アイドルと女子中学生作家が距離を遠く感じる事情

「今日は雑誌の取材か何かかな?」

「…………あ、はい。あたしはただの荷物持ちですけどね」

「ふ〜ん……とてもそうには見えないけどね」


 一瞬、あたしに対する質問だということに気がつかなかった。雑誌の取材という単語にあまりにも馴染みがなかったから。だからそれなりの超適当な言葉で返してしまうが、彼女の言う通り、あたしはメモ帳以外、何一つ荷物を持っていなかった。そもそもこんな華奢な身体のあたしに重い荷物を持たせるとか、一体どんな出版社だろう?


「あ、あの……これは……」

「いいよ別に。そういうことにしておいてあげるから」

「すみません……」

「本当に礼儀正しいよね。私の妹もこれくらい礼儀正しければいいのにな」


 こんな綺麗な人の妹とかどれだけ可愛い妹なのだろうと、瞬間的に考えてしまう。だけどそんな話を今考えても仕方ないので、再び文字通りの取材を再開する。もう一度皆が集まってる方を振り向くと、学校の教室風に彩られたスタジオの中心で、天川ひかりちゃんを扮する春日瑠海さんがやはり異彩を放っていた。その光はどこまでも突き通っていて、完全にあたしではないあたしが、あたしの胸を鋭く貫通していく。

 あ、少しだけ話を戻してしまうけど、この頃から彼女の妹に対して殺意を抱いていたわけではないので、お間違えなきよう。


「あなたもドラマの撮影とか、興味があるの?」

「いいえ。観ている分には楽しいですけど、あたし元々演技力ないんで」

「演技力がないって言うからには、経験とかはあるのかな?」

「…………いえ。ないですよ、そんなの」


 だってあたしはオーディションで落ちてばかり。名前のない役すら選ばれたことなどない。同じ事務所の同じ年の女の子などは少しずつ役を勝ち取っているようだけど、春日瑠海さんのように主役にばかり選ばれるなんてことはそんなの身近にだってあるはずない。

 だからこそ、尚更この空間が異世界に思えてしまう。あたしのお話であるなのに、あたしのお話ではないかのようなんだ。


「私もないわよ。演技力なんてどこにも」

「そう……なんですか……?」


 不貞腐れるようにそう答える彼女。だけどあたしはこの彼女をどこかで見覚えだけはちゃんとあった。ひょっとすると同じ事務所の先輩かもしれない。それで記憶にあるだけなのか、それとも……。


「私は瑠海に振り回されてばっかり。ここでも、ステージの上でもね」

「だって瑠海さんすごいですもん。あんな人と比べるなんてきっと無謀なんですよ」

「……ふふっ。本当にその通りかもしれないわね」


 彼女は小さく笑う。悲哀にも似た彼女の笑みの意味を、当時のお馬鹿なあたしは全然気がつかなかった。


「あたし……馬鹿だから、この撮影現場って夢の世界だと勘違いしてました」

「勘違い?」

「うん。素敵な役者さんがいて、素敵なカメラマンさんがいて……まるでどこかの大きな遊園地のような、そんな場所をイメージしてたんです。だけど、全然間違ってた」

「それは、役者さんやカメラマンさんが全然素敵じゃなかったってこと?」

「違いますよ。その逆です」


 ……駄目だ。涙が溢れ落ちそうになる。こんなところで泣いても何もならないのに。


「この世界がこんなにも遠い世界だったことに、あたしは馬鹿だから気づいてなかった」


 だから悔しくて、悔しくて……。


「全部あたしの手の中にあると思っていたのに、全然そんなことなくて……」

「手の中にあるって……まるでこの世界の創造主みたいな話だね?」

「だって……こんなの、あまりにも矛盾すぎますよ……」


 あたしは何を言ってるんだろう。こんな風に彼女に話しても、何も知らない彼女は困ってしまうだけだ。それこそ世界の創造主とか、完全に頭のいっちゃった人に思われたんじゃないかな。ただの高校生バイトのくせに、あたしはさっき自分で設定したばかりのその身分を完全に忘れてる。こんなだからドラマのオーディションで落ちてばかりなんだろうね。


「あなたが何に立ち止まってるのか知らないけど、私はそういうのって誰にでもあると思うな」

「…………?」


 だけどこんな不審者の泣き言を、彼女はそっと飲み込んでくれていた。


「私にだってどんなに手を伸ばしたって届かないものはいくらでもある。話題先行型のアイドルグループのリーダーやっててもさ、そんなの形ばかりで、本音は嫉妬とかそんなのばっかだよ?」

