第9話 私のせいで悪党になった彼を、私は追いかける

「イリスちゃん……」

「イリちゃん……」


 呆然と、彼がさっきまでいた場所を見つめる私に、花音と明里が声を掛けてくる。


「さっきの人って、イリスちゃんがイヴィルダークにいた頃に部下だった人だよね?」


 彼は花音かのん明里あかりにとっても、印象深い存在だったようで、花音がそう問いかけてくる。

 私は、ゆっくりと頷いた。


「そっか……」


 花音はそれ以上、言葉を続けなかった。それが私にはありがたかった。私が選び取った、イヴィルダークを辞めるという選択、もう一度愛を信じるためにラブリーエンジェルとして戦うという選択の先に待っていたものは私が望むものと少しだけ違った。


「ごめんなさい……。今日は、先に帰らせてもらうわね……」


 それだけ言い残し、二人に背を向ける。後処理を二人に丸投げしてしまうのは申し訳なかったが、今は、どうしてもそんな気分になれなかった。


「ダメ」


 だが、私のお願いは明里に却下された。


「ちょ、明里ちゃん……」


「ダメだよ。ここでイリちゃんを一人にしちゃダメ。ねえ、イリちゃん。私はね、イリちゃんもかのっちも愛してる」


「へ!? あ、明里ちゃん、何言ってるの!」


 突然のカミングアウトに花音が顔を赤くする。正直、私も驚きのあまり固まってしまっていた。


「かのっちも私とイリちゃんのこと愛してるよね?」


「え、えええ! な、何で急にそんなこと聞いてくるの!」


 顔を赤くして目を回す花音に明里が詰め寄る。


「……愛してないの?」


 両手を組んで、上目遣い。目を少し潤ませながら明里は花音に問いかける。


「そ、それは……どっちかと言えば愛してる、けど……」


 花音はトマトの様に顔を真っ赤にして、俯きながらそう呟いた。その答えに満足したような笑みを浮かべ、明里が私に指を向ける。


 ま、まさか……。


「イリちゃんは? イリちゃんは私と花音のこと愛してる?」


 明里が私に詰め寄る。明里の質問に対して、私は俯いた。


「……分からない」


 それが私の本音だった。私の周りにいる、何かを愛している人は、愛のある人は誰から見ても明らかに愛していることが伝わってくる。

 例えば、花音。あの日、私と彼が落とし物探しを手伝った子の姉が花音だった。

 あの時も分かっていたが、改めて花音と話したり、花音の家にお泊りしたりして分かった。花音の家族への愛情は群を抜いている。そして、花音の家族たちの花音への愛情もそれと同じくらい凄かった。


 明里もそうだ。明里の場合は、アイドルへの愛が凄い。アイドルについて語らせたら右に出る者はいないんじゃないかと思うほどだ。幼い頃に、元気を貰ったアイドルに憧れ、自分もそうなりたいと願い、真っすぐに生きている彼女の姿は、私には眩しすぎる。


 そして、彼。

 私のことを愛していると言って、私が大好きだと言い続けていた、彼。彼の思いに、私は……何一つ応えられなかった。いや、応えようとしていなかった。


 情けない。

 愛を知りたいと思った。彼の思いに真剣に向き合いたいと思った。でも、結局私は愛のことを一つも理解できていない。

 こんな私を思ってくれる、花音と明里を愛していると自信を持って言うことも出来ない。

 きっと、花音も明里も私の言葉を聞いて私を軽蔑する。そう思った。


「そっか。良かった」


 でも、私の予想とは違い、明里は柔らかな笑みを浮かべて心底嬉しそうにそう答えた。


「良くないわよ! 私が愛を知らないせいで、誰かを愛しているって言葉も言えない人間のせいで、今までたくさんの人を傷つけてきた! 愛を知りたいと思って、あの組織を出たのに、私はまだ何も変わっていない……」


 能天気に笑う明里を見て、私は思わず声を荒げていた。八つ当たりだと理解している。明里の言葉に悪気が無いことも分かっている。

 それでも、溢れ出る感情を抑える術を私は持ち合わせていなかった。


「変わったよ。イリスちゃんは間違いなく変わった」


 怒鳴り散らした私の言葉を聞いて尚、花音はそう言った。


「今までのイリスちゃんは、愛が何かを知ることも拒否してた。でも、今はそれを知りたいと思ってる。そして、愛を知るために私たちと一緒に戦うことを選んでくれた。それは、大きな、本当に大きな変化だよ」


