14-4.

「ジョンは事件の後、心を病んだから下手人ではないと言うのなら、」ジェーンは自身の無くなった腕に視線を向けた。「ワタシだって体に大きな怪我を負ったのだから、おんなじだと思うのだけど」

「それはそうだ」ヴィクターはまた頷いて、「でも、君には事件の前から、少し不可解な部分がある」

「と、言うと?」

「君がなぜ『あの日』、あの場に居合わせたのか。そもそもそこから疑問なんだ」


 探偵になるには、現職の探偵の助手として二年間従事しなければならない規則があった。ジョンは学園を卒業後、父の下で研修を受ける事にした。その二年間、ジョンはシャーロックから探偵としてのイロハを指導されながら、彼とワトソンと共に彼らの仕事に付いて回った。


 シャーロックとワトソンの仕事は「聖遺物」の回収だった。彼らは実に十年以上の歳月を掛けて世界中を駆け巡り、「聖遺物」を回収して来た。ジョンは最後に残った「聖槍」の回収の為、父らと共に東奔西走する事となった。

 そして、遂に発見した「聖槍」。その確保に赴く際、どうしてかジェーンも同行する事になった。その訳を、ヴィクターは終ぞ知り得なかった。「聖槍」を確保した彼らだったが、シャーロックとワトソンは遺体となって帰って来た。一体彼らに何が起きたのか、知っているのはジョンとジェーンだけなのだ。


「……ワタシはね、ずっと前から知ってたの。父さん達がジョンへ『傷』を刻む為に『聖遺物』を探していた事を」

 だって、視えていたからと、彼女は口にしなかった。彼女の生まれ持った才能である「霊視」は対象の思い入れの強い物品や人物と物理的に接触し、それらと結び付いた縁を頼りにして、遠く離れた対象の様子を伺う事が出来た。


 ――「親父達にブッ刺された」。平然と笑いながらそう言うジョンに対し、ヴィクターは何も言えなくなったのを覚えている。一生涯残る程の大きな傷を、肉親の手で埋め込まれたのに、どうしてそんな風に笑えるのだろうか。

 ――「親父が僕に必要なものだと言っていたから、まあ仕方ねえだろ。僕はあいつから何も受け継げなかったからな。悪魔共と渡り歩いていくには、大なり小なり異能めいたモノは必要になる。後天的にチカラを手に入れようと言うなら、方法は限られている。血を流すだけでソレが手に入るなら儲けものだろ」。ジョンは自身に刻まれた『傷』を、むしろ愛おしそうに眺めながらそう言った。偉大な父からの贈り物に、彼は感激していたのだ。……だから、父を、その友を疑わなかった。疑うなどという発想すらなかった。


 シャーロック達は「聖痕」というモノを正しく理解していたのか。「聖十字架」の顕現の果てに、息子が一体どうなるのか、正しく理解していたのか。……永遠に解けない疑問は、今は置いておく。ヴィクターはジェーンへ視線を戻し、口を開く。

「ボクだって知っていたさ。額と手首、それに足首に刻まれた『傷』を見て、あいつに訊いたもの」

「ワタシは父さん達を止めようとした。『聖槍』に因る傷が完成すれば、『聖十字架』の召喚は成る。けれど、それをヒトの身で起こすのは危険だと、知っていたから」

「君は一体、どこでそれを知ったんだい」

 ヴィクターの問いに、ジェーンは俯き、彼に見えないように薄く笑った。


 ――ソレを知ったから、知ってしまったから、今のワタシがある。きっと知らない方が良かったのだろう。けれど、最早止まれない、留まれない。魂に刻んだ決意は「ワタシ」というカタチをようやく受け入れたのだ。


「覚えているでしょう、あの時の貴方達の顔は見物だったもの」ジェーンは顔を上げ、その瞳にヴィクターの顔を映した。「ワタシがあんな事をしでかすなんて、思ってみなかったのでしょう?」

