14-1.

「やあ、体の調子はどうだい」

 病室へやって来たヴィクターを見て、ジェーンは思わず目を丸くした。

「まあ……。珍しいわね、ヴィクターが一人で来るなんて」

 そうかもねと気軽そうに返事をしながら、ヴィクターは足で椅子を繰ってジェーンが寝るベッドへ寄せた。


「少し、君に聞きたい事があってね」

「……それは、」ジェーンは一瞬、口を噤んでから、「他の皆がいたら、出来ない話なの?」

「そうだね」

 ヴィクターは――いっそ挑むように顎を上げてそう返した。

 ジェーンは困ったように笑いながら、羽織る布団の下で手をギュッと握っていた。


「なんだかんだ、君と一対一になるタイミングっていうのが、今の今までなかった気がするなあ」

 緊張を押し隠すジェーンを尻目に、ヴィクターはしかし、そんな風に呑気な言葉を口にした。二つのコップへ水を注いで、その内の一つをジェーンへ手渡しながら、

「周りには必ず誰かいたものだ。だから、ちょっと気まずいんだけど、ボクだけかな?」

「貴方だけよ」ジェーンは尚も困り顔で微笑みながら、「ワタシは貴方の事、面白いと思っているもの」

 そりゃありがたい。ヴィクターは肩を竦めて見せた。


 仕事明けなのだろうか。いつもの白衣ではなく、ヴィクターはスーツを着ていた。彼は確か「国際会議」を警備する「人形」の整備を任されていた筈だ。

「お仕事は順調?」

「暇なもんさ。わざわざ『聖人』だらけの『国際会議』を襲おうとする奴なんている訳――いや、そんな事はなかったな……」


 ヴィクターは前夜祭で起きた事件を思い出した。シモ・ヘイヘと宮本ムサシが起こしたザ・タワー・ホテル襲撃事件。なんでも聖人の一人であるリチャード・ザ・ライオンハートの命が目的だったらしい。ただ一人の命を狙い、多くのホテルスタッフと「人形」が犠牲になった。

 そんなシムナとムサシの二人を止めたのは、ジョンだった。彼だけではないが、ホテルの中で膠着状態に陥った『聖人』や王族を救う為に尽力した。ヴィクターはその中で彼の特異性を見た、見てしまった。銃弾に撃ち抜かれた手や切り落とされた腕がたちまち治る様を見、ヴィクターは自分の目を疑った。ジョンのそのチカラは危険だと、ヴィクターは一目見てそう思った。しかし、忠告はジョンの耳には届かなかった。彼はきっと省みる事なく、そのチカラを思う存分利用するだろう。

 彼が傷付く姿を見て、心を痛める者がいると知りもせず――。

 あいつが他人の話を聞かないのは、いつもの事だ。ヴィクターは水を一口含み、フウと溜め息を付いた。


「ま、ボクはいつも通りさ」そう嘯いて、ヴィクターはジェーンを見る。「君はどうだい、調子の方は」

「ワタシは……」ジェーンは自分の胸を押さえた。「無くなったものを戻さないと、ワタシはずっとこのままね……」

 右腕は潰され、変形が故に切断。片肺、その他内蔵が破壊され、壊死した部分を切除する事態になった。頭蓋に負った衝撃で左目を失い、脳にもダメージが刻まれ、手足に麻痺が残った。肺の摘出や変形した腕の切除などの手術は上手くいった。今の彼女を蝕んでいるのは、その後の合併症だった。辛うじて繋いだ命、投薬治療を続けているが、未だに彼女に回復の目途はなかった。望むべくは移植手術だが、ドナーは見つかっていない。彼女が退院出来る日はいつになるか、予想すら出来なかった。

「気長に待つしかないねえ」

 ヴィクターの気軽そうな言葉を聞いても、ジェーンは顔を曇らせたままだった。彼女は自分がここにいる事で掛かる費用がジャネットを筆頭に、友人達が賄っているのを知っていた。迷惑ばかり掛けてしまっていると、彼女は強い負い目を感じていた。

 気にするな――と、皆が彼女に伝えているが、それは無理な話だろう。ヴィクターは彼女の表情を見ながら、仕方なさそうに嘆息した。


「それで、」ジェーンの顔色に怯えが差し、さらに顔を曇らせた。「話って……なんなの?」

 ヴィクターは――一瞬だけ躊躇った。恐らくソレが自分の中に残った最後の良心だろうと感じながら、やがて口を開いた。

「あの日の事を話して欲しいんだ」

「……あの日?」

 首を傾げるジェーンに対し、ヴィクターは彼女が失った腕を指差してみせた。


「シャーロックとワトソンが死に、君がその体になった――、『あの日』についてだよ」


「――――」

 ジェーンは目を見張って押し黙った。ヴィクターはしかし、彼女を強い瞳で見詰め返す。彼女はヴィクターの瞳を受け、思わず視線を逸らした。


 ヴィクターはいつも笑っている。彼の「場を弁えない」とまで言われつつも絶やさないその笑みに、ジェーン達は幾度も救われて来た。一見空気が読めないようでいて、誰よりも他者を良く観察し、心情を慮る彼は誤解されがちだったが、仲間達は皆理解していた。

 そんな彼に、いっそ睨まれている――。その事実に、ジェーンは打ちのめされていた。


「ジョンから少しは聞いているんだけど、」ヴィクターはジェーンの表情、挙動から表される不安を無視し、言葉を繋ぐ。「あいつの話の中で、気になるところがあってね」

「そう、なんだ……」

 ジョンは一体どんな話をしたんだろう……。ジェーンは背中にビッシリと汗を搔いていた。焦燥か、動揺か、それとも――。彼女はヴィクターが次に放つ言葉を待つ他なかった。


「君からも『あの日』について、話して欲しいんだ」

 どうやら何か確信めいた疑惑を持って尋ねている訳ではないらしい。ジェーンはヴィクターの口振りからそう判断し、彼に気付かれないよう、胸の中でホッと息を吐いた。

 しかし、彼女の判断は勘違いだった。ヴィクターは以前に聞いたジョンの話から、とある疑惑を抱いていた。それを確認したくて、ヴィクターはジェーンの下を訪れたのだ。

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