第13話 転入初日は最後までイベントたっぷり

 長い長い裁判が終わり、俺が新たなイリス教徒に教訓を伝え終わり、地上に出た頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。


「善道君。私はこちらなので、ここで失礼します。また明日からイリス教教徒としてよろしくお願いしますね」


 敬虔なイリス教徒と化した黒田先輩が俺に一礼する。

 黒田先輩はどうやら三年生だったらしく、受験勉強でストレスが溜まっていた頃に、図書館で出会ったイリス様に心を癒されたらしい。


 数多くの同志と出会うことが出来た。今日は本当にいい一日だった。

 鼻歌を歌いながら気分よく帰っていると、俺はとんでもないものを見てしまった。


「へいへーい! お嬢さん可愛いね? 一人で何してんの?」

「ちょっとお兄さんたちと楽しいことしない?」


「邪魔です。どきなさい」


 俺の目の前には女神に下卑た視線を向ける、二人の男たちの姿があった。それを確認した瞬間に、男たちの背後に歩み寄る。


「おいおい……。辛辣だねぇ。いいじゃねえか。どうせ暇なんだろう?」


 ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながら男の一人がイリス様の腕を掴む。


「……っ! 放しなさい!」


「いっつ……! ちっ。ちょっと顔が整ってるからって調子に乗ってるんじゃねえぞ!!」


 イリス様は直ぐに男の腕を振り払った。だが、男たちはガラの悪いナンパ男のお手本のように、顔を怒りに赤く染め、腕を振り上げる。

 その腕を俺は掴んだ。


「なっ!? 誰だてめえ!」


「……黙れ」


「「ひ、ひっ……!」」


 漏れ出た俺の殺気にナンパ男たちがたじろぐ。


「お前らの罰は三つだ。一つ目、今どき絶対に存在しないようなテンプレナンパ男であること。二つ目、イリス様を不快な思いにしたこと。三つ目、イリス様の腕に触れたことだあああああ!! くらえ! 俺の正義の鉄槌を!! ジャスティスパンチ!」


 必殺の拳がナンパ男たちに当たる――ことは無かった。


「やめなさい。そこで手を出したらあなたもこいつらと同類になるわよ」


「イ、イリス様!?」


 俺の拳を受け止めたのは他でもないイリス様だった。


「あなたたちも、この人の言う通りよ。正直、迷惑なの。早くどこかに行ってくれるかしら?」


「は、はい!」

「助けていただき、ありがとうございました!」


 イリス様はナンパ男たちを睨みつける。その目を見たナンパ男たちは身体を震わせてから、直ぐに頭を下げて何処かに消えていった。


 ちっ! イリス様の優しさに救われたな!


「ねえ」


 心の中でナンパ男に毒づいていると、イリス様に声を掛けられる。視線をイリス様の方に向けると、そこにはジト目を向けてくるイリス様の姿があった。


「な、なんでしょう?」


 か、顔が近い。こんな近くでイリス様に顔を見られるなんて……照れちゃうじゃないか!


「さっき、私のことをイリス様と言ったわよね?」


「え? あ、はい」


「……悪道という馬鹿を知っているかしら?」


 ドキッ!!


 悪道とは他でもない俺のことだ。ま、まさかイリス様は俺の正体に気付いたのか?

 やはり変装していても愛する者同士は気付いてしまう運命にあるのか!?


「……誰のことですか?」


 だが、今の俺はイリス様に正体をばらすわけにはいかない。イリス様に「そうです! あなたのナイトです!」と叫びたい気持ちを抑え、すっとぼける。


「そう……」


 俺の言葉を聞いた、イリス様は悲し気に視線を下げた。


 いや、マジで胸が痛い。どうやらイリス様と敵対するという俺の選択は俺が思う以上に険しい道のりのようだ。

 だが、敵対したからこそこれまでには無かった、イリス様が俺を気に掛けるという現象が起きたことも間違いのない事実だ。やはり、兄貴の言っていた作戦は正しかったらしい。


 ここは我慢だ。大丈夫だ。必ず最後はハッピーエンドを迎えられるはずだから。


「それじゃ、私は帰るわ……。あと、私のことを様付けで呼ぶのだけはやめて」


 イリス様の目には有無を言わせぬ凄みがあった。だが、俺の方を見ているはずの彼女の目は俺ではない誰かを写しているように思えた。

 その誰かが酷く恨めしい。もしその誰かとイリス様が二人で並んで歩く姿を見た日には、俺はきっと憎悪でおかしくなってしまうだろう。もしかすると、この世界を滅ぼすことも考えてしまうかもしれない。

