13-7.

「ナズナさん、貴女はいつまでそうしているんですか」ジョンは背後に振り返らないまま、ナズナへ問う。「僕がここに来たのは、帝にあの一族に起きた異変を止めるよう言われたからです」

「で、では、早く天草シロウを追いなさい……!」


 ナズナの様子は明らかにおかしい。彼女自身、自分がどうすればいいのか分からなくなっていた。天草シロウを追おうにも、マンソンがそれを阻んでいる状態なのに、それすら把握出来ずにオウム返しのような言葉を放つ事しか出来ない。まともな判断力が失われているのだ。


 それを察したジョンは口の中で舌打ちし、口を開いた。

「まず、メアリーを離して下さい。そんな事をする必要はないでしょう」

 脅すような真似をするなとジョンに諭されるも、ナズナは躊躇う素振りを見せた。メアリーは彼女の安堵を促すように、握る彼女の手に力を加え、微笑んだ。

「……分かりました」

 やがてナズナは呟くようにそう言い、メアリーの首から簪を外した。


 自分が陥っている状況――。大悪魔ベリアルが帝を襲い、そう出来る切っ掛けが「彼の人」の一族の脱獄だ。あの一族が戻れば「結界」が復旧し、ベリアルを退けられる筈だ。その為の時間を、帝が稼いでくれている。彼は強い、だがそれでも祓魔師でもない人間が大悪魔にどれだけ太刀打ち出来るか分からない。解決は早ければ早い程いい。……ジョンは大きく息を吐く。ならば自分がすべき事は、目の前に立つマリリン・マンソンを倒し、一刻も早く天草シロウに追い付く事だ。


「――『Amen』」

 ジョンの呟きに呼応するように、背中から人を吊り下げるに足る大きな十字架が顕れた。それはジョンの魂が変質した『聖十字架』。例え偽物であったとしても、ソレは大悪魔相手にでも絶大な効力を発する程の神聖性を帯びていた。悪なるモノに対して地上で最も有効的な武器――。ソレがジョンの中に宿り、シャーロックとワトソンが彼に遺したチカラだった。


 マンソンは見るだけで目が焼けるような痛みを強いられる『十字架』を目の前にしながらも、ニィと歯を見せた。

「凄まじいな。お前があのベルゼブブを退治出来たのも確かなんだろう」

 そう言う一体を残し、他の四体が一斉にジョンへと飛び掛かる。ジョンはそれを一振りで吹き飛ばすと、肩に『十字架』を置いた。

「時間がねえんだよ。雑魚は引っ込んでろ」

「そうはいかない――」マンソンは相変わらずジョンの四方を囲ったまま、「俺にもやらなければならない事があるんでね」

 ジョンは訝し気に眉をひそめる。魔人である彼が、真偽はともかく「神の子」の義体であるシロウに協力する理由はなんだろう。本来、悪魔ならどうしようもない程に危険視すべき相手だ。シロウもなぜ魔人と手を組んだのか……。

「まあ、ふん縛ってから全部聞きだしゃあいいだけだよなァ……!」

 色々と聞きたい事はあるが、ジョンは疑問を持つのをやめた。知りたい事は全て後から聞き出せばいいだけだと意識を切り替え、今度はジョンからマンソンへと距離を詰めた。


 マンソンの能力は「分身」。数で押されようが、司令塔となる本体を叩けば対処出来ると判断したジョンは、先程の攻撃で唯一動かなかった一体に目掛けて『十字架』を振るった。恐らくはそれが本体、そして残りの四体はなにがなんでも本体を守ろうとする。つまり本体だけを狙っていれば、自ずと分身は防御に回らざるを得なくなるだろう。

 ジョンのその想定はしかし、外れだった。振り落とされる『十字架』を組んだ腕で防御した一体を無視し、残りの四体がジョンに詰め寄ったのだ。

 だが、ジョンの心は乱れない。「もしも想定と違った場合」すらもジョンは想定している。想定外の動きには対応が遅れるが、ならば事前に思考し、全てを想定内に収めてしまえばいい。あらかじめ敵の動きを考え、それに対応する為に体へ刻み付ける所作、体動、動作、パターン、選択肢。その数は何十、何百、もしくは何千……?


 ジョンは父から特異な才能を何も受け継がなかった。それでも父に勝つ為にどうすればいいのかを考え続け、そして掴み取った「眼」。敵のわずかな所作、視線の揺れ、筋肉の蠢動、重心の変化――、敵の体が知らず知らずの内に伝えるあらゆる情報を、ジョンの「眼」は逃さず捉える。それらを統合し、集束させ、敵が取るであろう「選択肢」を瞬く間に盗み取り、己の身がそれに対応出来る次手を組み立てる。敵の真実を見取る「真眼」と、見えたそれらから今と次の動きを組み立てる思考瞬発力こそがジョンの真骨頂だ。


 ジョンは地面に体を転がし、立ち位置を変える。ちょうど敵と自分との間に、もう一人の敵を挟むような形だ。多対一の中でありながらも、常に誰か一人とだけ向かい合うよう動き続ける。複数戦を勝つ為に、ジョンが手に入れた答えの一つだった。

 マンソンはジョンへ攻撃を仕掛けるが、そうすると必ず自分の前に分身が現れ、動きを制される事に驚きを禁じ得なかった。こちらが用意した五体の動き全てが敵の視野の中にいる。数の差だけでは縮められない力量の差が、確実にマンソンを追い詰めていった。

「お前、素人だろ」

 ジョンは四体を叩きのめし、残る一体の顔に『十字架』を突き付け、詰まらなそうにそう言った。

「……言っただろ、俺はミュージシャンだ。手は楽器を、マイクを握る為にあるんだ」

 まさかこれ程とは……。マンソンは言葉を零しながら、体の内側を走る痛みに立っていられなくなり、膝を折った。ジョンの『十字架』は肉体の内にある魂にすら衝撃を与える。悪魔が幾ら肉体に負った傷や怪我を回復出来るとしても、魂に刻まれたモノまでは治らない。

 更に言えば、マンソンは『十字架』に触れても触れられても、それだけで消耗する。彼の敗北は、ジョンにとっては始まる前から目に見えていたのだ。


「…………」

 だが、マンソンの目的はジョンに勝つ事ではない。シロウとアマキの為に時間を稼ぐ事だ。一対一の戦闘を五回繰り返す羽目になり、ジョンは思っていたよりも時間を使わされた。ジョンは心の内で、果たしてどちらが勝ったのか分かったものじゃないと独り言ちた。


「――お兄ちゃん!」

 しかし突如、劈くようなメアリーの声がジョンの耳を刺した。見れば、彼女はジョンの背後を指差していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る