「そうそう! イリちゃんは変わろうとしている。それが一番大きな変化だって! それに、イリちゃんは愛を知りたいんでしょ? なら、私たちを頼ってよ! 愛は、心を受け止めるって書くんだよ。イリちゃんの良いところ、悪いところ、それらを知って、受け止めるたびに私たちのイリちゃんへの愛は深まるんだよ。 それと同じで、イリちゃんが私たちのことを知って、受け入れてくれるうちにイリちゃんが私たちのことを愛しているって言えるようになって欲しいんだ」


 明里の言葉は、いつだか彼が言っていた言葉によく似ていた。


「うん。私もそう思うな。それに、愛は一人だけじゃ生まれないんだよ。だから、私たち三人で悩みも苦しみも共有しようよ」


 花音と明里が穏やかな笑みを浮かべる。二人が、本当に私のことを思ってくれていることが伝わってくる。胸の辺りがポカポカと温かい。

 この二人ならきっと私のことを受け入れてくれるのだろう。

 それでも、私はあと一歩を踏み出せない。幼少期の記憶のせいか、私は人を愛して、裏切られることが怖い。


 あ……。


 そこで気付いた。私が彼にしていたことは、私が過去にされたことと同じだったのかもしれないということに。

 彼の愛を真剣に受け止めようとせずに、受け流して、無視してきた。だから、彼は私を見捨てたのかもしれない。


「……ごめんなさい。私は、やっぱりあなたたちと一緒にいるべきじゃない」


 やはり、私じゃ二人に相応しくない。彼に裏切ったなんてどの口が言えるのだろう。彼の思いを先に平然と踏みにじっていたのは、私の方じゃないか。

 私なんかじゃ、やっぱりダメだ。


 そう思った私は二人に背を向け、逃げた。


***


 私は、今でこそこの世界を守るために戦う「ラブリーエンジェル」たちの一員だが、かつてはこの世界から愛を消すために活動する悪の組織「イヴィルダーク」に所属していた。


 幼いころから、私の周りに愛は存在していなかった。

 私の両親はどちらも碌でもない大人だった。父親はギャンブルと酒に溺れていて、殆ど家にいることはなかった。家にいる時は、当時まだ幼い私にギャンブルで負けたストレスを暴力という形で発散するような最低な父親だった。

 母親は母親で、ホストに金を貢ぐような女だった。両親曰く、私は望まれない形で生まれた子供らしい。母は私に暴力を振るうことは無かったが、私に何もしてくれなかった。


 今なら分かる。あの両親にとって私は邪魔な存在でしかなかったことが。そんなクズな親だった二人だが、悪知恵を働かせるのは得意だったようで、私を洗脳するかのように毎日愛していると言ってきた。


 愛故に、お前を殴る。

 愛故に、お前を無視する。


 都合の良い言葉を使って、自分たちの行動が悪いことではないと私に教えようとして来ていた。

 そして、何も知らない幼い私はそれが愛なのだと信じ込んでいた。


 だから、私は頑張った。愛してくれる両親に喜んでもらえるように、父親が連れてくる男の大人たちの相手をした。

 母親が持ってくる訳の分からない薬品を飲んだ。


 時に、大人たちに乱暴された。裸にされたこともある。父親が商品価値を高めるために、本番行為はさせなかったが、それでも今思えば信じられない行為をさせられていた。

 母親が持ってくる薬品は当たり外れが激しかった。今でも、あの薬品をどこから持ってきたのかは分からないが、外れの時は三日間吐き続けることもあった。全身におかしな斑点が浮かび上がることもあった。


