12-4.

 キン――ッと、耳慣れない音がして、ベリアルもジョンも音のした方へと振り返る。


「痴れ者が、余の城で何やら狼藉を働いておるようだな」

 セイメイが敷いた「結界」の中で、眠っていた筈の帝が立ち上がっていた。刀掛けから手に取った一刀を抜いて右手に、左手に鞘を携えて、帝は「結界」の前に悠然と立っていた。

「ホームズの倅――、ジョンと金田一コウスケよ」帝はベリアルに目をくれず、二人に言葉を向ける。「敵を退治せんと立ち向かう姿、大義であったぞ」

 そんな事を言っている場合かと、ジョンは眉を寄せた。刀を抜いた帝が一体なにをするつもりなのか、計れないでいるのだ。まさか帝自ら城に侵入した狼藉者を誅す……わけでは流石にないだろう。


「貴様、なにやら余の妻と縁ある者のようだが、だからと言って容赦はせん。身の程を弁えよ、駄犬」

「……あァ?」

 ベリアルは――帝が何を言っているのかまるで分からないと、眉間に皺を寄せた。無理もないと、ジョンも思った。帝はベリアルの蒼炎を目の前で目の当たりにしながらも、怯える様子を微塵も見せず、王としての態度を崩さなかった。それは敵の戦力を理解出来ていないが故の愚考なのか、それとも彼の王たる精神が怯える事を許さないのか。


「ここに――この城に悪魔が直接やって来ると言う事は、城を覆う『結界』が機能していない筈だ。故に、余が何を言いたいのか、金田一なら分かるだろう」

「……まさか」

 コウスケはしばしの黙考の後、小さく呟いた。同時に、階下にいるナズナ達がいつまで経っても天守閣にやって来ない理由にも思い至った。


「恐らくナズナはそちらに向かっている。あそこで何かしろの異常が起こっているのだろう」帝はコウスケからベリアルへと視線を移す。「そして、この痴れ者を陽動として使っている。そういう作戦であるか否かまでは分からんが、お前達はナズナの下へ急げ」

 帝は肩に刀を置いた。泰然自若に余裕綽々――。薄い笑みすら浮かべ、帝は赤い壁を前にベリアルと対峙する。


「……チッ」

 彼の態度に、ベリアルは不快感を露わに舌打ちした。大悪魔と称される自分を前にしながら、なぜニンゲンである彼がこんなにも大きな態度をとれるのか。侮っているだけだとすれば、相当な大馬鹿者だ。

 だが――と、ベリアルは眉間の皺を更に深くする。目の前にいる男を甘く見てはいけないと、彼の中の本能が告げていた。根拠や理由など、彼にとってはそれだけで十分。ベリアルはジョン達に背を向け、帝を睨み合う体勢を取った。


「――――」

 ジョンは敵が背を見せた事実に目を見張った。完全なる隙だ、畳み掛けるべき絶対の好機。彼が『十字架』を強く握り、前に跳び出そうとした時、

「ジョンよ、余の言葉を聞いていなかったのか?」

 帝の言葉を聞いた途端、ジョンは眼前に突き付けられる刀の切っ先を幻視した。


「……ッ!」

 ジョンの全身からドッと汗が噴き出た。この感覚は、経験があった。真剣を握った宮本ムサシと対峙した時にも同じような感覚を覚えた。

 彼に匹敵する強者だと言うのか……。ジョンは一瞬で荒くなった息を整えようと、深く息を吸った。


「……御帝様。貴方の命であっても、敵を前に退く事は出来ません」

 コウスケが重い口を開いた。彼とてこの場において何かが出来るとは思っていない。二度は蒼炎を防いで見せたものの、今後もそれが叶うかどうか……。しかし、この国の頂点である帝を置いていく事など、彼には出来なかった。


「ふむ……」

 帝はコウスケの言葉に、小首を傾げて見せた。やがて仕方なさそうに溜め息をつくと、

「セイメイよ、話を聞いておるだろう。早々にこの『結界』を解け。余自ら痴れ者を斬り伏せて見せよう」

『……なりません』セイメイの苦々しい声が響いた。『貴方様を護る事がわたしの務め。それ以外は全て些事と断ずる事に躊躇いはありません。例え、そこにいる二人が亡き者になろうとも』

 彼の言葉からは、責務を全うする覚悟の強さが伺えた。帝とて、彼の覚悟は理解している。

「余が命じている、疾くこの『結界』を消せ」

 だが、帝はどこまでも帝。神無月ヒガンは己の意思を押し通す。

「貴様が自ら解く前に、余が斬り捨てても構わんのだぞ」

『それは叶いませぬ。その「結界」はわたしが敷いたもの。例え貴方様であっても、この「結界」を壊す事は出来ませぬ』

「いいや、そうはならん」帝は刀を鞘に納め、腰を落とす。「この『結界』は敵ではなく、余を拒絶する心で成り立つモノ。貴様の余に対する恨み辛みで形成される檻。――しかし、ソレは全て紛い物の心根であろう」


 余と貴様は、一度として顔を合わせた事すらないのだから――。ジョンは帝が語る言葉に、一体どういう事かと目を見開いた。


「想いと想いのぶつかり合い。心と心のせめぎ合い。まずは、貴様と余との闘いから始まるのだ」

 帝は瞳を閉じ、刀の鯉口を切る。彼の言葉を受けた途端、セイメイの「結界」の色がより濃く染まり、中の様子が伺えなくなっていく。


 その場にいた全員が息を潜めて成り行きを見詰める中、帝が小さく呟いた。

「許せ――。そなたは、真の臣下よ」

 低い構えから抜き放たれた一閃。白刃の煌めきは流星のように。――――そして、星の輝きが全てを薙ぎ払った。


 ……音もなく「結界」が瓦解する。袈裟掛けに斬り伏せられた赤い異空間は外の空気が内へと入った途端、まるで霧が風に吹かれたように消えていった。


「あ、ああ……」

 宙を舞う折り鶴がフラフラと蛇行し、やがて床へと――落ちる前に、帝がその手の内に取った。

「貴殿の働き、大義であった。褒めて遣わす」

 帝の言葉に、折り鶴から返る声はなかった。「結界」と同じように折り鶴もまた、紙片と成り果てて消えていった。


「済まぬな。『遺体』の件は、『十二花月』の総意なのだ」

 帝の呟きは誰にも聞こえないほど小さかった。消えていく紙片を追う瞳は沈痛に沈んでいるように見えたのが、それはタマモの目にしか映らなかった。しかし、彼女にもその痛みを感じ取れる筈がなく、憂うような目で彼を見詰める事しか出来なかった。

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