【第一章】脱獄

【第一話】前世の記憶 ①

「ん………………。ここ…………は…………」



気が付けば檻の中だった。


何故かは分からないが、囚人服だ。


何もない檻の中に収容され、壁にもたれて力なく座っている。


思考が回らなかった。


ここがどこで、今の自分がどういう状況にいるのか────。


それすらもが分からなかったのだ。


記憶には全く無い。


まるで寝起きのような心境だ。


一体何が起きているのか、脳をいくら回転させても検討すらつかない。


まるで自分が自分でないような感覚だった。


どうにも不思議な感覚だ。


妙な気怠さもあって、とりあえずボーーッと考えてみる。


自分は、『三谷恭司』は…………一体ここで、何をしているのか────。



「おい、まだ生きているかァ…………?『カザル』」



すると、


不意に声が聞こえてきた。


若い男の声だ。


顔を上げてみると、檻の向こう側に松明を持った男の姿がある。


煌びやかな鎧を纏った、貧弱そうな男だった。


全く記憶にないが、彼は自分に向けて『カザル』と呼んだ。


でも…………


自分の名は『三谷恭司』だ。


それを告げようと、口を開く。


しかし…………



「う…………ッ!!」



話そうとした途端にやってきた頭痛────。


凄まじい激痛の中で、今までの記憶が一気に頭の中に戻ってくる感覚を覚えた。


色んな思考が知識が経験が何度も何度もフラッシュバックしているようだ。


"自分が生まれてから"ここに至るまでの…………その全てを思い出す────。



「おい…………ッ!!『無能者』ごときが何、俺様を無視してやがるッ!!殺されてぇのかッ!?」



檻の向こう側にいる男は、そう言って檻の中にいる自分に向けて怒鳴り付けてきた。


ずいぶんと居丈高な声だ。


自分は…………『三谷恭司』は、それを聞いて、顔を上げる。


今の自分は、この頭の激痛でひどく青ざめた顔をしていることだろう。


男はそんな恭司の様子を見るや否や、満足げに嫌らしい笑みを浮かべる。



「クヒヒ…………。その顔…………ようやく身の程を弁えたって所かァ…………?明日は貴様の公開処刑の日だからなァ…………。それまでは決して死んでくれるなよ?お前の首は、この俺様が直々に斬ってやらねぇと気がすまねぇんだからなァ…………ッ!!カッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!」



男はそう言うと、勝手に来て、勝手に去っていった。


銀色の鎧がガシャガシャと音を立てる中、男は石造りの階段を上がってこの場を悠々とした足取りで離れていく。


しかし…………


その場に残された『三谷恭司』には、そんな男の様子に構っている暇などなかった。


さっきから頭痛はどんどんどんどん痛みを増すばかりで、吐き気が止まらないのだ。


脳味噌の何もなかった所に、よく分からない記憶が山ほど詰め込まれていく。



「がはァァアアアアアアアアッ!!ァァァァァアアアアアア…………ッ!!」



あまりの気持ち悪さに何度も口から胃液が溢れ、収まらなかった。


自分の記憶と他人の記憶がごっちゃになるかのような感覚だ。


あまりの苦痛と眩暈と吐き気に、思わず意識を手放しそうになる。


死にたくなったと言い換えてもいい。


だが…………



「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」



何度も…………何度も何度も…………。


何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も吐き続けたことで────。


恭司は何とか、落ち着くことができていた。


半日以上はかかっただろうか…………?


ようやく、痛みが引いてきたのだ。


とりあえず冷静になって、周囲を見回してみる。


相変わらずの、何もない檻の中────。



「ここ…………は…………」



先ほども呟いたそれを、もう一度反復する。


だが、


先ほどとは違って、恭司にはもうその答えは出ていた。


"久しぶり"の感覚だ。


その答えを頭の中で紡ぎ出し、まとめて抽出して整理していく。



「あぁ…………………………。なるほどな」



恭司は檻の中、一人で不敵に笑った。


記憶を整理したことで解放された感情が復活を喜び、暴れたがっている。


血が沸き立って────。


肉が踊って────。


仕方がなかった。


これだけ愉快なのは、"15年ぶり"だ。



「ふ、ふ、ふ、ふ、はは…………はははははははははははははははは…………」



まるで…………ずっと堰き止めていたダムを解放するかのように────。


まるで…………巨大な津波が押し寄せてくるかのように────。


喜びが、幸せが…………どんどんどんどんと溢れ出してくる。


この状況が展開が、嬉しくてたまらない。


こんなにも幸福なことがあるだろうか────?