 地獄の様な日々だった。

 それでも、これが愛なのだと、私は両親に愛されているのだと信じていた私は、それをおかしいと思わなかった。

 両親が愛してくれているから、私もその愛に応えたい。私は、両親を愛していた。


 ある日、おつかいから家に帰ると両親の姿は無かった。夜が明けても両親が戻ってくることは無かった。

 そして、両親が姿を消した翌日の昼。家に黒いスーツを着た男たちがやって来た。


「お前は売られた」


 男の一人が、両親が私を売った証拠である紙を突き出す。そこには、確かに見慣れた文字で書かれた両親の名前があった。


「お前は愛されてなどいなかった」


 頭の中が真っ白になった。信じていた。信じたかった。薄々、両親が私に興味無いことなんて気付いていた。

 それでも、私が二人を愛して、二人のために頑張り続ければいつか振り向いてくれると思っていた。私を愛してくれると思っていた。


 でも、それは淡い幻想だった。


 自分が愛されていないという事実を突きつけられた私の心に残ったのは、両親への憎しみと、愛への恨みだった。

 愛したところで、愛されるわけじゃない。愛という言葉を都合よく使われ、私は苦しめられた。

 愛なんて、人間の欲望を前にすれば風に吹かれる塵のようなものだ。


 だから、私は黒スーツに連れられた先で出会った男に従い、「イヴィルダーク」の戦闘員として戦い始めた。


***


 あてもなく、河川敷を一人で歩く。普段なら、差し込む夕日で眩しくなる河川敷も、今日は太陽が雲で覆われており、ただ時間と供に少しずつ暗くなっていくだけだった。

 組織にいた頃は、ただ愛への憎しみだけが頭の中にあった。自分が誰かに愛されることも、誰かを愛することも考えなかった。


 でも、悪道という男に出会って、その考えが変わってきた。真っすぐ、私に思いをぶつけてくれる彼と関わるうちに愛は本当に憎むべきものなのか分からなくなってきていた。それと同時に、幼い頃の記憶を思いだした。


 子供が私の攻撃で、危ないめに遭いそうになった時、幼い頃の自分を思いだして、咄嗟に攻撃を中断してしまった。

 その時には、既に私はおかしくなっていた。


 そして、私は愛を知るために、組織を抜けた。

 その結果がこれだ。


 私を愛してくれていた人を裏切って、私を愛してくれていた人に見捨てられて……。


「私は、誰にも愛されるべきじゃなかったのかもしれない……」


 その呟きは誰にも聞かれずに、宙へと消えていくはずだった。


「「そんなことない!!」」


「どうして……」


 私のすぐ後ろには、明里と花音の姿があった。


「まだ、短い時間しか一緒にいないけど、イリスちゃんと仲良くなりたいから、イリスちゃんに愛の良いところを知って欲しいから」


「イリちゃんはもう私たちの仲間だからね!」


 自分から離れておきながら、追いかけてきてくれたら嬉しいと感じてしまう。

 でも、私なんかを愛せばきっとこの二人も彼の様に傷ついてしまう。


「あなたたちがどれだけ私のことを大切に思ってくれても、きっと私はあなたたちを裏切ってしまう。だから、だから――」


 声が震える。この言葉の先を言えば、二人もきっと私を諦めてくれる。

 それを望んでいるはずなのに、それがどうしようもなく恐ろしかった。


「裏切られてもいいよ」


 私の言葉を遮ったのは、花音だった。


「イリスちゃんを大切に思うのは、私がそうしたいからそうするの。だから、裏切られてもいいよ。代わりに、私もイリスちゃんのことを諦めてやったりなんてしないから」


「うーん。私は出来たら裏切られたくはないかなぁ。でも、今の言葉でイリちゃんが私たちのことを思ってくれてるってことは伝わって来たよ。だから、イリちゃんを諦める理由は全くないね!」


 堂々とそう言う二人の姿に私は言葉を失った。

 この二人は異常だ。人の言葉を無視して、自分の思いを押し付けて……。でも、それが私にはどうしようもなく嬉しい。


「イリスちゃん、間違えてもやり直せるよ。だから――」

「もうイリちゃんは一人じゃないんだよ。だから――」


「「この手を取って」」


 私は弱い。

 たくさんの人を傷つけて、彼を裏切って、今更私が幸せになるなんてあまりにも図々しいことなのに、私が誰かに愛されたり、誰かを愛する資格なんてないって自分でも分かっているのに、私はこの二人の手を取ってしまう。

 もう一度だけ、やり直すチャンスが欲しいと思ってしまう。


 私が裏切ってしまった彼を、花音の様に、深く、明里のように真っすぐ、そして、彼の様に純粋に愛したい。

 そう思った。


「ごめんなさい。どうしても愛してみたいと思える人がいるの。もう一度、私の手助けをしてくれる?」


「「もちろん!」」


 二人は私の不安を払拭するように、明るい笑顔で快く引き受けてくれた。


 雲の隙間から私たちを夕日が照らす。

 もう迷わない。今度は、私が彼を追いかける番だ。

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