第8話 好きな人が光堕ちしたけど、俺は悪党のまま

「うわあああああ!! 心が痛えええええ!!」


「「「ア、アイ~」」」


 組織の本部に戻った俺は頭を抱えて叫んでいた。そんな俺を部下たちは慰めてくれている。


「お、お前ら……分かってくれるか?」


「「「アイ」」」


 よく見れば部下たちの胸元には、俺が作ったイリス教信者を示すバッジがついていた。


「お、お前ら……!! お前らも辛かったんだな。俺たちの女神に逆らうことになるなんて……イリス様は俺たちにとんでもない試練を与えたなぁ」


「「「アイアイ」」」


「だが、この試練を乗り越えることで俺とイリス様の愛はより強固なものになるに違いない。よし! 気合入れ直して頑張るか!!」


「「「アイ―!!!」」」


 前々から俺と関わりがあった部下たちは皆、ノリが良かった。


「あ、そういえば全員無事か?」


「「「アイ!!」」」


 上司として部下の状態を確認したところ、怪我人は多数いるが全員無事に帰ってこれているようだった。


「じゃあ、俺は兄貴の所に行くから、お前らは怪我の手当てして休んでおいてくれ」


 部下たちに声を掛けた後、俺は兄貴の下へ向かった。

 兄貴のいる部屋に入ると直ぐに兄貴に声を掛けられた。


「任務でイリス様たちに会ったみたいだな。正直、お前はイリス様を突き放すことは出来ないだろうと思っていたから、少し意外だったぞ」


「何だ。兄貴は見てたのか。正直、心苦しすぎて死ぬかと思ったし、イリス様の表情を見た時は胸が痛くて仕方が無かったよ。でも、イリス様に呼び止められるっていう今までにはあり得なかったこともあったし、効果はあったぜ」


 俺の言葉に兄貴は頬を緩ませた。


「その調子なら大丈夫そうだな。それで、ここからが本題だが……。これを見てくれ」


 兄貴が差し出したのは、とある高校のパンフレットだった。


「ここがイリス様が現在通っている学校。つまり、お前に通ってもらう学校だ」


 こ、これが……! 見た感じ、イリス様の通っている学校は私立の学校のようだ。兄貴の話によると、金を積むことで俺はこの学校に編入できるらしい。いわゆる裏口入学というやつだ。既に、編入手続きは済んでいるらしく来週から通学すればいいようだった。


「それと、お前には変装をしてもらう」


「な……! それじゃ、イリス様に俺だって気付いてもらえないじゃねえかよ!!」


「気付かれたらダメに決まってるだろ。イリス様とお前は今は敵対する人間だ。お前はあくまでイリス様を監視する人間なんだから、イリス様にその正体を知られてはいけないんだ」


 悔しいが、兄貴の言うことに俺は反論することが出来なかった。


「だが、正体を知られず、お前が監視の仕事を全うするなら、俺たちはお前の大抵の行動には目を瞑ろう。流石に俺たちと敵対するのは許せないが、それこそイリス様たちと仲良くしてもいいだろう」


 兄貴の言葉に少し考える。つまり、これから俺は、俺ではない人間としてイリス様たちと関わることになるという訳だ。だが、俺ではない人間としてイリス様の好感度を上げる意味はあるだろうか?


 いや、その点に関して言えば意味はないという答えになる。だが、俺も馬鹿ではない。俺じゃない人物を装ってイリス様に近づくメリットくらい思いつく。

 例えば、別人としてイリス様に近づき、イリス様の好物をリサーチしたり、イリス様に近づく害虫たちを駆除したりするとかだ。

 つまり、トータルで見ればこの作戦による俺のメリットは非常に大きいことが分かる。

 だが、問題点もある。


「俺がイリス様の監視をしている間はこっちの組織の定期的な任務はどうなるんだ?」


 そう。俺たちの組織では基本的に週に最低三回は街で暴れることで人々の愛の力だか何だかを奪うという任務をしなくてはならない。特に、これまで俺は学校にも通っていなかったということと、イリス様と出会う機会を増やすという理由でほぼ毎日任務をこなしていた。

