12-5.

「……どうなってるんだ」

 ジョンの戸惑いに、コウスケは歯を噛んで堪えるようにしながら、

「……安部セイメイという術師の最期だ。帝はたった今、この国随一の陰陽師――、いやさ祓魔師を葬ったのだ」

「な……っ?」

 振り返るジョンに、コウスケはただ首を振って答えた。


「さて、神の軛から外れた者よ。ようやく貴様の相手をしてやれるぞ」

 再び腰鞘に刀を収め、帝は愉悦めいた笑みを浮かべながらそう言った。

「……あァ?」ベリアルは眉を上げ、詰まらないものを見るように唾を吐いた。「デケえ口を叩きやがるが、一体テメエに何が出来るんだ?」

「…………」

 しかし帝は答えず、ベリアルが吐き捨てた唾を見遣る。

「どこ見てやがん――」

「貴様、余の城を汚してただで済むと思っているのか?」

 ベリアルの言葉を遮り、帝は静かな声でそう言った。――けれど、その声音の向こうに、ジョンは暗がりに息を潜める虎の姿を見た。

「拭え、今すぐにだ」

 帝は――かの大悪魔に対し、そう言葉を突き付けた。その姿は毅然たる王の所業。自らを驕り、自らを省みず、自らを興す天帝はまるで神の如き君臨者。


「…………」ベリアルは――青筋を立て、牙を剥いて破顔した。「いい度胸してんじゃねえか……ッ!」

 跳び出したベリアルが容赦なく放つ二つの蒼炎。それを睥睨し、帝は、

「――詰まらん。貴様はそれしか出来んのか」

 左右から放たれる二度の斬撃が、炎をいとも容易く打ち払った。その光景に驚愕し、目を丸くするベリアルの右脚を擦れ違いざまに斬り捨てる三度目の斬撃。

 瞬く隙間もないほどの、まさしく一瞬の出来事。ジョンもコウスケも目の前の光景を疑う事しか出来なかった。

 大悪魔をこうも易々と……。ジョンは息をする事さえ忘れていた。


「なにを呆けておる。早くナズナの下へ向かえと言っておるだろう」

 いつの間にか自分の隣に立っていた帝が言葉を口にして初めて、ジョンは意識を取り戻した。

 帝は悠然と歩を進め、床に倒れるベリアルの頭を容赦なく踏み付けた。

「貴様が汚した床だ、貴様の顔で拭うとしよう」

 帝はベリアルの頭に足を置いたまま、まるで雑巾を扱うように彼の頭を床にこすり付けた。

「ナメ――てんじゃねえぞクソがァあああッッッ!」

 怒髪衝天とはこの事を言うのだろう。凄まじい勢いで立ち上がったベリアルが振り向くと共に放った拳撃は、しかし空を切った。帝は器用に宙を舞い、后の下へと降り立った。


「貴方様……、危ない事はよしておくんなし……」

 タマモは帝に縋りつくようにした。しかし帝は「呵々」と笑い、

「余はお前を護りたいだけぞ。お前がこやつを拒むから、余も同じくそうするだけだ」

 ベリアルは二人の姿にギッと音が鳴るほど強く歯を噛んだ。

「オイ、何してんだ。もうテメエを閉じ込めていた檻は解けただろうが。お前は自由なったんだ、さっさとこっちに来い」

 悪魔は悪魔の下へと帰るべき。人間と悪魔は共にいられない。ベリアルに――大悪魔にとっては当然の思考だった。しかし、タマモは大きく首を振り、帝に寄り添い、彼を抱き締めた。

「嫌でありんす。わっちは、こなたの方と共にいると決めました」

 ベリアルはタマモの瞳を認めた。そして静かに口を開いた。


「お前は何が欲しくて、兄貴に付いて来たんだ――、マモン」

「――――」

 タマモは自身の本当の名を口にされた事に、怯えるように体を震わせた。直後、まるで確認するように帝を仰ぎ見た。

「ふむ……」帝は一言唸ると、「なんだ、お前の本当の名はマモンと言うのか」


 マモン――。それは『七大罪』の第五冠強欲を被る大悪魔。ジョンはその名を聞き、ようやく彼女の正体を知った。


「わ、わっちは、わっちは……」

 胸の前で手を組み、体を震わせながらタマモ――マモンは帝から離れた。

 俯く彼女の顔色はようとして知れない。自分から離れた彼女を、帝は迎えに行った。

「マモン……。可愛らしい響きではないか、余は気に入ったぞ」

 マモンは驚きを持って顔を上げる。涙に濡れた彼女の目元を、帝は優しく拭った。

「なにを泣いておる。お前が愛した男は、例え女が悪魔であろうが受け入れる。それをお前は知っているだろう?」

 帝の声は変わらず、慈愛に満ちたものだった。マモンは瞳から大粒の涙を流し始めた。


「わ、わっちはずっと貴方を騙していたのでござんす。わっちはニンゲンの敵に違いない――」

「違う」帝は頑とした言葉で、マモンの言葉を否定した。「お前は余の嫁だ。それ以上もそれ以下もない」


 なにも臆する事はない。なにも怯える事はない。例え世界の誰もがお前を否定しても、余だけはお前を受け入れる。――マモンは帝の言葉に深い感動を覚えた。悪魔としての在り方を捨て、ずっとその本性をひた隠しにして来たにも関わらず、彼はそれでも自分を抱き締めてくれる。


「お前はそこで待っておれ。この――ベリアルだとか言う痴れ者を叩き斬れば良いのだろう。それで、全てが元に戻る」

 帝がベリアルに向き直る。不届き者を亡き者にせんと、再び刀を構えた。

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