 暫くの間、イリス様の目に映る誰かへの憎しみで心が支配されていたが、背を向けるイリス様を見て、とある事実に気付いた。


「あ! ちょ、ちょっと待ってください! さっきのこともありますし、帰り道に女の子一人は危ないですよ!」


「さっきの私の動き見ていなかった? 少なくともあなたの本気のパンチを受け止められる程度の実力はあるから心配無用よ」


「だとしても、さっきみたいに複数人で襲われたら大変だと思います! 送っていきます! というか、心配なので送らせてください! お願いします!!」


 土下座して、イリス様の返答を待つ。


「……好きにすれば」


 ため息を一つついた後、イリス様はそう言った。


「はい!!」


 許可を貰ったことに喜びながら、イリス様を守れるように三歩後ろからついて行く。

 辺りへの警戒を怠らず、常に周りを見ながら歩くこと数分。やけに視線が集まっていることに気付いた。


 ふむ。イリス様の美貌に注目が集まってしまうことは仕方ないことだ。だからこそ、イリス様を付け狙う輩が現れても対処できるようにより一層警戒を強めなくては!


 そう思いながらイリス様の後をついて行く。だが、どうもおかしい。イリス様に視線が集まっていると思っていた。だが、違う。視線の先にいるのは俺だ。

 しかも、俺に視線を向けている人たちは皆、訝しむような目を俺に向けている。

 何故だろうか?


「あ、あの!」


「なんですか?」


 そんなことを考えていると、一人の女性がイリス様に声をかけた。いくら女性と言えど、イリス様を襲う可能性が0とは言い切れない。女性が少しでも怪しい動きを見せたら、直ぐに撃退できるようイリス様の傍に近寄る。


「その……尾けられていますよ?」


 女性は恐る恐るそう言った。


 尾けられている!?

 そんな……。俺が警戒していた限り怪しい人間はいなかったはずだ。まさか、俺の包囲網を潜り抜けてイリス様を尾けていたやつがいたというのか!?

 だとすると、そいつは恐らく相当の手練れ。これは、より一層警戒心を高めなくては……。


「ああ。大丈夫です。一応、知り合いなので」


 イリス様は苦笑いを浮かべながら女性にそう言った。それを聞いた女性は、「そうですか……」と言って、渋々と言った様子でイリス様から離れていった。


「白銀さん! 大丈夫じゃないでしょ! 知り合いとはいえ、ストーカーする奴に碌な奴はいませんよ!」


 イリス様と呼ぶなと言われてしまったので、泣く泣く苗字にさん付けでイリス様の名を呼ぶ。

 イリス様の判断は慈悲深い女神としては正解かもしれない。だが、ストーカーの様な悪党にはビシッと言わなければダメだ。そうしなければ、奴らはどんどんつけあがり、イリス様の交友関係にも影響を出し始めるだろう。


「はあ……。さっきの、あなたのことを言ってたのよ」


 ため息を一つ付き、ジト目を向けてきながらイリス様はそう言った。


「なっ!? 俺がストーカー? おかしなこと言わないでください! 俺は白銀さんを不埒な輩から守るナイトですよ!」


「ストーカーは皆そう言うのよ」


 ば、馬鹿な……!

 気付かぬうちに俺は、イリス様に危害を加えてしまいかねないストーカーと同じ存在になってしまっていたのか……?


 悲しい現実に打ちひしがれ、その場に膝をついてしまう。この世界は無情だった。どれだけ、俺が高尚な思いを持っていたとしても、残るのは結果だけだ。そして、その結果で判断される。


 結果、俺は周りの人から見てストーカー認定されてしまったのだ。


 これを悲劇と呼ばずして何と呼ぶのだろうか。


「……後ろを付いてくるからそうなるんでしょう。私の横を歩けばいいじゃない。ほら、家まで送ってくれるんでしょう? 早く、来なさい」


 僅かに頬を赤く染めながらイリス様はそう言った。


 その言葉に、俺の心が少しだけモヤッとする。

 俺が悪の組織にいた頃、イリス様の隣に立つことはほぼなかった。それこそ、最後のデートの日くらいだ。あの時も許可を得たわけではないが、あの日だけはイリス様から拒否されることも無かった。

