13-5.

「ナズナさん、貴方は要するに、この男を取り押さえろと言うんですか?」

 ジョンはナズナに背を向け、シロウを正面に捉えながら口を開いた。問われたナズナは、風向きが変わった事を感じ、その顔に笑みを貼り付けた。

「……そうです。彼をここで捕えれば、全て丸く納まります……!」

 ジョンはナズナの言葉を聞き、深く息を吐いた。


 シロウの語りを真実だと判断するに値する根拠はない。全ては彼が描いた妄想、推論、物語の類かも知れない。自分をどうにか丸め込む為に、父と母の名を使っただけだ。ジョンはそう考えながらも、シロウの言葉を否定出来る根拠だってない事に彼は気付いていた。――要するに、ジョンはシロウの言葉を信じる事も信じない事も出来なかった。

 彼の耳に、「何も知らない」とベルゼブブが去り際に放った言葉が再び蘇る。そう、無知が故にジョンはシロウの言葉が真実であるか、虚妄であるかを判断出来ないのだ。ジョンはそう思うと、胸に沸く苦い想いを砕かんと強く歯を噛んだ。

 様々な人と出会い、多くの事件を解き、数多の想いを身を以て知った。ベルゼブブ、シモ・ヘイヘ、宮本ムサシ――中でもこの三人にぶつけられた想いは、ジョンに大きな衝撃を与えた。しかし、未だジョンは彼らの想いの核心に触れられていない。ソレについて知り得ない限り、「何も知らない」という言葉を払拭出来ないだろう。


 ジョンは意識を切り替え、自分に言い聞かせる。今この時に於いて、最も大切なモノは何かと問う声に従い、彼は答えた。

「だったら、メアリーを離せ」

「…………」

 ナズナは、ジョンの言葉に答えなかった。彼の背中を見詰めたまま、しかし少しだけ苦しそうに顔を歪ませた――ように見えた。


 メアリーはナズナを見、なぜ彼女がそんな顔をするのかと考える。自分自身へ「こうするしかないのだ」と彼女はそう必死に言い聞かせているように、メアリーには見えた。

「……っ」

 ビクッとナズナが体を震わす。メアリーの首に突き付ける簪を握る自分の手に、メアリーがそっと手を重ねて来たからだ。ナズナが恐る恐るメアリーの顔を覗き込むと、あろう事か、彼女は小さく微笑みを浮かべていた。

「大丈夫、お兄ちゃんが、助けてくれるよ」

 メアリーがなんと言ったのか、ナズナは上手く理解出来なかった。命を握られている筈の彼女が浮かべる笑顔のなんと柔らかな事か……。彼女は信じている、「お兄ちゃん」が助けてくれる事を信じている。彼女どころか、ナズナすらも助け出すと信じているのだ。


 自分を一体何から助けてくれると言うのか。敵に挟まれたこの現状か、それとも――。……ナズナは歯を噛み、首を振った。誰も私の苦しみなど知らない、知る余地などない。生き人形の私を救える人間なんて、いる筈がないんだ……!

「黙っていてください……!」

 だから、ナズナは簪をメアリーの皮膚に食い込む程、更に強くメアリーの首に突き立てた。それでもメアリーはナズナの手から自分の手を外さなかった。


 二人の様子を知る由もないジョンは、シロウに向けて飛び掛かろうと足にグッと力を溜めた――直後、背後から地を蹴る音がした。

「ああッ!」

 アマキだった。ジョンに背後から近付いて彼を阻もうとしたが、しかしジョンは彼女が飛び出す手前から彼女の敵意に感付いていた。


 ジョンは闘牛士さながらに体を回し、アマキの攻撃を躱した。踏み止まった彼女を出迎えるジョンの拳撃を――今回は受け止められた。反撃を予期していたのだろう彼女はジョンの拳を手の平で弾くと、そのまま中段蹴りを放った。しかし、その攻撃は想定内、ジョンは彼女の脚を肘で撃ち落とした。

「ぅ……!」

 アマキは脚に走った激痛に目を見張る。動きが止まった彼女を追い詰めようと、ジョンは足を踏み出した。しかし、彼女とジョンの間にナズナ達の後ろにいた筈の大男が立ちはだかった。


「アマキ、シロウと一緒に行け。ここは俺だけでいい」

「しかし……」

「俺とシロウを二人きりにするよりは、マシだろう?」

 アマキの胸の内を見透かしたような男の言葉に、彼女は口元を引き攣らせた。


「アマキ」そんな彼女の背に、シロウが声をかける。「行こう。ここは彼に任せていい」

 シロウはアマキと共にエレナ達を連れて、その場を離れようとした。その背中に、ジョンが声を投げ付けた。

「おい、待てよ。勝手な事ばっか言いやがって、逃げんじゃねえよ……ッ!」

 ジョンの声に、シロウは答えなかった。「糞っ垂れ」と呟き、彼を追い掛けようとした。


「待て待て。俺を無視するな」

 ジョンの前にスッと大男が出る。彼の背後にも同じ姿の男が立っていた。分身、分裂――ソレがこの男が持つ能力。

「黙れよ、悪魔野郎。二対一なら勝てると思ったか?」

 例え挟撃を図られようと彼は臆さない。ジョンは強く地を踏み付け、男が放つ敵意を吹き飛ばす。

「二人――か」

 男はどこかせせら笑い、ジョンの前に立ちはだかるように仁王立ちした。


 ジョンが敵を睨み付けている最中、目の前で男の姿が二つに増えた。驚いて目を見張った直後、更にもう一人増えた。男の姿がスッと横にスライドするように増え、やがて男の数は本体を含め、計五体となった。

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