キュ!

 さっきまで森の中にいた私達は、まるで世界が変わったかのような、一面凍り付いた世界に立っている。

 不気味だった鳥の魔物達の鳴き声は、もう一匹たりとも聞こえない。

 音までも凍り付いてしまったかのような無音の中で、大きく深呼吸をする。


「メノウよ。全力で魔法は使えたかのう?」


「うん。私が出せる全力を出したよ」


 サフィーアの問いかけに私は笑顔で答えると、


「何も心配することは無かったじゃろう?」


 と笑顔で返すサフィーアを抱きしめて、


「うんっ! ありがとう!」


 私は心の底から頷きお礼を言った。


「まさかここまでとは……」


「シルヴァさん?」


 目を見開いて周囲を見ているシルヴァさん。


「シルヴァ。これは……」


「これはー、思ってた以上っと言うかー、やっぱりこの間のアブソリュートエンドは本気じゃなかったってことよねー」


 不安そうな表情でシルヴァさんを見ているコルトさんと、困ったものを見たと言いたげに、頬に手を当てるカルハさん。


「この様子だと、カルハの言う通りだろうな。メノウは抑え込もうとしてたと言っていたしな」


 カルハさんの言葉に、頷いて言うシルヴァさん。


「ところでメノウ。今まで本気で魔法を放ったことは?」


風竜ウィンドドラゴンと戦った時くらいですね。あの時は上位下級の魔法までしか知りませんでしたけど」


 私がそう答えると、あからさまに呆れたと言う顔をされた。


「メノウ。疲労感や脱力感は無いのか?」


「ん? う~ん? 元気ですよ?」


 頭の上にいっぱいはてなマークが浮かぶ。


「普通、全力で魔法を使ったら、少しくらいは疲労を感じる物なんだぞ?」


 シルヴァさんがため息をつきつつそう話す。


「そう言えば、瑪瑙が初めて魔法を使った時も、巨大なトルネードを発生させて、ケロッとしていたわね」


 ルーリが私の隣に来て、しみじみと言った感じで話す。


「メノウの底が見えないな。まったく末恐ろしい」


 シルヴァさんは苦笑交じりに言って、再度辺りを見回す。

 それにつられて私も景色を見る。


 さっきまで森"だった"場所がそこには存在した。

 キラキラと光る粒子はそのままに、でも木々の鬱蒼とした緑や、空高くそびえる大木の幹や土が際立つ茶色。

 そんなものは、視線の通る範囲にはもう存在していなかった。

 白。

 全てが凍り付き、真っ白に染まった森。

 幾重にも並び立つ木々は樹氷と化し、大地すらも白銀に輝いていた。


「これ、どこまで魔法が届いたのかな? 木が邪魔で把握できないんだけど」


 リステルもキョロキョロと周囲を見ている。


「瑪瑙お姉ちゃん凄いね!」


 可愛らしい笑顔を浮かべて私に抱きついてくるハルル。

 そんなハルルとは対照的にポカーンと口を開けているアミールさんとスティレスさん。


「凄い凄いとは思っていたのだけれど――」


「魔法ってここまでできるのか……?」


 二人がそう呟いているのが聞こえた。


「シルヴァちゃん。あなたはこの魔法の範囲どれくらいだと思うー?」


「流石に私でも、正確にはわからんぞ。ただまあ、小さな村程度なら一瞬で氷漬けになるな、これは」


「なるほどー。メノウちゃんが不安に思っちゃうのもわかる気がするわー。ここまでの威力の魔法を操れるってなるとー、下手に魔法は使えないものー。むしろ今まで良く使いこなせてたと思うわー」


 カルハさんが私の頭を撫でながら、シルヴァさんと話している。


「さて、切裂鵙ティアシュライクの襲撃も、サフィーアとメノウのおかげで何とかなりました。ただ、切裂鵙ティアシュライクがこんなところにいることを鑑みて、森のもっと奥まで確認した方がいいようですね。お嬢様、ルーリ。確かキロの森で一番マナが濃い場所と言うのは――」


「喪失文明期の遺跡があった場所ですね。前の調査の時に風竜ウィンドドラゴンがいた場所でもあります」


「……これ以上厄介な魔物が出てこなければいいんですが。まあ、考えても仕方ありませんね。行きましょう」


 コルトさんがそう話し、私達は再びキロの森を奥へと進む。

 しばらくの間、私が凍らせた地面が続き、足を下すたびにパキンパキンと氷の割れる音が、小気味よく続く。


「~♪」


 ハルルはそれが楽しかったみたいで、ピョンピョンと跳ねて、足元の氷を割っていく。

 滑って転ばないか、ちょっと心配になった。


 凍り付いた森を抜けて、また景色は鬱蒼とし始める。

 そして、景色が戻り始めると同時に、魔物も出てくることになる。


 しばらく歩いていると私達の目の前に、大きな白色や茶色のモコモコしたものが大量に現れた。


「おや、跳ね兎バウンスラビットですね。メノウ、丁度いいです。こいつらは気性が荒くてすぐに襲ってきますが、体当たりくらいしか攻撃方法はありません。その体当たりもモコモコしているので軽い打撲程度で済みます。遠距離からの魔法は使わないで、接近戦だけで行きましょう」


「わかりました」


 コルトさんの提案に頷き、私とリステルとコルトさんは前へ駆け出した。

 すると、モコモコした何かが一斉に飛びかかって来た。

 あ、跳ね兎バウンスラビットってコルトさんが言ってたから、ウサギなのかな?

