アイドルが自分のパートナーを探す事情

「ねぇ夏乃ちゃん。アイドルやってて楽しい?」

「ん……?」


 梅雨時の夕暮れの、静寂に包まれた喫茶店。あたしは千尋さんにそう問われて、少しだけ回答に躊躇していた。別に楽しいか否かのどちらかを答えるのに迷っていたわけではないのだけど……。


「もちろん楽しいですよ。御咲ちゃんと夏乃ちゃんがいて、三人でいることがこんなに楽しいとは思っていなかったので」

「そっか。よかった」


 千尋さんのほっとする笑みに包まれる。その笑みはこの店自慢のブレンドコーヒーの苦味と中和して、つんと鼻を刺激してくる。というのもあたしの頭の中では小さなクエスチョンマークに包囲されていた。どうってことでもない疑問符ではあるのだけど、最近のあたしは妙にそれに出くわすケースが増えてる気がしたからだ。


「どうしたの? 何か納得してないような顔してるけど?」

「あ、いえ、大した話じゃないのですけど……」


 当然のように千尋さんに見抜かれてしまう。多分だけど、あたしが疑問に感じているのはこの辺りのお話だ。


「千尋さんはアイドルやってて楽しかったんですか?」

「え、私のこと?」

「ん……あ、はい。あたしと同じようにアイドルグループのリーダーやってて、周りには胡桃さんと瑠海さんがいたわけですよね?」

「ん〜、そうねぇ〜……」


 千尋さんが一瞬だけ納得していないような顔を浮かべたので、あたしはその瞬間どきっとした。だけどすぐに千尋さんはあたしの質問を飲み込んでくれたので、あたしは胸を撫で下ろすようにもう一度コーヒーカップに唇をつけた。やや冷めかけてはいるけど、コクのあるコーヒーの苦味は未だ継続されたままだ。


「楽しかったのと辛かったの、ちょうど半分ずつくらいかな」

「半分ずつ……ですか。辛かったではなく……?」

「もちろん辛かったよ。特に瑠海がどうしようもない化け物ぶりをいっつも発揮していたしね。あんなのすぐ側で見せられたら、私は手の打ちようがなかったわ」

「ふふふ。そうかもしれませんね」


 千尋さんはかつて『BLUE WINGS』というアイドルグループのリーダーを務めていて、そのすぐ隣には千尋さんと同じ年の胡桃さん、そして一つ年下の春日瑠美さんがいた。春日瑠海といえばアイドル活動を始める前は国民的清純派女優で、この世で知らない人なんていないんじゃないかっていうくらいの人。あたしが書いている学園モノ推理小説も、春日瑠海主演で昨年ドラマ化されたくらいだ。

 だからその点、こんな言い草は本当に失礼かもしれないけど、あたしは御咲ちゃんと愛花ちゃんで本当に良かったと思ってる。御咲ちゃんは今最も勢いのあるグラビアアイドルかもしれないけど、愛花ちゃんは今最も勢いのある若手清純派女優かもしれないけど、それでもまだ春日瑠海みたいな化け物と化しているわけではない気がするから。二人ともあたしとの人気の差は徐々に広がる一方ではあるけど、なぜかあたしのすぐ手の届きそうな場所にいるような気がして、ちょっとだけ安心してしまっている自分がいるのも事実なんだ。


「だけど本当に楽しかった。胡桃と瑠海がいて、そして私がいて」

「でも千尋さんだけアイドルをやめてしまったんですよね?」

「それは結果論だよ。胡桃も瑠海も新しいパートナーが見つかったから、今でもアイドルを続けているだけじゃないかな?」

「パートナー?」


 ところが少し意外な単語が出てきて、あたしの疑問符は別のそれに変わってしまう。千尋さんの言うところのパートナーとは、どう言う意味なのだろう?

 千尋さんと同じ年の胡桃さんは、今は『BLUE WINGS』を離れ、『White Magicians』というアイドルユニットの中で活動を続けている。胡桃さんの今のパートナーは、蓼科茜さん。茜さんはあたしの一つ上の先輩で、アイドル活動を行う傍ら、女優としても活動を行なっており、巷では『ポスト春日瑠海』と言われるほどの実力の持ち主だ。最も茜さんはそう呼ばれることに納得はしていないようで、『あたしはいつまで経っても春日瑠海より下ですか!?』とぼやきまくっているけどね。そんな茜さんをいつも慰める立場にいるのが、茜さんの二つ年上になる胡桃さんというわけだ。

 そして春日瑠美さんはというと、今は未来さんと組んで『BLUE WINGS』で活動を継続している。こちらは互いに同じ年で、カリスマ的存在の春日瑠海、そして圧倒的な歌唱力の未来という具合で、見事なまでの凸凹コンビを組んでることが一つの魅力になっている。そしてさらにバックバンドメンバーとして、アイドルながら名作曲家でもあるITOさんまで加わっている。鉄板の同じ年三人組トリオで、事務所からも大きな期待を寄せられてるグループのようだ。


 そう考えると同じ年の三人組という意味で、今の『BLUE WINGS』とあたしたちの『Green eyes monsters』は似ている部分があるんじゃないかな? 事務所の社長も、それを計算してあたしをこのグループに入れたのかもしれない。じゃないとあたしなんか、ただの置き物に過ぎないだろうしね。


「だから夏乃ちゃんも二人と仲良くやらなくちゃダメだぞ?」

「あたしだって二人と仲良くしてるつもりなんですけどね〜」


 千尋さんの優しい笑みに包まれた言葉に、あたしはたじたじになりながらなんとか返している感じ。これではどちらが現役アイドルだか全くわからないくらいだ。あたしって余程アイドルとしての自覚がないってことなのか?


「でもさ。それが夏乃ちゃんの本当に聞きたかったことなのかな?」

「え?」


 ところが千尋さんは、次に質問をすとんと落としてくる。


「夏乃ちゃんは自分の話をするのがそんなに嫌い?」


 ここまでくるとあたしは心臓をぎゅっと握りつぶされてしまったような心地がして、自分の顔もどう作っていいのかわからなくなってしまう。次に作らなきゃいけないのは、笑った顔? 困った顔?


 だけどあたしがどんな顔をしても、恐らく千尋さんには見抜かれてしまいそうで。

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