アイドルが観客に魅せる笑顔の事情

「冗談よ冗談。今日は御咲ちゃんと大切なお話があるって愛花ちゃんに呼ばれたから来てみただけだって」

「来てみただけって言いながらその場で逆ナンとかアイドルとしてどうなのよ。あと私のこといい加減ちゃん付けで呼ぶのやめてもらえるかしら」

「まぁまぁ御咲も落ち着いてよ。とりあえず夏乃ちゃんコーヒー頼んだら? この店のコーヒーほんと美味しいんだから!!」

「あ、そうだね。店員さ〜ん、おすすめのコーヒーよろしく〜!」

「ブレンドコーヒーでいいですか?」

「あ、うん。それでいいよ〜」


 夏乃はにこりと笑いながら、かなり適当なオーダーをしてくる。俺はいつも通りの手順で特製のブレンドコーヒーを淹れるわけだが、夏乃がじっと興味深そうにその様子を眺めてきていることにも気付いていた。むしろそれは逆にやりにくいわけなのだが、ただしやりにくいと感じる本当の理由がどこにあるか、少し曖昧なところでもあった。

 そもそも夏乃のやつ、俺があの電話相手だってことに気付いてないのだろうか?


「それで改めて聞くけど、今週末のライブの演出方針を変えたいって話を、ここにいる三人で議論するってことでよかったかしら?」

「あれ? そんな話だったっけ??」


 御咲の質問に相変わらず適当な相槌を打つ夏乃。いやもはや相槌にもなっていないと思うが、やや苛立ちを隠しきれていない御咲を横目に、夏乃へブレンドコーヒーを差し出す。仄かな深みのある甘苦い香りが、その場で静かに漂っている。


「そういう話だよ〜! 夏乃ちゃん、電話でそう話したじゃん!!」

「あ〜、ごめんごめん。確かに愛花ちゃんそれっぽいこと言ってたね」

「私にはそれっぽいことというのがどれくらいのそれっぽさなのか理解できてないけど、つまりは私一人を前面に出させて、二人はそのお飾りになるって、そういう話でよいのかしら?」

「ん〜……、何か少しイメージが違うような……?」


 御咲の意地悪な棘のある言葉に対して、愛花は純粋にそのまま受け止めてしまい、真面目に答えようとする。本来ならリーダーである夏乃が仲裁に入るべきなのではと思わないことないが、夏乃はというと『あらこのコーヒー本当に美味しい』などと小声で言いながら、しゅるしゅるとコーヒーカップを啜るのみ。当然御咲の苛立ちはさらに悪化する一方で、さすがに俺も今回ばかしは御咲へ全面的にエールを送りたい気分になる。

 てかこの三人、普段からこんな調子だったのか!?? アイドルグループ『Green eyes monsters』の素顔というやつがあまりにそのまんますぎて、逆によくこれでアイドルグループとして成り立っているなと感心させられてしまうほどだ。


「私は嫌よ! そもそもライブは今週末。今更方針なんて変えられるはずないじゃない!! ステージ台本だって全部作り直しになるわけだし」

「でも今がわたしたちを売り出す最大のチャンスだと思うんだよね。だからここは御咲の人気を最大限に活かして、一気に『Green eyes monsters』の知名度を上げるの。夏乃だってそう思うでしょ?」

「あなたそれ、自分で矛盾したこと言ってることに気づかないの?」

「え、矛盾? …………って、どの部分が???」


 御咲と愛花が熱い討論する中、夏乃はただめんどくさそうにコーヒーをするすると飲み干すのみ。愛花が発した議論への誘いもしっかり無視していた。もっともそれは夏乃の言葉の前に御咲が割り込んでしまったからであって、夏乃は聞き耳だけはちゃんと立てているようだった。だが、おかげさまで夏乃のコーヒーカップはあっという間に空になっている。俺は無言のままサーバーを手に持ち『もう一杯いかが』と合図すると、夏乃からは『じゃあ喜んで』と澄み切った笑顔が返ってきた。


「あなた、いつまで私に頼ってるつもりよ?」

「え。それは…………」


 俺と夏乃がそうこうしている間に、御咲は愛花を完全に問い詰めていた。


「私は私で、全力でライブと向き合うわ。観客席にいる全員を、一人残らず私の魅力で夢中にさせるの。観客を笑顔にさせることが私の仕事だと思ってるから」

「だったらわたしは御咲をバックアップする。その方が……」

「バックアップって何よ? あんたそれって、全力で向き合う気がないってことじゃない!! 愛花だって『Green eyes monsters』の一員なのよ? それなのにバックアップとかふざけたこと言わないでほしいわ!!」

