⑥ スミレ・ガーデンカフェ 満席!

「インフルエンサー。まさか、あの日の、通りすがりのように店にきたあのお客様が」

「でも、いま個人でこのような力を持つ人も増えていますからね。このような方にこんなふうに好意的に紹介してもらう宣伝力もいまはバカになりませんから。今回はそれに当たったってことっすかね」

「いやそれにしても。会社の宣伝アカウントならともかく、こんな北の片隅にある新人オヤジのカフェでもこんなことが」


 新人オヤジというフレーズに舞は吹き出しそうになったが、既に優大が笑っていた。


「新人オヤジって。オーナーは百戦錬磨の部長さんだったんでしょう。だからこうして惹きつけられたお客様が現れたわけだし……」

「いやいや、今回は優大君の大脱線がなければ……」

「大脱線って。いや、俺も否定しませんけど……、結局、売ろうと判断してくれたのはオーナーですし」

「舞がオレンジティーで食べたいと言わなければ、素通りしていたよ。こちらの茶道の先生は、舞の花畑をたいそうお気に召しているようだから、それもあったんだろう」


 それにしても――と。父が舞へと視線を向ける。優大もだった。


「俺、娘さんが急にオレンジティーを飲んでいて、俺もご馳走になったからガトーショコラのイメージが出来たんで……」

「本当だな。舞がオレンジティーを欲しいと言い出してから、全てが繋がっているな」


 ふたりがじっと舞を見つめている。


「べ、べつに。あの日、寒かったから。お父さんが時々飲ませてくれたオレンジティーが恋しくなっただけだよ」

「生の柑橘の輪切りを浮かべたいところだけれど、毎日とはいかないからピールでやっていたんだけどな」


 不思議な連鎖だったなと父が小さく呟いた時、舞の心臓はだいぶ鼓動が早くドキドキしていた。


 その連鎖は舞が生んだものではない。カラク様が結んだもの。

 彼がオレンジティーを飲みたいと、毎日姿を現すようになった。

 舞が付き合わないと彼が味わうことができない。

 だから一人でお茶をしているように父にも優大にも見えただろう。

 そのうちに、父が娘のお茶のついでとパン職人の青年にそれをご馳走した。

 気になった青年がガトーショコラをスケジュールに反して作ってしまった。

 オーナーはいままでのセオリーから頭ごなしに反対するも、娘がオレンジティーとガトーショコラの組み合わせを、青年が望んでいたとおりにセットで食しているのを、うっかりオーナーも試してしまう。

 それだって、カラク様が『優大君の提案通りに試してみましょう』と無邪気に望んだからだ。

 そして、SNSの反響、インフルエンサーであったお客様に、父娘でカフェを経営することになった経緯と親子のいままでを、いつになく舞が語ったことが、カラク様の後押しで素直に話したことが、こんなふうに宣伝的エピソードとして繋がっていくとは舞だって思っていなかった。


 ドキドキしながら舞だけが気がついている。

 これは全部。あの人が現れてから起きている。すべてをあの人が繋げて導いているかのよう? カラク様のおかげ? 全部あの人が関わって起きたことばかり!





 カラク様が運んできた連鎖はさらに動き出す。


 父がSNSで宣伝した後の最初の週末に、若い家族連れが何組もスミレ・ガーデンカフェを訪れた。

 SNSが好きそうな若いママさんが、小さなお子様と一緒に楽しそうに花畑で撮影をしたり、ご主人と共にジンギスカン鉄板ランチを、デザートには限定のオレンジ・ガトーショコラセットもオーダーして、家族ぐるみで美味しそうに食べている光景が続けて見られた。


 その翌週から、リージャン・ロード クライマーの薄紅色の蕾が愛らしく開いて、次々と開花。森の入り口には小さなピンク色の水玉模様のようなバラで彩られる。花のアップと、全体の姿を撮影して、また父がSNS投稿をする。


『このカフェを開く前から野生化していたバラです。いまは娘が手入れをして保っていますが、この土地を買う時に反対をしていた娘がこれを見て許可をしてくれたのですよ(笑) オーナーの私もこの可憐なお花に惚れています』――という投稿をしていた。近頃の父は、かっこつけずに素直な気持ちをさりげなく伝える方針に切り替えたようだった。


 そしてついに。その投稿をきっかけに、週末は満席になった。


 それだけではない。外まで順番待ちになったため、座るためのベンチを用意することになったほど。食事を待つ間に花畑を楽しむ人、食事を終えて花畑を楽しむ人、ランチタイムを過ぎても、優大が作り出したガトーショコラセットを求めて来る女性もけっこういた。


 ついには、父が少なめに見積もっていたせいで、ティータイムの十五時までには売り切れてしまうほどだった。



 夕の茜が、サフォークの丘に映り始める。幾頭もの羊たちも、牧羊犬に追い込まれ丘の上の小屋へ帰る時間になる。

 スミレ・ガーデンも人がまばらになる。白や青紫の小花たち、ひらひらと華やかな花びらをそよがせている桃色のシャクヤクに赤やオレンジ色のビビッドなオリエンタルポピーたち。最近は色とりどり虹色グラデーションのような穂状の花を咲かせるルピナスも彩り始める。牧草地に自然に咲いたように整えた舞のガーデンに、夕のそよ風が通り過ぎていく。


 空が夕焼けに染まると、リージャン・ロード・クライマーのバラはなおさらに薄紅に染まり、まるで珊瑚細工ようだった。


「賑やかになりましたね」


 また、その人が森の入り口にいた。バラを見上げていた舞のすぐ後ろに、いつものように現れて。そして舞もそっと笑みを浮かべ、振り返る。


「今年も咲きました。私の女王様なんです」

「毎年、彼女は燃えるように咲き誇り、消えていくんですよね。そしてまた現れて、燃える」


 お姫様のように可憐なバラだが、この地で生き残って自生しているのは、確かに命を燃やす力があるからなのだろう。舞とは違う表現をする彼は、やはり人ではないような気もしてくる。