 だが、今のイリス様は、何故か善道とかいう今日が初対面の男に隣で歩くことを許している。


「どうしたの?」


 心配そうにこちらを覗き込むイリス様。その顔を見て、俺は首を振り、湧いてきた感情に蓋をする。


「いえ、何でもないです。それじゃ、行きましょうか」


 まさか自分に嫉妬する日が来るとは思いもしなかった。だが、同じ俺だ。気にすることなんて無い……はずだ。それに、イリス様が俺に気を許してくれているということに変わりはない。

 だから、大丈夫だ。


 自分の心に言い聞かせて歩く。いつもならイリス様と手を繋ぎたいと思うが、今日は違う。これ以上イリス様と仲良くなると、善道という偽物の俺がイリス様とくっついてしまいそうで、怖かった。


「そうね」


 俺の表情を見たイリス様は、少し怪訝な表情を浮かべたものの、追及はせずに歩き出してくれた。


***


「今日はありがとう。一応、お礼を言っておくわ」


「いえ、好きでやったことなので」


 それだけ言い残して、踵を返す。今は、善道という男がこれ以上イリス様に好かれないように、少しでも早くイリス様から離れたかった。


「ちょっと待って」


 だが、そんな俺をイリス様は引き止める。


「……あなた、兄弟とかはいる? もしくは、親戚にあなたと同じくらいの歳の人とかは?」


 先ほど抱いた思いと同じ思いが再び湧いてくる。

 善道という男とイリス様は今日が初対面だ。それは間違いない。少なくとも、昼休みの頃はイリス様は俺に対して初対面の相手に対する接し方だった。

 なのに、どうしてそんなに積極的に関わろうとしてくる? 何故、善道という男のことを知ろうとする?

 何で、そんなに希望に満ちた目をする? 俺の時は違ったじゃないか。俺と、善道で何が違う。どちらも中身は同じだ。中身は、同じなんだ。


「うーん。いませんね」


「そう……」


 イリス様が残念そうに肩を落とす。


「何でそんなこと聞くんですか? 俺と白銀さんは今日が初対面ですよね?」


「……あなたが私が知るバカに少し似てたの。私の前から消えた、バカに」


 イリス様が寂しげにそう呟く。

 納得した。悪道として俺がイリス様と出会った時はイリス様は愛を憎む女性だった。

 だが、善道として出会った時のイリス様は「ラブリーエンジェル」の一員。即ち、人の愛を肯定する側の人間になっている。

 恐らく、イリス様が悪道としての俺と出会ってからイリス様には心境の変化があったはずだ。じゃなきゃ、組織を抜けたりしない。

 そして、その心境の変化に関わっている人間、もしくは心境が変わった後に、イリス様の心に深く残る人間がいたのだろう。

 その人間こそがイリス様の言うバカというわけだ。


 イリス様にここまで思われるなんて……羨ましい! だが、そのバカは許せない。イリス様の前から姿を消し、悲しませるなんて……見つけたらボコボコにして、イリス様の前に突き出してやる!!


「ごめんなさい。さっきの話は忘れて。今日は本当にありがとう。助かったわ」


 イリス様はそう言うと、俺に背を向けて立ち去った。

 何かを声を掛けるべきだったのかもしれない。だが、俺はイリス様とイリス様が探しているであろうバカの関係性を全く知らない。

 愛のような不確かなものを嫌っていたイリス様がそれだけ思う相手だ。安易に踏み込んではいけない気がした。


 帰り道をゆっくりと歩きながら考える。


 それにしても、本当に羨ましい。イリス様にあれだけ思われるとは……。

 ん? 待てよ? そう言えばイリス様は、あのバカと俺が少し似ていると言っていた。つまり、だ。俺もイリス様にあれだけ思われる可能性を秘めているということになる!

 素晴らしい! これは朗報だ! イリス様には申し訳ないが、イリス様が探しているバカがいない今が俺にとって最大のチャンス!


 よし! 頑張るぞ!

 あ……。でも、今の俺も本当の俺じゃなかった……。


 ちくしょおおおおお!!

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