いに乗るのはありだ。

 ありなんだが……。


「外に出られないように止めるって言ってるが、どうするつもりだ?」


「詳しいことは当日話す。とにかく、その日に基地に来い。それが俺からお前への最後の仕事の依頼だ」


 兄貴はそう言って頭を下げた。だが、その顔には薄ら笑みが浮かんでいた。


 ……兄貴が何かを企んでいる。そんな気がしてならない。

 その何かが何かは一切分からないが、今の兄貴は信用できない。


「悪いが――」


 ――断らせてもらう。

 そう言おうとした時、兄貴が無視できない言葉を言い放つ。


「もし、お前が来なかったら作戦は失敗するだろうな。そうなれば、とてつもなく強くなったボスが街をメチャクチャにするだろう。ラブリーエンジェルでも止められないかもしれないな」


「……イリス様も無事じゃないって言いたいのかよ?」


「いや、そんなつもりではない。まあ、その可能性もあるだけだ。別に断っても構わない。ただ、その時に後悔するかもしれないがな」


 もし、兄貴がボスを止めるために本気で俺を必要としているなら、こんな挑発めいた言い方ではなく、もっと必死にお願いするはずだ。

 それなのに、今の兄貴はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて、試すように俺を見ている。

 俺を嵌める罠。

 その可能性が頭を過ぎる。


「……分かった。行く」


 そうだとしても、イリス様に危険が迫っている以上、俺が取る選択肢は一つだった。


「お前ならそう言うと思った」


 兄貴はそう言って口角を吊り上げる。


「では、来週の月曜日にまた会おう。楽しみにしているぞ」


 兄貴はそう言うと、俺の肩をポンと叩いて部屋を後にした。

 その背中を、俺は強く睨みつけていた。




***<side ガルドス>***


 アークとの話を終えた俺は、部屋を後にしてボスのいる部屋を目指す。


 遂に、アークが組織を抜けると言い出した。

 だが、それは予測がついていたことだ。仕方がない。


「失礼します」


 ボスのいる部屋に入ると、ボスは静かに椅子に座っていた。


「来たか。……部隊長が減った。だが、全ては計画通りだ」


 ボスが怪しげな笑みを浮かべる。


「……そうですね。ボスの力が十分に溜まった今がチャンスかと」


 アークやラブリーエンジェルたちからすれば、部隊長を潰し、イヴィルダークを確実に追い詰めているように見えるのだろうが、実際はそうではなかった。

 これは、俺も最近知ったことだが、かつて、アークに指示をして街に放たせた鼠のような姿をした奇妙な獣たち。

 あれは、全てボスの分体だったらしい。

 ボスはあの時からずっと、分体に街中に溢れる人の憎しみを集めさせていた。

 俺やゲロリン、タマモ、シャーロンの部隊長たちは、ラブリーエンジェルたちに分体の存在を気取られないようにするための囮だったのだ。


 だからこそ、ボスの力は今やとんでもないものになっている。

 正直、今のままでは俺がボスのポジションを奪うことはほぼ不可能だ。


「そうだな。だが、全ての分体が戻って来るのは日曜になる。その翌日。月曜日だ。月曜日に全てを壊す。……ガルドス。お前はどうする?」


 ボスが俺を試すような目で見てくる。


「どうするも何も、私はボスについていくだけ――」


「建前を聞いているんじゃない」


 ボスが俺の言葉を遮る。

 それと同時にとてつもない重圧がボスから放たれる。


「私が気付いていないとでも思ったか? お前の目的は知っている。お前は私の邪魔をするのか、しないのか。それだけ答えろ」


「……邪魔は、しません」


 それを言うので精いっぱいだった。

 ボスは、俺が思う以上にずっと恐ろしい存在だった。


「ならいい。私の邪魔をしなければ、お前の自由は約束しよう」


 ボスはそれだけ言い放ち、俺に背を向ける。

 腹立たしいが、何も言い返せない。今は、まだ。


「……失礼します」


 ボスの部屋を出て、暫く歩く。


「……くくく。くははははは!!」


 笑いが止まらない。

 口を手で抑えるが、それでも沸き上がるこの歓喜を抑える術を俺は知らなかった。


 計画通り。

 ボスがここまで強くなることも。

 部隊長がいない状況も。

 俺の計画の範疇だ。


 確かに、ボスが分体を放って強くなっていることには驚いた。だが、それも予想外というほどではない。

 俺の計画では、ボスは確実に負ける。

 ラブリーエンジェルと対峙したことのある俺は分かる。奴らは、ここぞという場面で必ず限界を超える。

 確かに、ボスはラブリーエンジェルたちより強い。恐らく、一度目は勝てるだろう。

 だが、奴らは這い上がる。

 守るべきものを認識した時、乗り越えるべき壁の前に立った時、奴らは決して折れない。

 何度でも何度でも強くなり立ち向かってくる。


 その成長していく力を前に、ボスは敗北する。

 後は、そのボスを俺が取りこみ、ボスとの戦いで疲弊したラブリーエンジェル共を始末するだけ。


「おっと、まだ油断するのは早い。あの男だけには気を付けなければな」


 俺の邪魔をし続けるアークという男。


 シャーロンは良いところまでいっていた。だが、あいつはアークを軽視していた。アークへの警戒が足りなかった。

 だからこそ、最後の最後であいつは失敗した。

 俺は同じ轍を踏まない。


 アークよ。やめるならやめればいいさ。

 だが、もうお前を自由にさせるつもりはない。


「おい。出て来い」


「「「アイ」」」


 陰から数人の下っ端が姿を現す。

 こいつは、俺直属の下っ端。イリス部隊にいた下っ端たちとは違い、俺の言うことに忠実な正真正銘、俺の僕だ。


「アークを監視しろ。万が一、アークとイリスが付き合うことになりそうなときは、何としてでも阻止しろ。まだ、イリスに覚醒されるわけにはいかない」


「「「アイ!」」」


 返事を返した下っ端たちが陰に消えていく。

 仕込みはこれで十分。


 終わりの時は……近い。


***<side end>***

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