こんなにも素晴らしい出来事があっていいのだろうか────?


"一度死んだ自分"が、こんな目に遭わせてくれた存在に、"復讐"する機会を得られるなんて────。



「は…………はは、ははハハ、ハはハはハはハはハはハ…………ハァーッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!あのクソッタレな神がッ!!やってやったぞッ!!"取り戻した"ゾォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」



恭司は歓喜に打ち震えた。


"思い出した"のだ。


もう忘れない。


やってやった。


"神が消したはず"の"前世の記憶"を、恭司は自力で取り戻したのだ。


コレでもう、誰にも止められない────。



「よくもこの"三谷"である俺をこんな目に合わせてくれたなァッ!!お礼ならこれからたっぷりくれてやるゾォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」



恭司の声は怨嗟に満ち満ちていた。


相変わらず檻の中で、無機質な冷たい壁にもたれかかったまま、誰もいない空虚な檻の中で、一人叫び続ける。


この"地下牢"に繋がる階段の先には見張りの兵士たちがいるはずだが、彼らは下りてはこなかった。


彼らのもとにはさっきからずっと恭司の吐く音が聞こえ続けていたはずなのだ。


それが急に叫び声に変わったとしても、この一人ぼっちの牢獄で単に気が触れただけだと判断しているのだろう。


実に都合がいい────。


自分が侮られていることなど一切気にならなかった。


どうせ、奴らは死ぬ。


これから恭司が、殺すからだ。



「ハァ…………しかしそうは言っても…………ずいぶんと難儀な体に生まれ変わっちまったものだなァ…………」



一人で小一時間ひとしきり笑うと、恭司は自分の中にある"もう一つの記憶"を掘り起こす。


それは、自分であって自分でない記憶だった。


この体の本来の持ち主の記憶だ。


その名は『カザル・ロアフィールド』────。


この世界の"4大貴族"である『ロアフィールド家』の長男として生を受けた嫡男であり、普通なら跡取りの立場になる。


しかし…………


『カザル』は生まれながらに『スキル』や『職業』といったものを何一つ得ることが出来ず、幼い頃からずっと虐待を受け続けてきていた。


正に、筋金入りの弱者だ。


5歳の頃から家の地下室に約10年もの間閉じ込められ続け、さらには明日には処刑されるという身の上でもある。


正に、あの神の"言っていた通り"の状況だったのだろう。


今日目覚められたことは僥倖だ。


どうやらギリギリ、間に合ったらしい。



「元の体の主である『カザル』…………というより俺か……?は、どうやらこれから死のうとしていたみたいだな…………。記憶を見る限り、ずいぶんと悲惨な目にあってきたようだが…………」



目を閉じると、カザルの記憶が次々と頭の中に甦ってきた。


『無能者』だと、父親や母親になじられ、殺意を向けられた記憶────。


『スバル』という弟…………さっきの男に散々いじめられてきた記憶────。


『シャーロット』という幼馴染の女の子に信頼と愛情を裏切られ、殺されかけた記憶────。


そして、


自由もなく、ろくな食事すらも与えられないまま10年もの間、無力な自分をずっと呪い続けてきた記憶────。


その全てが、頭の中にしっかりと残っている。


カザルはこれらの記憶に絶望し、ここで一人死を選ぼうとしていたのだ。


というより、


こうやって"前世"である恭司が思考出来ているということは、カザルはもしかしたら一度"死んだ"のかもしれない。


口の中に血の味が広がっている────。


おそらく、舌を噛んだのだろう。


生きているのだから噛み切れはしなかったようだが、精神的にはもう死んでいるということだ。


恭司は笑う。



「お前の体はありがたく使わせてもらうとしよう…………。その代わり、俺はお前の受けた屈辱を全て奴等に返しきってやる。一人一人…………丁寧に……慎重に……大切に……確実に…………こんなことをしてきた報いを、何十倍にもして思い知らせてやる。なんせ、今日からは俺が、『カザル・ロアフィールド』なのだからなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………ッ!!」



悪魔のような笑みが溢れ出す。


"あの時"のことを考えると、嬉しすぎて興奮が止まらなかった。


恭司は…………いや、カザルは思い返す。


本来は思い返せるはずのないそれを、恭司は頭の中で細部に至るまで思い出した。


それは、恭司がカザルになる、今から15年も前の話────。


恭司が"死んだ時"の話だった。

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