高校生たちがそれでも小説を書き続ける事情
「ねぇ悠斗。御咲ちゃんってさ……」
「ん?」
あたしは悠斗にその話を切り出す前に、ほんの少しだけコーヒーカップに唇をつけた。駅前の大衆向け喫茶店であるせいか、悠斗の家の喫茶店で飲めるブレンドコーヒーからは、やはり格段と味が落ちてしまう。それでもあたしが今欲している分には十分な苦味を持ったブレンドコーヒーでもあった。
「今でも御咲ちゃんと悠斗って、付き合っているの?」
名古屋のあの日から、あたしたち『Green eyes monsters』の三人の中で、何かが変わり始めていたのも事実だった。それが具体的にどう変わったとか、言葉で表現するのは難しい。御咲ちゃんは淡々と前を狙い、愛花ちゃんはがむしゃらに仕事に向き合うようになったというお話。
「まだ、付き合ってる。けど……」
「けど……?」
その中で特に変わったのは愛花ちゃんだ。これまでの愛花ちゃんと言えば、どっちかというと御咲ちゃんのためにアイドルを続けているという感じがした。自分の夢とか希望とか、そういったアイドルだったら誰でも持っていそうな感情はどこにもなく、一にも二にも御咲ちゃんのため。むしろあたしたち三人で楽しくできたらという感情が、愛花ちゃんを最も支配していたと思われた。
だけどそんな愛花ちゃんを誰よりも許せなかったのは御咲ちゃんだったんだ。
「以前より、そっけなくなった……と思う」
「そっけなくなった……?」
悠斗の口からほんの僅かに妙な言葉が出てきたので、あたしはやや素っ頓狂な声をあげてしまう。だけどそれは大方の予想通りでもあり、冷静に考えれば当然の言葉でもあった。
「あいつ、ずっと俺の前では愚痴ばかりというか、弱音ばかりというか……でも、あの日からその回数がかなり減った気がするんだ」
「あの日って、名古屋遠征の日のことだよね?」
「ああ。俺が、愛花と喧嘩して……」
「喧嘩?」
「……いや、少し違うか。愛花と、別れて……」
あの状況を喧嘩と呼ぶにはやはり違う。でも悠斗と愛花ちゃんの間にすれ違いが起きてしまったのは事実なわけで、結果として悠斗は御咲ちゃんとの道を選んだ。
「別れたって、別に付き合ってたわけでもないんだよね? 愛花ちゃんとは」
「そうかもしれない。俺は御咲と付き合ってて、愛花には俺が一方的に好意を持っていただけだった」
「だとすると君は、二股をかけていた事実は認めるんだ?」
「……ああ。でもそれは俺ではなく、御咲が望んだことだったから」
正直に話す悠斗に、恐らくは偽りなどない。御咲ちゃんのことだから、当然悠斗が愛花ちゃんへ好意を抱いていたことにも気づいていたはず。それでも御咲ちゃんは負けじと、悠斗と付き合うことを選択した。自分よりも他に好きな人がいる男の子に対して、それでも必死にアプローチしようとする。その健気で儚い様子は、本当に御咲ちゃんらしいよね。
あたしには絶対に真似できそうもないよ。
「だったら君は御咲ちゃんに対して、今でも全く好意を持っていないの?」
「…………」
悠斗は何も答えず、その場で俯いてしまう。言葉ではなく、態度であたしの質問に回答していた。
「だけど御咲ちゃんはそんな君に、そっけなくなった」
「……ああ」
そんな悠斗にあたしは悪戯な笑みを見せて、こう尋ねてみるんだ。
「それって、なんでだと思う?」
悠斗は何かを答える代わりに、深く溜息をつく。その困惑の顔から浮かび上がってくるのは、恐らく懺悔の念。理由はあたしに聞かれないまでも、悠斗はしっかり自分で気づいている。結果はどうあれ、自分が答えを出せないばかりに、愛花ちゃんと御咲ちゃんを傷つけてしまったこと。どちらも選びきれなかったばかりに、二人とも守ることができなかったこと。
でも実はそれが御咲ちゃんの狙い通りだったことにも、きっと悠斗は気づいているんだよね。捨身とも言える御咲ちゃんの恋は、御咲ちゃんの計算通りに悠斗を振り向かせつつある。絶対誰にも譲ろうとしない御咲ちゃんのプライドは、相手を徹底的にぶちのめすんだ。
「というわけで主人公くん? 君は最後に誰を選ぶのかな?」