 見た目はモコモコの毛玉。

 ただし、大きさは大型犬ぐらい。

 初めはちょっと怖かったんだけど、想像していたスピードより遥かに遅くて、落ち着いて行動ができた。


「ふっ!」


 まず最初に飛びかかって来た跳ね兎バウンスラビットに向かって、すれ違うように左斜め下から斬り上げる。

 スパッと言う軽い手ごたえが剣から伝わってくる。


「あれっ?!」


 少し焦りつつも、どんどん飛びかかって来る跳ね兎バウンスラビットを躱しつつ、流れるように次々に斬りつけた。

 だけどどうにも斬った感触がしない。


「瑪瑙、もう半歩踏み込んで! こいつら見た目はでかいけど、体は意外と小さいの!」


 リステルが大きな声で私に言う。

 相変わらずリステルは、踊りでも踊っているように、華麗に剣を振っている。


「わかった!」


 スゥっと息を吸い、クッと止めてもう一度集中する。

 大きく飛び跳ねて私に飛びかかって来た一匹にめがけて、剣を横に振る。

 今度はさっきよりも深く斬りつけられるように意識して、半歩大きく踏み込んだ。


「キュッ!!」


 そんな鳴き声と共に、斬った跳ね兎バウンスラビットは動かなくなった。

 それを横目で確認しつつ、次々と斬っていく。


 十匹程斬った位だろうか?

 大きな毛玉が次々と私達から逃げていく。


「……あれ?」


「あ、追わなくていいですよ。気性が荒い割にはすぐ逃げるんですよ。倒しておかないといけない程危険な魔物でもないので、襲ってきた分だけ討伐すればそれでいいです」


「そうなんですか。ちょっとホッとしました」


跳ね兎バウンスラビットは、毛皮とお肉が高値で取引されていますので、倒した分はちゃんと状態維持プリザベイションをかけて、空間収納に入れて、持ち帰ってくださいね」


「はーい」


 想像してた以上にあっさりと終わってしまった戦闘に、少し拍子抜けしてしまった。


「瑪瑙。ちゃんと戦えてたよ! 少し取り戻してきた?」


「んーどうだろう。跳ね兎バウンスラビットって見た目がモコモコしてて、全然怖くなかったもん。それに、前もって大した怪我もしないって言われてたから、安心して戦えたんだと思う」