「カラク様には、このバラは美人さんなんですか」

「情熱的なノンノですね」


 ノンノ? 聞き慣れない言葉だったが、それが彼が言うところの、そのバラの精霊のことらしい。


「カラク様のように人の姿をしている精霊……みたいなものが花々にもあるのですか」

「舞には、私が人に見えるのですね。どうしてでしょう。私は人なのかなんなのか自分でもよくわからないけれど、あなた方、人と言われる方たちと同じ姿をしているようですね」


 また、わけがわからないことを彼が言う。人でなければ、彼はこの森の中にいる精霊なのだろうか。でも、舞にはもうそんなことはどうでもいい。


「人が賑やかだったせいですか。しばらくお姿を見せてくれなくて、気にしていました。お客様が引けたので、私、お茶にしようと思っているんですけど」


 いつものシンプルなカットソーとメンズパンツ姿の彼が、夕焼けの中、柔らかに笑み、遠くサフォークの丘を見つめている。今日の風にも、彼の黒髪は虹色に煌めいている。


「今日は、舞が飲みたいものにしましょう」

「では。たまにはハーブティーなどもいかがですか」

「ハーブですか。お花の香りや、葉の香りがするお茶ですよね」


 舞はローズの群生から離れ、牧草地のように愛らしい花々が揺れる茜のガーデンを歩く。昨年、舞が一枚一枚植え込んだ石畳の散策道。歩いて振り返ると、虹に光る黒髪をなびかせる彼も、ゆっくりついてくる。そして舞は、黄色の丸いおしべの周りを、白い花弁が囲むジャーマンカモミールの目の前へ辿り着く。


「このお花、どんどん咲くのでどんどん摘んでいます。それを天日干しにしているんです。大抵はお湯を注いだだけのストレートなホットティーで楽しみますが、これをミルクティーにすると意外と美味しいんですよ。自家製なので、すぐにはお店の商品にできません。ですから、いまのところガーデンの主である父と私だけの、お楽しみなんです。あ、優大君と野立ベーカリーのご家族にはお裾分けしちゃっていますけど」


 薄暗くなってきた茜の中でも、彼の黒い目が生き生きと光った。また無邪気な笑顔を見せ、その花へと身をかがめる。


「このガーデンカフェにかかわる貴方たちだけの、お楽しみ。それを僕にも? 僕はこの花も好きです。甘い果実の香りがするし、とってもかわいらしい。毎日、この花のそばは、必ず通るようにしているんです」


 本当にお花が好きな……幽霊? 精霊様なのだなあと思いながら、舞は摘み時になったカモミールの花をいくつか取り、手のひらに広げて、背が高い彼へと向けた。


「手に取れない精霊様、それでも、香りはするんですね」

「自然に存在するものは、です。貴方たちが生み出したものには、触れることができません」


 それはまた不思議な、仕組み――だと舞は感じた。でも、気にしない。舞はいま、この人といるのが安らぐから。


「この士別市で生産しているハチミツを入れると、さらに美味しくなります。さあ、行きましょう」


 宵の明星、金星が輝き始めていた。丘の端は夕の色なのに、空は紺碧に染まり始め、士別市自慢の無数の星が散らばり始める。ゆっくりと、夜のとばりに溶け込むサフォークの丘。羊はもういない。彼がこの時間に訪ねてきたのは初めてだった。


 日が沈んだガーデンを歩きながら、カフェ洋館へと向かう。いつも舞の後ろをそっとついてくる彼へと、尋ねてみる。


「あの、カラク様。このカフェのために、なにかしてくださったんですか」


 オレンジティーから始まった連鎖は、彼の霊力かなにかのような気がして……。


「まさか。僕にそんな力はありませんよ。ただの花好きの……、なんでしょうね……。僕は……」


 薄闇の中、また彼が憂うように眼差しを伏せる。


「ただ、もう少し、貴方たちがこうであれば良いのではないかと思ったことは、お茶のお礼に伝えてみることにしています」


 それが、今までの舞なら心に押し込めてきた『父子家庭で育った娘である生い立ちを理由にしたくない』という気持ちを、素直に出せたことも、連鎖になったひとつでもあった。それは、確かに彼の導きのおかげだった。


「私、カラク様だから、誰にも言えないこと言えているのかもしれません」



名前は?

舞です。

このカフェとやらで働いているのですか。

父と、一緒に住んで経営しています。

お父さんと、ですか。お母さんは?

私が五歳の時に他界しました。

タカイ?

死んだということです。以後、父が私を懸命に育ててくれました。



 彼が会いに来るようになって、少しずつ明かしてきた自己紹介も素直に伝えていた。だって、この人は舞以外の『人』とは話ことが出来ないのだから。



私の願いは、父が幸せになることです。私のために再婚を諦めただろう父が、再び夢見たことの手伝いを、いまは親孝行だと思って、一緒にここについてきました。この庭は、父のために……。亡くなった母にも、私が立派な大人になって、父とは違う仕事でちゃんと出来る人間になったことを、知ってもらえたら……。



 綺麗な顔立ちで、美しく七色に輝く黒髪を持つ、不思議なお兄様のような人。黙って優しく、いつもそっと頷いて、静かにそこにいて舞の話を聞いてくれる人。


 その人がいつのまにか、舞を導いてくれていた。舞のことを思って……?

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