14-3.

 流石のヴィクターも、シャーロックとワトソンの二人が悪意的な行動をするとは思えなかった。だから、なんらかの事情があって、大悪魔と接近しなければならなくなったのだろう。故意に誰かを貶めようとしたわけでなく、むしろ「契約」をベルゼブブに利用されたのではないかと考えていた。

 けれどその一方で、むしろ悪意的な方向性を疑って思考の根を伸ばす自分がいるのも感じ取っていた。


 ヴィクターは人間が悪意を持ち得る事を知っている。誰も彼もが善人ではなく、むしろ悪人に成り果てる方が簡単だと知っている。だから、自身の想いとは裏腹に、彼の脳は半ば自動的に最悪のケースをも思考する。ありとあらゆる可能性を視界に収めようとする彼は、合理的で現実的だった。


「……ボクはやっぱり人でなしでさ、それが誰であろうと、疑うべきは疑う――そうする事が出来てしまうんだよね」


 優秀な頭脳が故に、他人には見えないところまでもその目は映し取る。「変人」、「変態」と指差され、忌避の視線が彼には突き刺さってばかりだった。それならそれで構わない――やがてヴィクターは敢えて奇言奇行を繰り返し、わざと疎まれる事で周囲の人間と距離を取るようになった。影を身に着けて歩く事を選んだ彼に待ち受ける孤独、索漠、寂寥……。彼は「心」を否定し、自身を機械的に捉える事でそれらから耐え抜いて来た。

 自分一人の戦いならば良かった。しかし、ヴィクターは家族同然のジュネをそれに巻き込んでしまった。彼女もまた周囲から孤立する羽目になり、その性格は鋭く攻撃的になった。

 そんな彼と彼女を陽の当たる場所へ連れ出したのが、ジョンやジャネット、そしてジェーンだった。一人は強引に、一人は正義感から、そしてもう一人は愛憐を以て。


「貴方は……、独りでいる時間が長過ぎたのよ」

 だから、彼の孤独を知っている。他人を諦めさせ、自分へ関心を引かせない為に浮かべる臆病な微笑みを知っている。ジェーンは目の前でヴィクターが浮かべる微笑みを見詰めた。

「そうだね」快活に笑う。骸猾に笑う。いつものように、いつも通りに。「君らに出会うまで、ボクにはジュネしかいなかった」

 君らに出会えて、本当に感謝している。けれど、コレはボクの役目だ。ジョンにもジャネットにもジュネにも出来ない、ヴィクター・フランケンシュタインという人でなしにしか出来ない事だ。


「ジェーン、君は――――ボクらに何か隠し事をしていないかい?」


 仲間を疑う。恩人を疑う。家族を疑う。彼にも彼女達にとっても、それは禁忌だ。だから、ボクがやるしかない。これは誰にも出来ない、ボクの戦いだ。


 ベルゼブブと契約を交わせる人間は、もう一人いる。それがジェーンだ。シャーロックとワトソンは死んだが、彼女だけは生き残った。自分とジョンが生存し、彼らは死ぬ。そうなるまでが「契約」の内だったとしたら……?

 ……あくまでも可能性だ。ヴィクターは自分に言い聞かせるようにする。ジェーンが大悪魔と手を組んで肉親を殺す……? バカげた事を言っていると、彼自身もそう思っていた。だが全てに、あらゆる意味で全てに疑惑の目を向ける。それが自分が成すべき義務だと、彼は信じていた。行き着く果てに何が待っているのかを理解しながらも、外道になるなら、人でなしの自分が相応しいと信じていた。


「ヴィクター……」

 彼は仲間に背を向ける事すら厭わない。ジェーンは彼の眼差しから、内なる強い覚悟を見出した。

「どうして、ワタシを疑う気になったの?」

「まあ、経緯は消去法に近いよ」

 ヴィクターの口ぶりは、普段と変わらなかった。だが胸の内は、これまでの人生で経験がない程の緊張で凝り固まっていた。それを気取られないよう、ヘラヘラとした力ないいつも通りの笑みを浮かべようと努めていた。


 きっと以前の彼なら、他人へそこまで強い感情を向けられなかっただろう。誰の敵にも味方にもならない事で、彼は誰とも関わらないようにしてきた。そんな彼に敵意を向けられ、ジェーンはむしろ感動に近い衝動を覚えた。

 しかし、彼が浮かべている微笑みを見た途端、ジェーンは胸の中で静かに溜め息を付いた。


「ベルゼブブが『契約』という言葉を口にした以上、なんらかの遣り取りをした過去を持つ人物があの場にいた筈なんだ。けれど、シャーロックとワトソンは死んだ。ならば、生き残っている人物が怪しいと考えるのは当然だろう?」

「それなら、」ジェーンは一度深く息を吸って、「ジョンだって、疑わざるを得ないわね」

「そうだね」ヴィクターは当然だと頷いた。「けれど、『あの日』以降の彼は心を病んでいた。その様をボクは目の前で見ていたよ。彼が自分の親に罠を掛けたと言うのなら、そんな状態にはならないだろう。アレらが全て演技だったと言うなら、話は別だけれど、あのジョンにそんな器用な真似が出来る筈がない」

 確かにと、ジェーンはヴィクターの言葉に頷いた。ジョンは良くも悪くも嘘が下手だ。愚直なまでに前へ突き進む事しか出来ない不器用な男だった。

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