「……一体、なんの話をしているんだい?」

 ジェーンはヴィクターの顔に、一瞬だけ、怯えのようなものが走るのを見逃さなかった。


 ワタシはどんな表情をしているのだろう。貴方が見た事のない顔をしているのでしょうね。幾重にも束ねた仮面を一枚一枚剥ぎ取って、一体いつになったら素面は現れるのか。


 ――「自分」というカタチを決めるのは、いつだって他人だ。自分で自分を幾ら評価したところで、ソレが他者の評価と違ったら、ソレは「間違い」に成り下がる。自己評価などなんの意味もない。意味を決定するのは、いつだって「ワタシ」の事など何も知らない赤の他人だ。

 ヴィクターがワタシを見て、怯えるのがその証拠だ。彼が求めるモノと「ワタシ」が提供するモノが喰い違うから、その齟齬に未知の恐怖を覚えるのだ。


 ワタシはずっと、他人が求める「ワタシ」のカタチを正しく把握し、理解し、その中に自らを当て嵌めて来た。


「学園で、ワタシ、生徒が入ってはいけないと言われる禁書棚に入って、罰則を受けた事があるでしょう」

 彼女の言葉を聞いて思い出したのか、ヴィクターはハッと息を呑んだ。

 品行方正、謹厳実直の聖人君子。学生時代、そんな印象を持たれたジェーンだったが、一度だけ規則を破った事があったのだ。


 悪魔や悪霊、魔物の類について記され、人目に触れないよう封印された書物がある。それらは存在するだけで悪しきモノを呼び寄せるとされて来た。『教会』の管理の下、それらの書物は修道院や教会などに保管され、ジェーン達が通っていた学園の図書館にも少なからず収められていた。

 そういった本を無闇に手に取れないようにする為、厳重なセキュリティーが敷かれているが、それらを掻い潜ってジェーンは禁書棚へ侵入し、幾つかの書物に目を通した。一晩をそうして過ごした彼女は、翌朝になって発見され、罰則を受ける始末になった。

 ジェーンが規則を破るだなんて考えられなかった友人達は、一体どうしてそんな事をしたのかと、彼女へ問うた。しかし彼女は終ぞ口を割らず、曖昧に笑んで答えなかった。


「禁書棚にそんな情報があったのか……」

 ヴィクターはどこか口惜しそうにそう言った。手に入れたかった情報の在処がそんなところにあったとは、どうして思い付かなかったのだろう。

「……もしや、君があの聖カルタ修道院に就いたのは――」


 彼が口にした修道院、そこは地獄や悪魔に関する悪しき書物や記録を保管する禁足地。そこに従事する修道女達はそういった書物を封印する為に、いつ如何なる時でも祈りを絶やさないと言う。

 あらゆる修道院の中でも、特段厳しい環境へ身を置く事になるのは目に見えていた。それを知る友人や教師達は、卒業後の進路にその修道院を選んだ彼女に再考を勧めたが、彼女の意思は変わらなかった。

 しかし、そこにはきっと彼女が禁書棚で目にした記録を補填する更なる情報が保管されているだろう。まさかそれらを調べる為に、かの修道院に向かう事を決意したのか?


 ヴィクターが口にした問いに、ジェーンは答えなかった。ただ何かを含んだように、小さな笑みを浮かべるだけだった。


「ワタシはずっと前から知っていた。だから、父さん達を止めようとした。けれど、あの人達は止まらなかった」

「君が『あの日』、シャーロック達に同行したのは、最後の槍をジョンに刺すのを止めるためだった?」

 ヴィクターの問いへ、ジェーンは口を開かず、ただ静かに頷いた。


 もし、ジェーンの言っている事が事実なら、彼女はジョンを救おうとしたのだ。それは、あの事件の場にいた正当な理由になるだろう。シャーロック達を罠にハメようと画策した訳ではない――と言う事か。


 シャーロック達とベルゼブブを引き合わせたのはモリアーティだ。だが、彼にシャーロック達の情報を渡した者がいる筈なのだ。そして、ベルゼブブが発した「契約」という言葉から察するに、モリアーティとは別口でベルゼブブと取り引きした者もいる。果たして両者が同一人物なのか、別人なのか……。

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