14-2.

 ジョンの体に刻まれた「聖痕」。それはシャーロックとワトソンが見付け出した本物の「聖遺物」――「彼の人」を死に至らしめた釘、冠、槍――を用いて出来上がったモノだった。

 シャーロックとワトソンは「聖遺物」に因って「彼の人」と同じ場所に同じ傷を負った者なら、「彼の人」の死を受け止めた『聖十字架』を召喚出来ると考えた。結果、ジョンは確かに『聖十字架』を顕わした。――が、彼は失敗した。魂を『聖十字架』へと変質させたはいいものの、その際に肉体と魂を結ぶ精神が瓦解した。ジョンを救う事が出来る者は、その場にはシャーロック以外にいなかった。


 そんな時に、ベルゼブブは姿を現した。


 突如現れたベルゼブブに応戦したのは、祓魔師であるワトソンだった。「音」を行使して悪魔祓いを行う彼だったが、祓魔師と言えど、相手は大悪魔。たった一人では僅かな足止めしか出来ず、命を文字通り潰された。

 シャーロックは親友の死を見ている事しか出来なかった。肉体から魂が分離しつつあるジョンを救えるのは、霊体に直接触れられる彼しかいなかったのだ。だから、ジョンの傍から離れられなかった。


 息子を救うか、仇敵と相対するか――。そんな絶望的な二択を迫られたシャーロック。そんな彼とベルゼブブの間に立ったのが、ジェーンだった。

 しかし、祓魔師でもなく、むしろ普通の人よりも体の弱い彼女に何かが出来る筈もなかった。まるで無抵抗のまま、悪魔の攻撃に吹き飛ばされた。

 だが、ジェーンの無謀が、ジョンを救った。ギリギリのところでジョンへの治療が間に合ったシャーロックはベルゼブブと戦い――しかし、その果てに命を落とした。


 やがて目を覚ましたジョンの目に映ったのは、地面に横たわる三人の無残な姿だった。

 急いで助けを呼んだジョンと、駆け付けた医師達の懸命のお陰で、ジェーンだけはなんとか命を繋ぎ止めた。再起不能とも見える体になったが、命があっただけでも、奇跡と言わざるを得ないだろう。


 シャーロック達の居場所をベルゼブブに漏らしたのは、二人の仇敵であるジェームス・モリアーティだと、ヴィクターはジョンから聞いている。ジョンはそれをモリアーティから直接そう聞いたそうだ。

 モリアーティという男がどういう人物か、ヴィクターは嫌という程に思い知っている。彼は誰かを苦しめられるなら手段を選ばない。ジョンの憎悪を煽る為にシャーロック達を貶めたと自ら白状する、それが自分にとって不利な発言でも、モリアーティなら厭わないだろう。


 シャーロックとワトソンが死んだ後の出来事は、ヴィクターも知っているところだ。

 ジョンの伯父であるマイクロフト・ホームズの手で、シャーロックとワトソンの葬儀が進んだ。二人が棺桶に入り、埋葬される様を見る日が来るとは、ヴィクターは夢にも思っていなかった。

 つつがなく進んだ葬儀の中で、ジョンとジャネットは放心状態のまま、言葉を発しなかった。無理もないとヴィクターは思い、今は無理に刺激せず、そっとしておく事が大切だと考えた。彼らなら必ず再び立ち上がると信じて――否、思い込んでいた。彼らが深く打ちのめされているとは知らず、時間に解決を委ねた事を後悔する時が来るのは、そのすぐ後だった。


 連続殺人鬼ジャック・ザ・リッパーに慄くホワイトチャペルからやって来た少女、メアリーとの出会い。「切り裂きジャック事件」と関わる事になったジョンは、その事件の果てに仇であるベルゼブブと相対した。

 一度目の魂の変質は失敗だった。そして、ジョンは大事な人達を失った。――しかし、彼は完全なる『聖十字架』の顕現を以てして、大悪魔を見事に退けた。


 そう――、『聖十字架』。アレこそがジョンを人ならざる身へと変貌させた原因だ。

 弾丸に撃ち抜かれても、手足を切り落とされても、腹から内臓が零れても、あの『聖十字架』は瞬く間にジョンを元通りに治癒して見せた。ソレは神聖なるモノが持つ「悪性の拒絶」が故だった。持ち主であるジョンが体に負った傷――、それを「悪」と見做した『聖十字架』はそれを「拒絶」し、結果、ジョンは化け物染みた再生能力を得た。


 なぜ、シャーロックとワトソンがあんなモノを息子に託したのか、ヴィクターは知らない。そもそもジョンがその身に負う「傷」に、そんな大それた意味があると知ったのは、ごく最近だ。ヴィクターはジョンの傷は「聖痕」の再現であり、悪性に対し出血して反応するだけだとばかり思っていたし、そう聞いていたのだ。


 シャーロックとワトソンは「聖痕」を刻んだ後に、ジョンの身に一体何が起きるのか、正しく理解していたのか。もし出来ていたとして、それでも尚、彼らは躊躇わなかったのか、止まろうとしなかったのは何故なのか。……ヴィクターは二人の意思を考える内、彼らに懐疑的になった。それに拍車を掛ける言葉を、ヴィクターはジョンから聞いていた。

 ――「何故ッ、今ッ、ベルゼブブ……!」倒れたジョンを救おうとする中、突如現れたベルゼブブに対し、ワトソンがそう叫んだ。

 そんな彼に答えるようにして、大悪魔は薄く笑みを浮かべながら、「契約を果たしに来たぞ――――」と、口にしたそうだ。


 ――「契約」。ヴィクターは「あの日」についてジョンが話す中、その言葉が最も強く耳に残った。

 契約とは、誰かと誰かが結ぶものだ。ベルゼブブがそれを口にしたと言うのなら、つまりあの場にいた者の内、誰かは以前にベルゼブブと会った事があり、その際に何かを遣り取りしたという事だ。


 シャーロックとワトソン。そのどちらかが「聖遺物」を手に入れる為に、大悪魔と何かしらの契約を結び、しかしそれを裏切った。その代償を払わせようと、「あの日」、ベルゼブブは姿を現した。――ヴィクターはそういった筋書きを予想した。

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