 だが、イリス様の監視を行う上で俺の正体を知られるわけにはいかないし、イリス様たちの敵組織と関係があることを知られるわけにもいかない。

 そのことを考えると俺が今までの様に積極的に任務をこなすのは危険だ。


「そうだな……。申し訳ないが任務には参加してもらわなければならない。イリス様が抜けたことでこっちの戦力は減り、逆に敵の戦力が増えたわけだからな、人手が足りないんだ。だが、任務に出る数は減らそう。そうだな……。週に一回出てくれれば十分だ」


「そ、そんなに少なくていいのか?」


 正直驚いた。兄貴の言う通り、俺たちの組織はラブリーエンジェルたちに連戦連敗している上に、イリス様という数少ない実力者を失った。これからの戦いで苦しくなることは目に見えているのに……。


「何も心配する必要はない。それと、組織に来るのも任務に行くときだけでいいからな。イリス様の監視についての報告もその時にまとめて聞く」


 兄貴は笑顔で俺にそう言ってきた。


 理由は分からないが、兄貴には兄貴なりの考えがあるのだろう。俺自身、イリス様と過ごせる時間が増えるならそれに越したことはない。

 ここは兄貴の言葉に甘えさせてもらおう。


「分かった。じゃあ、俺は明日に備えて準備するよ」


「ああ。制服や教科書はお前が使っているロッカーに入れておいたから持って帰ってくれ」


「了解」


 部屋を出てからロッカーもとい、着替えをする場所に向かう。ウチの組織の人は全員が街の中で暮らしている人間たちだ。その人たちが『愛の国』という別の世界から来た生き物の力を借りて戦っている。

 詳しいことは俺も知らないが、この組織に入る契約時にそう言った話をされた。

 そのため、普通の人から戦闘員用の服に着替えるためのロッカーが存在しているという訳である。


「うし。暫くはここに来ることも少なくなるな」


 着替え終わった俺は、ロッカーの中をある程度整理し、ロッカールームから出た。


「「アイ……」


 ロッカールームを出た俺を待っていたのはイリス様の部隊に所属している下っ端たちだった。表情は分からないが、下っ端たちの声にいつもの元気は無かった。


「どうした?」


「アイ」


 一人の下っ端が一枚の紙を取り出した。それは、俺が特別な任務に当たるため、一時的に部隊から離れるというものだった。


「ああ。それか。ふっ! 喜べお前ら! 俺はこの度イリス様を監視するという素晴らしい任務を授かったのだ!」


 俺の元気な声にも下っ端たちは弱弱しく返事を返すだけだった。


 何だこいつら。全然キャラにあってねえじゃねえか。まあ、でも気持ちは分かる。ただでさえイリス様ロスになっているというのに、今度はイリス教創始者の俺がいなくなるんだからな。敬虔なイリス教徒のこいつらは自分たちだけでやっていけるか不安なのだろう。


 仕方ない。ここはこいつらに自信を付けさせるとするか。


「イリス教教義その一!!」


 俺が大きな声を出すと、下っ端たちは顔を上げた。


「俺たちがイリス様に抱く思いは!!」


「「「アイ―!!」」」


「その2!! イリス様のカップ数は!」


「「「アイ―!!」」」


「そんなわけ!」


「「「ナイー!!」」」


「その3!! イリス様はめちゃくちゃカワ!!」


「「「イイー!!!」」」


 アイくらいしか喋られないこいつらでも教義の斉唱を楽しめるように考えたイリス教教義。

 この教義のおかげでイリス様の部隊の下っ端はナイも言えるようになった。俺にとっても、こいつらにとっても思い出深いものだ。


「胸を張れ。イリス様がいなくても俺たちのイリス様への思いは変わらない! いつイリス様に会ってもいいように常に自分を磨き続けるんだ。大丈夫だ。イリス教徒である限り、俺たちは必ずまた出会う」


「「「アイ!!」」」


 敬礼の構えをとる下っ端たち。その姿は戦う覚悟を決めた立派な兵士だった。


「いい返事だ。またな」


 下っ端たちに手を振って本部を後にする。振り返りはしない。俺が本部を暫く留守にしても、きっとあいつらは大丈夫だ。そう思えた。



***


 副部隊長が出て行くのを俺たちは暫く眺めていた。


 俺たちの様な下っ端にも積極的に話しかけてくる可笑しな人だった。


 初めての出会いから衝撃的だった。イリス様の部隊に突然やって来たそいつは、新人にしていきなり名前が与えられる実力者だった。

 初めはその才能に嫉妬した。でも、その嫉妬心は直ぐに無くなった。


 理由は簡単だ。そいつが余りにもイリス様のことしか頭にない馬鹿だったから。


 俺たちと同じように、いや、俺たち以上に任務をこなし、イリス様の傍で努力し続けるあいつを見てきた。イリス様が悲しむかもしれないという理由で俺たちを助けようとするあいつを見てきた。毎日のように、イリス様が好きだというあいつを見てきた。

