天の川と雪が対比となる事情
「あの、千尋さんはどうして……」
疑問は二つあった。
さてどっちを聞くべきだろう? 少しだけ言葉に詰まる。だけどここで間を置いてしまうと、間違えなく千尋さんならその間の意味さえ見抜いてくるだろう。それでもあたしはポーカーフェイスを貫く。愛花ちゃんには劣るけど、なけなしの演技力を使って千尋さんを騙せないだろうか。
「……そんな冴えないクラスメイトが好きだと思えたんですか?」
気づくとあたしは当たり障りのない方の質問をしていた。本当に聞きたかったのはそっちではなかったかもしれない。だけどあたしにはそれを聞く勇気がどこにも見当たらなかったんだ。
「だって、私にそっくりだったんだもん」
「え。千尋さんに……?」
そんなあたしの駆け引きに気付いているのかいないのか、千尋さんは思いもよらぬ回答を笑いながら返してきたんだ。
「いつも強がりを言って見せてるくせに、肝心なところでとちっちゃって、最後は失敗ばかりしてるところがね」
「それのどこが千尋さんに似てるんですか? 千尋さんは不器用とかじゃなくて、いつも胡桃さんや瑠海さんを引っ張る存在で、『BLUE WINGS』の土台とも言えるリーダーでしたよね?」
「もし夏乃ちゃんがそう思ってるんだとしたら、私はアイドルとして精一杯の演技ができてたってことかもしれないわね」
「演技……?」
『BLUE WINGS』の舞台の上で千尋さんが見せていたそれは、演技だったと言うことだろうか。千尋さんの説明にはどこか釈然とできなかった。なぜなら千尋さんはいつも皆の頼れるお姉さんという具合で、そんな千尋さんがいたから瑠海さんも胡桃さんも安心して、あんなに高く舞い上がっていたんじゃないかって。……本当に、あたしみたいなのとはそりゃ全然違うよね。
「夏乃ちゃん。私はね、アイドルやってて一つだけ心残りがあったの」
「心残りですか?」
だけど千尋さんはあたしの納得しない顔を確認するや否や、そう言って話を切り返してきた。
「それはね、最後に瑠海を笑顔で歌わせることができなかったこと」
「それって確か……」
「湘南の海辺のライブで、『BLUE WINGS』解散ライブが開かれたときのこと。舞台の上で私が瑠海を見届けた後、瑠海は最後まで歌を歌い切ることができなかった」
「…………」
それは今からおよそ一年前の夏の話。『BLUE WINGS』から千尋さんと胡桃さんの卒業が確定して、名目上だけの『解散ライブ』が開かれたときのことだ。もちろんそれはただの演出で、千尋さんと胡桃さんの卒業と同時に『BLUE WINGS』には未来さんが合流する。解散という話は真っ赤な嘘であったことが判明した。
だけど千尋さんが話す事件が起きたのは、未来さんが合流するすぐ直前のこと。ステージの上から胡桃さんが去り、次に千尋さんが去り、最後に残された春日瑠海さん唯一人で歌を歌うはずだった。ところが瑠海さんが一人で歌っている最中、突如音響設備が故障してしまい、スピーカーから流れるのは瑠海さんの歌声のみとなってしまう。場を落ち着かせるため社長が瑠海さんに出した指示は、『アカペラで一人で最後まで歌い切る』こと。ところが動揺していたのは瑠海さんも同じだったようで、瑠海さんは結局最後まで歌い切ることができなかったんだ。
「あの時、誰もがあの春日瑠海だったら歌いきれるって信じてたんだよね。社長以外、みんな『春日瑠海』に賭けてたんだから」
「賭け……てたんですか? そんな状況を!?」
「そう。胡桃も未来ちゃんも、社長以外は全員あの春日瑠海という存在を信じてたの。恐らくだけど社長も信じてたと思う。だけど全員が春日瑠海に賭けてしまったら、それはもう賭けにならなくなっちゃうしね」
「あははは……」
ライブ中に起きた音響設備の故障というのも実はただの演出だった。その時のステージ台本は音響設備の故障から二パターンに分岐していたらしく、瑠海さんが歌い切ることができた時のパターンと、できなかった時のパターンの両方が用意されていたらしい。どちらも未来さんが登場することで、瑠海さんをこれから後押ししていくという流れは変わらなかったようだ。
「でもさ。あの時瑠海が最後まで歌えなかったのは、やっぱり私のせいだったんじゃないかって思っちゃうんだ」
「さすがにそれは考えすぎでは……?」
「だって私は瑠海を信じきってしまっていたんだもの」
「人を信じることに、どこにも非はないと思うのですけど」
「それは違うわ。信じきるばかりに、瑠海の弱さに気づけなかったってこと」
「…………」
千尋さんは本当にやるせないと感じているのか、あたしからも目を逸らし、溜息を溢すようにあの苦いコーヒーに口をつけた。苦く悔しい思い出は、ぽっかりと黒いコーヒーの表面を漂っているかのようで……。
「だから私はあの役が好きだったの」
そこへ、すとんと丸い瞳の雫を落としたんだ。
「あの役って……確か役名は、雪乃でしたっけ?」
「あら。あんなちょい役だったはずなのに、夏乃ちゃんはしっかり役名まで覚えてくれてたんだ?」
「ああ……うん。どこか自分と名前が似てるな〜って。そういう理由かな?」
「ふふっ。じゃあそういうことにしといてあげる」
瑠海さんが演じた役名が天川ひかりで、そのクラスメイトの千尋さんが演じた役の名前は雪乃。雪乃はその苗字さえ与えられていない本当のちょい役だ。夏を表す天の川に、それと対比する形で作られた雪乃。その役名があたしの名前にそっくりなのも当然で、だってそれは千尋さんの推察通り、あたし自身がモデルとなっていたから。もっともあたしと違って、雪乃ちゃんは文字通り冬が似合う女の子だけどね。
「だからさ、夏乃ちゃんももっといろんなこと大切にしないと後悔するよ?」
「やっぱり……か……」
あたしは気づくと思わずその本音が溢れてしまっていた。
「え、何が『やっぱり』なの?」
「最近いろんな人からそんなことを言われるなって」
少なくともぱっと思いつくだけで、他にも二人から言われている。
「それはみんな夏乃ちゃんのことを心配してるのよ」
「心配って……あたし本当に信用されてないんですね。リーダーとして」
「違うわよ。リーダーとしてちゃんとやっているのに、やり方が無鉄砲すぎるのよ」
「そこはあまり気にしてないつもりなんだけどなぁ〜」
「気にしなきゃダメよ! 夏乃ちゃんは一人じゃないんだから」
「え……?」
喫茶店のドアのベルがカランと鳴ったのはその時だった。
そこにあったのは愛花ちゃんの姿一人で、まるで抜け殻のようにその場で立ちすくんでしまっている。愛花ちゃんを追いかけていったはずの悠斗と御咲ちゃんの姿はそこにはなく、どうやら完全に愛花ちゃんが二人を出し抜いていたようだ。
「みんな一人じゃないんだから。それを忘れちゃダメってこと」
今のは誰に聞かせようとしたのだろう。千尋さんは両手で頭を支えながら、ぼやくようにその言葉を発していたんだ。
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