 リステルが私と腕を組み、嬉しそうにクルクル回る。


「それでもちゃんと踏み込む位置とか調節できてたから、確実に前進してるって!」


「ふふ。ありがとう」


 そうして、倒した跳ね兎バウンスラビットの後始末をして、後方の少し離れた位置で待機しているみんなの所へ。


「キュッ! キュキュッ!!」


「「「……」」」


 私とリステルとコルトさんの三人は同時に目を点にして、キュッキュッと鳴く大きくて白いモコモコを両手で鷲掴みしているハルルを見る。


「……何をしているんですか? ハルル」


 コルトさんが笑顔でハルルに尋ねる。

 でもコルトさんの眉はしっかりとハの字になっている。


「こっちに一匹跳ねてきたから捕まえた!」


 ハルルちゃんはフンスフンスと鼻息を荒くして話す。

 その声はどこか嬉しそう。


「キュー……」


 どこか諦めたように、しょぼくれた鳴き声を上げる跳ね兎バウンスラビット


「はぁ……、ハルル。こちらに渡してください。止めを刺します」


「やっ!」


「噛まれますよ!」


「やーっ!」


 あらあら。

 珍しくハルルちゃんが駄々っ子している。


「持って帰っても飼えませんよ?」


「ん。わかってるもん。もうちょっとモフモフしてから逃がす」


 そう言って、ハルルちゃんはモフモフの毛玉に顔を埋めている。

 そんなハルルちゃんを見ていると、私もモフモフしたくてウズウズしてくる。


「ハルルー? 気持ちいい?」


 私がそう聞くと、


「んー! ふわふわ~」


 ふにゃっとした返事が返ってくる。


「ハルル。私も触っていーい?」


 どうやらモフモフしたいと思ったのは私だけじゃなかったようだ。

 リステルは手をワキワキさせながらハルルに聞いていた。


「リステルお姉ちゃん、そっちからだと噛まれるよ?」


「おっとっと」


 伸ばしていた手を慌てて引っ込めて、ハルルの横に並んでリステルは毛玉を撫でだした。


「あー久しぶりに触ったよ。相変らずすっごいふわふわ!」


「もう。お嬢様まで何をやっているんですか。っと言うか、シルヴァ? カルハ? ハルルに注意しなかったんですか?」


 頬をぷーっと膨らませて、二人を責めるように見るコルトさん。

 そんなコルトさんの視線から逃げるように、無言で顔を背ける二人。


「二人ともハルルと一緒になって、この毛玉を触りたくっておったぞ」


 サフィーアが少し悪戯っぽい笑みを浮かべて告げ口をする。


「ちょっとサフィーアちゃーん! しーっ! しーっ!」


 慌てた様子で口に人差し指を当て言うカルハさん。


「カールーハー!! シルヴァも私達が戦闘中に何を遊んでるんですかっ!!」


「いや、ちゃんと警戒はしてたぞ? それだけ余裕があったってことだ」


「まったくもう」


 はあっとため息をついてがっくりと項垂れるコルトさん。


「あはははは……」


 そんなやり取りを見て、緊張感が無いなーとため息をつきつつ、こんな森の中でも、余裕をもって喋っている三人を見て、やっぱり頼もしいなーと思う私でした。


「瑪瑙お姉ちゃんも触る?」


 ハルルが楽しそうに聞いてくるので、


「触るー! ここ触っても噛まれない?」


 喜んで返事をする。


「ん! そこなら大丈夫!」


 戦っている時は、触感なんて気にしている余裕なんてあるわけないし、殺してしまった魔物をじっくり触りたいとも思わなかったので、どれだけモフモフしているとか全然考えていなかった。


 ハルルに捕まっている跳ね兎バウンスラビットに手を伸ばす。

 見た目とは裏腹に毛の量が膨大なのか、手がどんどんモフモフした体に沈んでいく。


「お……おお?! すっごいフワフワで柔らかい! 綿菓子みたいで気持ちいい~!」


「でしょっ! でしょっ!」


 ハルルが嬉しそうに言う。


「瑪瑙、わたがしって何?」


 ルーリが首を傾げて聞いてくるので、


「えーっと、白くてフワフワした甘ーいお菓子の事だよ」


 そう答えると、


「ほう? この跳ね兎バウンスラビットの毛玉みたいにフワフワな菓子か。食べてみたいのう。メノウは作れるのか?」


「あー、確かザラメって言う砂糖を使うお菓子で、専用の道具が必要なのは知ってるんだけど、作り方は知らないんだー。ごめんね?」


「そうか、それは残念じゃ……」


 がっくりと肩を落とすサフィーア。


「戻ったらまた何かお菓子を作ってあげるから、ね?」


 私がそう言うと、


「それは楽しみじゃ!」


 サフィーアは嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「それにしても、跳ね兎バウンスラビットの体って、見た目の半分くらいしかないのね? 思ってたよりも体の部分はずっと小っちゃい」


「やっぱり最初はびっくりするよね。私も初めて跳ね兎バウンスラビットと戦った時は、毛にしか剣が当たらなくて、凄い違和感を覚えたよ。これだけ毛が多いせいで、体当たりされても大して痛くないんだよねー」


 そう話すリステルは、さっきからずっと毛玉をモフモフしている。


「この毛皮が特に高価なんですよ。跳ね兎バウンスラビット自体はそう珍しくはないんですが、さっきも言いましたが、自分達から襲ってくる割にすぐに逃げてしまいます。逃げ足は結構早いので、追いかける冒険者は少ないんですよ。放っておいても脅威にはなりませんからね」


 ……。

 キリっと真面目な顔をして話してくれているコルトさん。

 だけどその手はしっかりと毛玉に沈んでいる。


「コルトコルト。気持ちいい?」


「気持ちいいです~」


 リステルに聞かれた瞬間に、キリっとした顔がふにゃっと崩れてしまうコルトさん。


「ここ、キロの森よ? この間風竜ウィンドドラゴンが出た」


「ほんと、緊張感ねーよな」


 そんな様子を見て、苦笑交じりの笑顔でアミールさんとスティレスさんがそう言った。


「ふぅ。まんぞ――いえ、もう充分な休憩が取れましたね。そろそろ行きますよ。ハルル、逃がしてあげなさい」


 コホンと咳払い一つし、コルトさんはハルルに言う。


「ん! じゃあね!」


 そう言って跳ね兎バウンスラビットを地面にそっとおろし、手を離すハルル。


「キュッキュッキュッ」


 そう鳴きながら、全速力で白い毛玉ちゃんは逃げていきましたとさ。

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