 馬鹿だったが、誰よりも真っすぐで愛に溢れた奴だった。


 俺たちの組織は人々から愛を奪うことを目的にしている。そのため、この組織に所属している人はあいつを除いて全員が愛というものを嫌っているし、この社会を少なからず憎んでいる。


 俺もそうだった。でも、あいつと出会って少しだけだがその考えが変わってきた。


 愛なんてものは嫌いだ。


 俺は碌に愛を与えてもらえずに育ったから。


 愛なんてものは嫌いだ。


 愛を知らない俺は他人に愛を与えることが出来ないから。


 でも、もしあいつの傍にいることで愛を知れるというなら、少しだけ愛を知ってみたいと思ってしまった。

 愛を奪う組織で愛を知りたいだなんて、俺もたいがいあいつに毒されてきているらしい。

 でも、俺と同じようにあいつが本部から出て行くのを眺めているこいつらもきっと俺と同じなんだろう。


「揃いも揃って……。やはりあの男は邪魔だな」


 背後から感じたのは、ここ最近久しく感じることのなかった純粋な悪意だった。


「愛だイリスだと前々からうるさかったが、まさか下っ端のお前たちまであいつに毒されるとはな」


 背後から首にスッと手が伸びてくる。後ろにいる人物に自分の命を掴まれているような感覚がした。


「ん? どうした? 怖いのか? 安心しろ。元に戻るだけだ。お前らがあの男と出会う前にな」


「……!!」


 その発言はある意味、俺が最も恐れていたことかもしれない。あいつと出会ってから少しだけここでの活動が楽しかった。

 今までは愛への嫉妬という醜い感情だけで動いていたが、あいつとの任務の時は馬鹿な話をして馬鹿なことを楽しめるようになっていた。


 それに、イリス教だってある。馬鹿らしいかもしれないが、あいつに毒された俺はもう立派なイリス教徒だ。それを忘れるのは……少し、いや、かなり怖い。


「その反応。最悪だな。お前たちはこの組織に相応しくない。殺したいところだが、うちも人手が足りない。一度、お前らの人格を壊す。そして今度こそ立派な愛を憎む戦闘兵にしてやろう」


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」


 消えていく。楽しい思い出も、辛い思い出も、愛を憎むようになった理由も、愛を知りたいと思った理由も……。


(ああ……。アーク……。イリス様と……幸せに……)


 最後の願いはそれだった。


***


 目の前に並び立つ戦闘員たちを見ながら男はため息を吐いた。


「本当に面倒なことをしてくれたものだ。まあ、こうして俺の忠実な下僕にする大義名分が出来たと考えるか」


 彼の目の前にいた戦闘員たちは誰もかれも光の無い目をしていた。男は意志を失った戦闘員たちを見て、満足そうな笑みを浮かべる。そして、その部下たちに指示を出し始めた。


「さて、これからお前たちにはやってもらうことが二つある。一つ目は他の部隊長共の部下に扮して情報を集めること。二つ目が、この社会を強く憎む人間を攫ってくることだ。いいな?」


「「「アイ」」」


 男の指示に従って戦闘員たちが動き始める。その様子を見届けた後、男は本部内にある自室に向け歩き出す。


「概ねここまでは計画通り。後は、部隊長共とボスを始末するだけだ」


 自室への道中、男の視界に一つの像の姿が入る。それは、男にとって最大の邪魔者である男が建てたイリス像であった。


 その像を見て、男にとって忌々しい記憶が蘇る。


「……やはりあの男は早めに消しておいた方がいいか? いや、まだだ。まだあの男にも利用価値がある。それに、どうせ消すならあの男が何もかもに絶望した時の方がいい」


 怪しげな笑みを浮かべながら男はイリス像を後にした。長い時を経て練り上げられた計画が、動き出そうとしていた。

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