恐らく今の悠斗の小説に足りないのは、正にこの部分だ。愛花ちゃんを美しいまま自分のものとして宝石箱の中にキープしてみたものの、だけどその宝石は箱の中でより輝いていた。それに気づいてしまった悠斗は中身を確認したいはずなのに、宝石箱の蓋は閉まったままのため、美しい輝きを拝むことができない。だから悠斗は、その箱の蓋を思わず開けてしまうんだ。やがて悠斗の目の前にその光景が飛び込んでくる。だけどそれは愛花ちゃんの放つ輝きなどではなかった。箱の蓋の裏側に備えつけられた鏡、そしてそこに映る自分の顔だったんだ。
「なぁ、夏乃?」
「ん? 結論は出たの? 主人公くん」
悠斗の眼差しは真剣なそれへと変わっていた。まるであたしがこれから彼の告白を受けるかのよう。もちろんそんなことあるわけない。だってあたしは、愛花ちゃんでも御咲ちゃんでもないしね。
「夏乃もそうやって、小説を書いていたのか?」
「え、あたし……?」
だけど途端に話を振られ、あまりに唐突すぎたため心臓が止まりそうになる。
「夏乃も小説家なら、自分の描きたいものだけではなくて、自分の強い部分とか弱い部分とか、そういうのを全部計算して小説を書くんだよな……?」
「ああうん。そうだね〜。小説家なら誰でもそういうのはあるんじゃないかな〜?」
やや緊張して、だけどそんなあたしを少しでも悟られないようにうまくかわして見せる。まぁ今のあたしは恐らく上手くないから、きっと御咲ちゃんになら見抜かれてしまうだろうけど。
「だったら今、夏乃が描きたい小説ってどんな小説だろう……って」
あたしが今描きたいもの……?
推理小説を書かなくなったあたしが、アイドルになったこと。
『Green eyes monsters』としての自分、御咲ちゃん、愛花ちゃんのこと。
そして、悠斗のこと……。
それらがすっと浮かび、ぱっと消えていった。
点が無数に拡がっていくものの、それらは一つも結びつかず、小説になるきっかけにすらなりそうもない。以前のあたしならあれとそれを結びつけて、新しいお噺を紡ぎあげていた。そんな才能があたしにはあった。いや才能とかではなくて、自ずと無意識にできていたと思う。だけど今はそれすらできなくて、ここ一年、推理小説作家だったはずの天保火蝶はどこか遠くの場所へ消えていなくなっていた。
結局のところ、自分ってなんなのだろう……?
「お、おい。夏乃?」
「……あ、いや。……え、何??」
「それ、電話鳴ってるぞ」
「え……?」
悠斗に言われるまで電話の着信にすら気づかなかった。慌ててブルブル震えるスマホを鞄から取り出し、あたふたして画面を確認する。そもそも何を慌てているのだろう? こんなのあたしらしくもない。あたしが最も隠したい部分を、一番見られたくない悠斗へ晒してしまっていることに、あたしはショックを受けている。本当に馬鹿みたいだ。
電話の主は、愛花ちゃんだった。確か今日は仕事はオフだって言ってたはず。
『あ、夏乃ちゃん? 今どこ? これから会うことできないかな?』
「ああ、うん。今そっちは、鎌倉のどこかかな?」
『うんそう。悠斗の家の喫茶店の前。でも悠斗、今いないらしくて……』
……そりゃそうだ。悠斗なら今あたしの目の前で、人を疑う目つきであたしを睨んできているんだから。
「それってでも、会うのはあたし一人でいいの?」
『ああうん。御咲と悠斗の前に、最初は夏乃ちゃんに相談したかったから』
「そっか。で、相談って……?」
どうやら名前を出さずにいて正解だったようだ。悠斗の怪しむ視線を掻い潜り、より声のボリュームを小さくする。
『んっとね。わたし、少しの間だけアイドルをお休みいただこうと思って』
その瞬間、あたしの頭はさらに真っ白になった。
「……え? なんだって???」
ただでさえ悠斗に妙な質問をされて頭が困惑していた中に、今度は愛花ちゃんがとてつもない爆弾を放り投げてくる。あんたらやっぱしグルだったのか?と思ったが、悠斗の顔色を伺うに『結局誰と話してるんだよ?』という無言の圧力が返ってくるばかりで、とてもそういう計算高いことはしてなさそうだ。ってまぁ当然のことではあるのだけど。
てか、悠斗のその顔。……あたしはその顔に少しにやけてしまったりして。
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