第27話 終わりの始まり

「行くか、ルイス!」

「はいっ、お願いします、ゴーダさん!」


 ルイスは弱々しい声ながらもはっきりとそう言った。一瞬の後、ゴーダがルイスを両手に抱えたままで塹壕を飛び出して行く。その背中には何の躊躇いもなかった。


 既に敵重装歩兵の大群は、ボルドたちが潜む塹壕から三つ前の塹壕を飲み込もうとしていた。


「第四特別遊撃小隊はこれよりこの塹壕を放棄し、後方へ退避する。急げ!」


 ボルドの声が塹壕内で響く。ルーシャ、セシリア、ラルクが無言で頷く。志願兵たちの顔に涙はなかった。


 いいだろう。いい覚悟だ。ならば俺たちもそれに応えなければならない。その時まで俺たちがお前らを絶対に守ってやる。


「撤退開始!」


 ルイスとゴーダ以外の残された第四特別遊撃小隊の面々が次々と塹壕の中から後方へと飛び出して行く。


 最後まで塹壕に残っていたボルドは、視界を前方に向けた。ゆっくりとした速度でそれでも確実に進んでいくルイスを抱えたゴーダの後ろ姿が見える。ボルドは無言で敬礼をし、踵を返すのだった。





 不思議と恐怖はなかった。ルイスを抱えているからだろうか。彼を守りその時の場所まで届ける使命感が、自分に死の恐怖を上回る勇気を与えてくれているのかもしれない。そんなことをゴーダは思っていた。


 ルイスに視線を向けるとルイスもそれに気がついて少しだけ笑って見せた。正直、大した覚悟だとゴーダは思う。これから死ぬというのにそんな顔ができるのだ。


 まだ十三歳なのだ。オーク種であるゴーダには人族の苦しみはよく分からない。人族は最下層の種族で、何かと社会で虐げられているとの認識がある程度だ。具体的にどのように虐げられているのかも分からないし、今まで興味もなかった。


 ただ、十三歳という年齢で戦場に立ち、自爆をしなければならない程に虐げられているのであれば、そんな社会は間違っているのだろうとゴーダは単純に思う。学のない自分に難しい話は分からない。だが、間違っていることには違いないとゴーダは思うのだった。


 十三歳。両親と共にイスダリア教国に殺されたゴーダの妹もまだ十三歳だった。戦争だから……そんなことは十分に理解している。だけれども、それでも十三歳で死ななければならない理由はどこにもないとゴーダは思っていた。


 信じられない程の数だった。イスダリア教国の重装歩兵が横一列に大楯を構えながら地響きを立ててゆっくりと、だが確実に迫ってくる。


 何とかして隊列の中ほど近くに食らいつけないものかとゴーダは思う。その方が爆発による被害も大きくなるはずだった。


 ルイスを片手で抱えて残る片手で愛用していた巨大な棍棒を振り回す。それで奴らの前列を突破できるだろうか。だが、やるしかない。まずは先頭の敵重装歩兵を大楯ごとぶっ飛ばしてやる。


 ゴーダは決意すると足を止めて、ルイスを片手で抱きしめる。


「ルイス、その時はお前の判断に任せるぜ。しくじるなよ!」


 ルイスが腕の中で小さく頷いた。それを見てゴーダは少しだけ茶色の瞳を細めて笑う。そして大きく息を吸い込んだ。


「さあ、来い! ガジール帝国重装歩兵随一と言われた怪力のゴーダ様と人族最強のルイス様だ。まとめて吹っ飛ばしてやる」


 地響きの中、ゴーダが発した大音量の声が響き渡った。眼前には敵重装歩兵が迫って来ている。彼らに言わせれば、どういう目論見なのかは知らないが、一人で現れた敵兵などには足を止める必要などないということなのだろう。そのまま飲み込み、弾き飛ばすつもりらしかった。


 さあ、来いとゴーダは思う。片手の棍棒を握る手に力を込める。ゴーダと一番近い先頭の敵兵が巨大な斧を振り上げるのが見えた。


 その時、ゴーダの右手で爆発が起こった。立ち昇る火煙は今までゴーダが目にしたことがない程の巨大な物だった。


 ゴーダもその爆風に体が煽られて横に二歩、三歩と移動する。止まることを知らなかったかのようなイスダリア教国重装歩兵の足が止まった。自軍の左翼あたりから巨大な火煙が立ち昇っているのだ。足が止まるのも当然だった。


 ゴーダの眼前で斧を振り上げていた敵兵も唖然として、立ち昇る火煙を見ている。どれだけ巨大な遠距離魔法でも、このような規模の爆発は起こせないはずだった。


 そうかとゴーダは思う。自分がいる第四特別遊撃小隊の他にジルク補給基地には二つの特別遊撃小隊が配置されていたはずだった。その一方が作戦を発動したのだろう。


「ルイス、もう少し頑張れよ。一番槍は無理だったが、俺が必ずお前をあいつらの土手っ腹に連れて行ってやる。二人ででかい風穴を開けてやろうじゃねえか!」


 ゴーダは歩みを進めて、立ち昇る巨大な火煙を見て唖然としているイスダリア教国重装歩兵に猛然と襲いかかった。最初の一撃で先頭にいた重装歩兵の大盾を吹き飛ばした。次の一撃でその重装歩兵を吹き飛ばす。


 そうやって敵の隊列に割り込んだゴーダは片手でルイスを抱えて守りながら、目につくもの全てを手当たり次第に棍棒を振るった。振り下ろし、振り回し、薙ぎ払った。もう自分がどのくらい進んだのかもわからない。


 やがてゴーダの頭部を衝撃が襲った。続いて脇腹にも衝撃がある。膝が折れそうになるのをゴーダは必死で耐える。額から流れて目に入ってくる物が汗なのか血なのかも分からない。視界が急速に狭まっていくようだった。それでも腕の中にあるルイスだけは守らなければいけない。


 くそっ、もう限界か……。

 荒い息の中でゴーダは腕の中にいるルイスに茶色の瞳を向けた。


 ……ありがとう、ゴーダさん。


 ルイスのそんな声が聞こえた気がした。


 ……馬鹿野郎が。礼なんていらねえんだよ。

 ゴーダは心の中で呟く。


 ゴーダの脳裏に懐かしい家族の顔が浮かぶ。そこには可愛がっていた妹の顔もある。


 まあ、こんなもんだよな……。

 ゴーダは少しだけ笑った。


 やがて、頭の奥でぷつんと音がした。


 この日、人族を犠牲とするイ号作戦が初めて発動されたのだった……。

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