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「やっほ元気? はいお土産」

 智則とものりのテンションはいっこうに変わっていなかった。左手にある紙袋二つを亮介りょうすけに渡す。中には駅でよく見かけた日持ちするお菓子がいくつか入っていた。そして続けて右手に持っていたものを智則は差し出した。

「んで、これが夕季ゆうきさんから」

「……和菓子?」

 縦長ではなくやや平べったい形の、和紙を用いた上品な袋だ。

「正確には夕季さんのおばあさんからだって。お中元にこれを贈りそこねたからどうぞ、だそうです」

 そういえば着付けとかもできるんだっけ、夕季さんのおばあさんは。そう思って思い出すのが、正月あたりに姉経由で見せてもらったあちらの家族写真だ。本人いわく「着させられただけ」だそうだけれど、夕季さんの和服姿ははまっていて、何度も袖を通したことがあるのだとわかる雰囲気が写真からも伝わっていたのを思い出す。

 智則が仏壇に手を合わせているあいだ、杏奈あんなは慣れたようすで麦茶などを出していた。智則がリビングに戻ってきたので、「どれか開けていいの?」と聞く。

「俺が買ってきたやつとかがいいんじゃない?」

 和菓子はあとで家族で開けたほうがいいよ、と言いたいのだろう。時刻はまだ十四時半。杏奈が作っていたのは時間がかかる煮物で、両親が帰ってくるのにはまだ四時間ほどはある。たしかに、と今度は亮介が座敷に向かい、仏壇の横に三谷みたに家からのお菓子を置いておく。リビングに戻ると杏奈はキッチンにいた。煮物のようすを確かめ、そして火を止めたようだった。エプロンを外す杏奈を視界のすみに捉えながら、亮介は自分の家のようにくつろいでいる智則の横に腰を下ろした。

「戻るのいつだっけ」

「二十日ごろの予定。だからみい姉ちゃんとは入れ違いかな」

 隣で声を聞くと、いままでの時間とか距離が一気に消える気がした。ふしぎだ。

「どう、学校」

「うーん、まあ普通じゃない? そんなにこっちと何か大きく違う、とか思わないけど……あ、でも、お目付け役が学内にいるのはちょっとめんどいな」

 智則の家は曽祖父の代から医者をやっている。そこから代々、大学はいまの学校に通っていたらしく、大学の教授陣や大学病院の中にも知り合いは多いらしい。そういう環境は窮屈なんじゃないかとこっちにいるころから何度か思っていたけれど、どうにも智則にとっては「ちょっとめんどい」レベルで、本気で嫌がっているふうでもなかった。メンタルが柔軟すぎるのがこの付き合いの長い幼なじみだ。

「お土産預かったってことは、みそらちゃんの彼氏さんに最近会ったってことだよね?」

 自分用のお茶を持ってきた杏奈が言う。亮介はおもわず呆れたような声を出してしまった。

「さっきからそればっか」

「だって気になるんだもん」

「え、なに?」

 智則が首をかしげる。L字型になっているソファの短いほう、つまり二人とはソファの別の辺に、ぽすんと杏奈は腰掛けた。

「みそらちゃんの彼氏さんに会ってみたいって話。わたしだけ会ってないんだもん。気になっちゃって」

「めずらし、杏奈がそんなこと言うとか」

 感心したように智則が言う。実際にそうだ。杏奈は元来さっぱりした性格で、人の事情にもいちいち首を突っ込んでくるようなタイプでもない。だから今回の反応を見る限り、相当気になっているという証拠なのだ。

「ただでさえみそらちゃんに会いづらくなったのに、余計に気になる存在ができちゃって、なんかもう気が気じゃないっていうか」

「杏奈のみい姉ちゃんに対する反応って、まじで昔っからファンだよな。ファンっていうか、おたく?」

「うるさいなあ。あんなかわいい人が自分のお姉ちゃんポジションになるなんて、浮かれて当然でしょ。うち一人っ子なんだし」

 とすねる杏奈も十分かわいいんだけど、と、思うのは自分の欲目か、それとも「お姉ちゃんにそっくりね」と子どもの頃から言われ続けてきて飽き飽きしているからか。まあどっちもかな、と亮介は思いながら、箱を開けたばかりのサブレに手を伸ばした。自分たちでも食べることを頭に入れていたのか、枚数がかなり多い。それでも明日にはなくなるだろうけれど、と思いながら、亮介は言った。

「杏奈のほうがかわいいと思うんだけど」

「わたしの話はいいんです。あーあ」

 と言って杏奈はソファにぼすんと音がする勢いでもたれかかった。

「距離、遠いなあ」

 しょんぼり、という言葉が似合いそうな声で杏奈が言う。――その気持ちはわかる、と思う。何度も思ったし、――たぶん、今度こそ、それが確実になるとも思う。

 智則は地元に帰ることを前提に出ていっている。病院を継いで患者と地域を守る役割が、それこそ生まれついてあるし、本人がそれを当然だと思っているからだ。

 けれど姉は違った。小学生のころに見た映画――というよりミュージカルに感化されて合唱部に入り、そこでさらにとあるクラシックの歌手を知ってその人が勤める大学を受験し、ほんとうにすんなり通ってしまった。又聞き状態ではあるけれど、それなりに評価されていること、卒業後は副業ではあるものの講師の打診をされていて、それが本決まりになりそうなのも知っている。

 どの業種だって、首都圏が就職しやすいのは間違いない。とくに芸術分野は人が多い首都圏ではないと、むしろ生き残れない。だから何か道が見つかればそうするだろうと思っていたし、――そこでなにか道を見つけられるのが、うちの姉ちゃんなんだよなあ。

 入学した頃はおそらく半々、いや、正直七対三くらいの割合でここに戻ってきそうな感じだったのに、それがいまはあちらに残る確率が九割だ。夏休み前には就職先も決まっているし、――それこそ、何より夕季さんのことがある。

 姉は母親譲りのいわゆる美人だし、あまり他人と接することに臆すこともない。けれどその実、めちゃくちゃ用心深いことを亮介は知っている。というのも、顔が似ているのもそうだし、性格もやっぱり似ているからわかるのだ。

 その姉があれほど心を許す相手があちらにいて――実家も首都圏にあるというし――、さらに就職も目処が立つのであれば、残らない選択をするほうがおかしいと亮介は思うのだ。杏奈もおそらく、おなじようなことを考えている。

 ふしぎだ。杏奈はもともと自分の家族じゃなくて、付き合いはじめて杏奈の家の状況を知ったうちの家が杏奈を呼び寄せるようになって、この家になじんでいる。一方で、それと反比例するかのように姉は大学進学を機にこの家を出て、もしかすると近いうちに向こうで新しい家族をつくるのかもしれない。

 亮介は軽く自分の右頬にふれた。姉と似ていると言われ続けてきた顔。血がつながっている証拠。でも、家族って、きょうだいって、彼氏彼女って、――なんかそういう名前って、そこまで重要なんだろうか。

 ――なんて、ものすごく子どもっぽい考えなのかな。そう思いながらサブレを見たけど、鳥の形をしたそれはそっぽを向いているだけだった。

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