Lesson2: 小説家としての日常と非日常

始まったばかりの高校生生活

新人作家がラノベを書き始めた事情

 俺の書いた小説がとある新人賞を受賞したのは、一昨年の秋のことだった。

 純文学の新人賞というと聞こえはいいかもしれない。とはいえ、当時中学生だった俺の周囲では、そんな浮世離れした話に興味を抱く人はほぼ皆無だろうと容易に想像がついた。そんな状況で中途半端に持ち上げられることを嫌悪した俺は、俺の筆名である『月山つきやまはるか』が中学生であるという事実を隠したんだ。結果、平凡な若手男性が純文学の文学賞を受賞したという話で完結してしまい、特に本屋で注目されることも少なく、いつの間にか本屋の書棚からも消えていたという具合だ。もっともそれは、俺の力量のなさによるものに違いないけれど。


「そっか。次回作は女優が出てくるお話かぁ〜」

「な、なんですか……」

「べっつにぃ〜」


 横浜駅近くの喫茶店。廣川ひろかわさんは俺が用意したプロットを一通り目を通すと、アイスコーヒーを飲みながら俺を試すような目つきでじっと睨んできた。普段、廣川さんが一緒にいる仕事相手というのは俺以外ほぼ大人であろうし、であるなら俺をただの餓鬼扱いしているだけかもしれない。そもそも別に今さらそのことについて、とやかく言うつもりはないわけだが。


「まぁ私としては月岡君が言うところの副業とやらで稼がせていただいているから、まずは書いてみたらという気持ちが半分なんだけどね」

「我儘ばかり言ってしまい、本当に申し訳ございません」

「そこは気にしなくていいよ。作家なんて拘りをなくしたら面白みもなくなる職業だし」


 廣川さんは大手出版社に所属している俺の担当の女性の方だ。俺が一昨年デビューして以来、いつもお世話をしていただいている。年齢までは聞いたことはないが、すらっとした顔だけ見ると二十代前半くらいに見え、つい先日まで大学生をやっていましたと聞かされても何も驚かないだろう。ただし顔に似合わず指摘してくる箇所は常に的確で、俺みたいな生意気なただの餓鬼相手ではいつも退屈なんじゃないかってそう思えていた。


「でも今さっき、それは気持ちの半分って……」

「そんなの、君のもう一つの副業の続編を末長くお待ちしてますって話に決まってるじゃない」

「その節は大変申し訳ございません!!!」


 もちろん、聞くだけ野暮というのは最初からわかっていた。廣川さんはにこにこしながら俺の身体に釘を打ち込んできて、逃げ場というものを完全に封じてしまう。まさしく十八番というやつだ。

 俺の副業というのは『月島つきしま遥斗はると』という筆名でラノベを書くこと。内容はアイドル声優がトップスターを目指すそこそこ平凡なサクセスストーリーなのだが、メインヒロインがアイドル声優であるという点が受けたのか、思いの外、ヒット作となっていた。そもそもは純文学の売れ筋が微妙であったため、廣川さん提案で実験的にわざわざ筆名まで変えて書いたものなのだが、その売れ行きは俺が本来書きたいと思っているはずの純文学を軽く上回ってしまったんだ。

 しかも状況としても、そう単純な話ではなくなってきている。去年の春頃、俺としては軽い気持ちで書き始めたそのラノベは、内容的にやや行き詰まりつつあった。待望の三巻目をなんとか去年の冬に出せたものの、ストーリー的にはそれっきり完全に煮詰まってしまった。さらに何を血迷ったのか、そのラノベはドラマ化まで決まってしまい、ドラマが放映される夏までには四巻目をと言われ続けている。そもそも原作ラノベってアニメじゃないのか?とも思ったが、廣川さん曰く、『確かにこれ、アニメよりドラマ向きよね〜』というのが売る側の感想らしい。


「あ、そうそう。そのドラマのことなんだけど、主役のヒロインを演じる子が決まったみたいね」

「そうなんですか? 俺、そっちの話はまだ全然聞いてなくて……」


 そもそも俺はそれどころじゃない。こんな状況でドラマなんて作ってしまって大丈夫なのか? ドラマの一クールを放送するには少なくとも四巻目は必須な気もするのだが。


「月岡君も好きそうな、今売り出し中のアイドルグループの子らしいじゃない」

「え……?」

「確か、グリーン…………なんて言ったっけ? 私あまりそっちは詳しくなくて」

「ひょっとして、Green eyes monsters?」

「そう、それ! さすが月岡君。その手の話は本当に詳しいわね」

「あ、いえ……。職業柄……でしょうか?」


 ……いや、そもそもそんな話、職業柄という話でもなければ、俺は特に何も聞いていない。だけどあの三人のうちの誰かが、俺の描いたあのヒロインを演じるということだ。

 頭の中が酷く混乱している。俺は黒色に光るアイスコーヒーの中にシロップをぽとりと落とし、ストローでくるくると掻き混ぜてぐいっと飲み込んだ。それまで純粋のブラックであったはずのそのコーヒーは、甘くて温いやるせなさで、俺の舌を満たしていったんだ。

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