2-1

 家についてからがいいかも、という若干慎重なみそらの言い方で、けっきょく話は家に戻ってからになった。みそらが自分の部屋に寄っている間に買い物をすませる。大根が安くて、他は白菜。頭の中で冷蔵庫の中と照らし合わせながら選んでいく。みそらの好き嫌いや好みはもうだいぶ把握しているので――それこそ、一年生の頃からいっしょにいるのだから――、あとは部屋の具合と練習によるか、と思う。明日は火曜なのでみそらのレッスン日だ。時間配分はどうしようかと思いながらマンションに戻ると、すこし前にみそらがマンションの玄関に着いていたようで、その足元にある大きめのボストンバッグになんだかちょっと笑いを誘われた。

「けっこう詰めたね?」

「何持ってきていいかわかんなくなった」

 眉尻を下げてみそらが言う。いっしょにオートロックのガラス扉を抜け、すぐ横のエレベーターに向かう。

「楽譜が一番困った。考えるとあれもこれもになっちゃうし」

 エレベーターの扉が開く。二人で乗り込みながら、五階を押すとゆるやかな重力移動を感じる。

「うちも狭いからなあ……」

 一人暮らしの学生の部屋なんてたかがしれている。しかもこっちはこっちで楽譜棚はなかなかにぎゅうぎゅうなのだ。

「大丈夫、いるときに取りに行くよ。近いんだし」

 軽い電子音がしてエレベーターが着く。またドアが開いて外にでると、ほんの数分忘れていた空気の冷たさが頬をさした。近いんだし。まあそうなんだけど、その「近い」をもっと縮めたいのが本音なんだし。と思って自分の手をふさいでいる大根その他の荷物がちょっとうらめしくなった。

「今日、何が安かった?」

「大根と白菜とか」

「おー、冬だねー」

 鍵を開けようとして荷物を避けていると、みそらがそれを取る。「ありがとう」と返し、ドアを開けて中に入る。中も冷えて、やっぱり乾燥ぎみだ。木と金属でできたピアノとしては湿度がないほうがいいけれど、声を使うみそらにとっては鬼門の季節になってくる。小さめの加湿器をピンポイントに置くとか、あとで確認してみよう。

 中に入って荷物をそれぞれ下ろす。同時にエアコンを入れて部屋をあたためる。コートを脱ぎながら、そういえばと思い出した。右手でポケットから取り出し、同じようにコートをかけ終わっていたみそらに差し出した。

「はい。冷たいけど」

 ひんやりとした金属を相手の手に渡す。つられて手を出したみそらはそれを受け取り、そしてまじまじと見た。

「……ありがとう」

「さっき作ってきたばっかだからキーホルダーもなんもないけど」

 みそらはバッグを床に置き、しげしげと見て「だいじょうぶ」と首を横に振る。それに合わせて髪がさらさらと揺れる。

「えー、うれしい」

 右の指先を丸くして鍵を握り込み、みそらはうれしさを噛みしめるようにその手を口元に持っていった。

「なんかつけよ。何にしようかな」

 やっぱり違う、と思った。学校で会ったとき、玄関で合流したとき、そういうのとやっぱり違う。この部屋にいるみそらはとてもふしぎな存在で、それでいて特別だった。みそらと目があう。そのままほとんど考えずに口づける。離して、もう一度。寄せてもう一度。自分の頬をみそらの長いまつげが撫でていく。みそらの頬は冷えているけれど、ふれた口は熱をもっていた。おなじくらいになればいいのに、と思って頬を包み込む。耳も冷えていて、指ですこしこするようにすると背中にあたる手にぎゅうと力がこもるのがわかった。細い腰を引き寄せてさらに口の中に潜っていく。かつん、という小さな音がしたけど何の音か気にする余裕なんてない。みそらの肌はあつくて、湿っていて、やわらかい。一度顔を離してみそらの目を確認する。――昨日見たな、と思った。夢だとかそんなばかなことは思っていなかったけれど、それでもふいに実感が熱になって体の中を流れ始める。深い赤の下着のとなり、肌に散った花びらのようなものが見えて、そうか、と思う。そうか、だから今日はこの服着てたのか。


(2-2に続く)

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