「そうなんですか……?」

「私のこのドラマの中の役名だって、苗字さえないの。主人公のただのクラスメイトで、本当に不器用な冴えない女の子だったりしてさ。なんで主役の女の子はこんなに距離が近いはずなのに、どうしてここまで遠くに感じるんだろって。でもそれって結局のところは嫉妬なんだよね?」


 ちなみにこの時のあたしは完全に頭が錯乱状態にあったので、話題先行型のアイドルグループのリーダーと言われても、それが何を指しているのかさっぱりわかっていなかった。でも今考えると、本当にそれって今のあたしにそっくりだよね。


「それも嫉妬……なんですかね?」

「嫉妬なんじゃないかな? 瑠海が私の手の届かない場所まで飛んでいってしまうのに、私はそれを下から見届けることしかできないの。それでいて瑠海本人は無自覚で、さらに高い場所を目指そうとしちゃうんだよ?」

「……それ、本当に怖いですね」


 彼女はあたしの言葉に賛同する代わりに、くすっと笑っていた。


「でもさ。私は私で、私が演じるこの役の女の子が大好きだったりするの」

「え……?」

「雪乃っていう女の子なんだけど、あなたは原作の小説を読んだことない?」

「読んだことはありますけど……」


 というよりあたしはその小説の作者だし……だけどそんな話じゃなくて……。


「ドラマの中では雪乃ちゃんのシーンなんて、ほとんどカットされちゃってるんだけどね。でも原作の中では理由はわからないんだけど、そんなキャラに対して天保先生の愛を感じるんだよね」

「愛……ですか……」


 あたしには彼女の言ってる意味が全くわからなかった。なぜなら雪乃はあたしの負の部分、言うなれば今ここドラマの撮影現場で挫折しているあたしそのものだったからだ。


「なんだか納得していない顔してるね。別にいいよ。自分でもみっともない話をしてるってことはわかってるつもりだから」

「だって…………」


 というより、なぜ雪乃のことを好きって言えるのか、あたしには全然理解できなかったんだ。だけどそれ以上に、あたしはその理由を聞くのを怖く感じてしまった。ようやくそれを聞くことができたのは、つい先日のことだったし。


「あ、夏乃ちゃん。こんなところにいた! もう、探したんだから……」


 そこへ廣川さんの声が唐突に飛び込んでくる。急に現実へ戻されたかのよう。


「ごめんなさい。少し話し込んじゃってしまって……」

「いいわよ別に。今日は夏乃ちゃんの取材なんだし」

「本当にすみません」

「……って、今日はなんだか妙にしおらしいわね。何かあった?」


 廣川さんにそう聞かれたものの、正直いろんなことがありすぎたせいか、首を横に振って否定するくらいのことしかできなかった。今日のあたしはやっぱりらしくないのかなって、そんなことさえも考えてしまう。


「ふ〜ん。夏乃ちゃんって言うんだ?」

「あ、すみません。自己紹介もまだでしたね。って名刺も持ってないんですけど」

「いいよ。高校生のバイトなんでしょ? それにしても本当に礼儀正しいね」

「そんなことはないはずなんですけどな……」


 あたしをからかうように彼女は笑って見せる。というより、彼女の方こそ自己紹介してもらってないことに今更気づいてしまったわけで。


「それに夏乃ちゃん、雪乃ちゃんと名前がそっくりだなって、そう思っただけ」


 だけど自己紹介の代わりに返ってきたのは、そんな何気ない台詞と、今でも忘れることのできない美しい笑みだった。あたしはただぽかんとそれを見守ることしかできなくて、何一つ返すことさえできなかった。この美しさはあたしだけに向けられたもの。だから他の誰にも消されないよう、あたしの宝石箱の中へ大切に保管されたんだ。



 ドラマの最終話が終わる頃、あたしはシリーズ最新作をようやく書き終えた。

 そのお話の中盤で、雪乃は無差別殺人犯に殺される。その名の通り、雪の中で。

 雪乃を胸に抱き、大粒の涙と共に泣きじゃくる、天川ひかり。

 天川ひかりはもう一人の自分の亡骸を胸の内へ収め、推理という復習を誓うんだ。


 だけど天川ひかりはその無差別殺人を解決した後、一切の推理をやめてしまう。

 理由は簡単。あたしがその続きを書いていないから。

 そもそも自分の片割れを失った彼女は、推理なんてまだできるのだろうか。

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