「わたしだって手を抜くつもりはないよ。だけど今は御咲の方が注目を浴びてるし、その方が『Green eyes monsters』のためになるって……。わたしはまだ……」

「まだってなによ!! いい加減にして!!!」


 御咲は勢いあまり、カウンターを両手でぱんと叩いた。その拍子でコーヒーカップが三つ、ふらふら音を立ててまだ揺れている。幸いなことに、淹れたてほやほやの夏乃のものも含めて、黒いコーヒーがその場から溢れ落ちることはなかったようだ。


「あなた、今度ドラマの主役を演じるんでしょ?」

「え……?」


 よく見ると、御咲の瞳はうっすらと光り輝いていることに気が付く。


「私から主役を奪い取って、愛花がメインヒロインを演じるのよね?」

「……うん。そうだけど……」

「それでもまだ、バックアップとして歌い続けるつもりなの?」

「…………」

「私よりも歌もダンスも上手いくせに、それなのに一番下手な私に甘えて、バックアップするとかふざけるのもいい加減にしてよ!!」

「それはそんなことない!! 御咲、歌だってダンスだって上手いじゃん!」

「だってそれは愛花より練習してるからよ!!!」

「…………」

「少なくとも、あなたよりは全力で練習してるつもり。私が二人の足を引っ張らないように、一番下手な私が全力で練習するのはそんなの当たり前でしょ!!」

「そんなこと……」

「そうでもしなきゃ私なんて、愛花に追いつきっこないんだもの……」

「そんなこと……って……」


 御咲の吠えるような叫び声を、愛花は受け止めきれずにいるようだ。御咲の人気にあやかってわたしは一緒にデビューさせてもらっただけ、そう愛花は思っていたはずだから。だけど冷酷な事実は、それとはやや異なっていた。御咲はいつもそのことを俺に愚痴り、ここ最近愛花を無視していたのだってそれが理由だった。悔しくて悔しくて、だからこそ御咲は全力で、いつも練習を重ねていたんだ。

 それでも訪れた現実は、主役のヒロインに選ばれたのが御咲ではなく、愛花であったということ。もちろん女優歴としても愛花の方に分があっただろう。だけどそれ以上に御咲は……。


「じゃ〜さ。今週末のライブの方針は、彼に決めてもらうのが正解じゃないかな?」


 二人がそれぞれの想いをぶつけ合う中、ようやく仲裁に入ったのはリーダーの夏乃だった。だが、その仲裁方法というのが案の定というべきか、やや斜め上の方向へ向かっている。


「は? 俺???」

「だって君、見たところ二人のことをよく知る仲みたいだし、だったら『Green eyes monsters』の一ファンってことで合ってるよね?」

「まぁそれはそうだけど……じゃなくて、俺が何をどうしろと?」

「ひょっとして今までの話の流れ、全く聞いてなかったの???」

「いや、聞いてたけど……?」

「だったら君が観客として何を観たいか? それを二人にちゃんと伝えるべきだよね」

「……ああ。そういうことか……」


 夏乃のやつ、どういうつもりだ? まるで俺のことを全く知らないような口振りで、唐突に俺に答えを委ねてくる。いや実際本当に、いつもの電話の相手が俺であることに気付いていないのかもしれない。……なはずはない。全く見ず知らずの人間にこんな委ね方をしてくるはずはなく、間違えなく夏乃はシラを切り通すつもりだ。


「さあ、君が選ぶのはあたし? それとも御咲ちゃんかな〜?」

「……ってその聞き方、なんだかズルくないか??」


 悪戯な夏乃の顔が迫ってくる。俺はその背後にある御咲の顔をちらりと横目で見たが、『まったく……』と小声で呆れるような顔を返してきていた。だがここに俺の罪なんて一ミリもないと思う。


「……それとも、愛花ちゃん……かな?」

「…………」


 夏乃の顔は明らかに俺を挑発していた。声の後ろ側に、愛花の間抜けな顔がちらりと映り込む。御咲に問い詰められている頃は少し泣き顔だった。お前はそんな顔するなって。小さい頃から俺はその泣き顔を何度も見せられてきたけど、今でもその顔は見慣れていない。だって似合わないから。愛花は常に無邪気に笑ってて、それがお前のいつもの顔じゃないかって。


「……俺の答えなんて、そんなの決まってるじゃんか」


 別に御咲の意見に賛同しているとかそういう話じゃない。

 だけど、俺が本当にずっといつまでも見続けていたいものは……。

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