12-2.

 しかし、ジョンを押し退け、コウスケが男の前に出た。両の手を音を立てて合わせ、印相を組むと同時に口を開く。

om――」

 コウスケが口にしたその言葉――、その音に、ジョンは聞き覚えがあった。「聖音」と呼ばれ、祈りの結びである「Amen」とも似た響きは、宇宙の真理や秘密にすら通ずると言われる聖なる響き。その響きと共に顕れた「結界」はジョンとコウスケを包み、堅牢な壁となって男の拳を弾き飛ばした。


「テメエもこの紙切れと同じ術師か……」

 忌々しそうに舌打ちし、ベリアルは自分の頭上を舞う折り鶴を見上げる。首がもげ、焼け焦げたそれは辛うじて体裁を保ってはいるが、今にも風に吹かれて散ってしまいそうだった。


 式神はただの端末、使役する術式だ。ソレがどのような損傷を受けようが、術師に本人には影響はない……。そうと分かっていても尚、コウスケは折り鶴の姿に息を呑んだ。


「セイメイ殿……」

 壊れた式神など捨て置いて、新たな式神を用意した方がコチラとの通信、支援は容易の筈だ。彼なら息をするよりも造作のない事だろう。しかし、もしもそうする事すら出来ない状況に彼があるとすれば? コウスケは自分達を守る「結界」を保ったまま、帝達を囲う「結界」に視線を送る。男の攻撃はあの「結界」を捉えただろう、目に見える損傷はないが、そう見せているだけやも知れない。


「だが、気のせいか――」

 ベリアルの体がユラリと揺れる。ハッとして、コウスケが意識を男へと向け直す。

「後ろにあるヤツよりか、幾分軟らけえ気がすんだよなア――」

 再びの衝撃が、コウスケの「結界」を襲った。「……ッ」と息を呑んだコウスケの表情に動揺が見え、た――途端、拳を受けた「結界」に亀裂が走った。


 ジョンは目の前で起きたその変化に、「まさか……」と声を漏らす。この「結界」と呼ばれる異能、もしや『十字架』の形態と同じモノなのではないか。そう言えば、離れた場所を行き来する場合には、術師との縁深いモノが移動先になければならなかった。術師の心根こそがこの術の肝であり、両者に必要なのは心の在り様だ。今、それが揺らいでしまったからこそ、「結界」にヒビが入ってしまったのではないだろうか。


 確証も確信もない。そしてそれがどうであれ、目の前に起きた事実を受け止めろ。ジョンはしっかと『十字架』を掴むと、ベリアルが再びの拳撃を「結界」を見舞う様を刮目する。

「オラァッ!」

 獣のような声を乗せ、ベリアルの拳がとうとう「結界」を文字通り打ち破った。コウスケがグッと歯を噛んで後方へ仰け反り――、それと入れ替わるようにジョンが前へ踏み込んだ。


 敵は拳を放ち、まだ体勢を立て直せていない。今ならその体に『十字架』を直接ブチ込める……! ジョンは、ベリアルが「結界」を打ち破る前提で次手を組み立てていた。その目論見通り、ベリアルは自身に迫り来る『十字架』を防御出来ず、ジョンが横に振るった『十字架』をがら空きの体に受け、強かに打ち飛ばされた。


「ぐ……ッ」

 壁に激突し、ベリアルが呻きながら床に転がる。走り回る痺れにも似た痛みで体が動かない。コレが兄貴に傷を付けた「神聖」……。仇敵が握る得物の切れ味を、その身を持って知った彼が顔を上げると、更なる追撃を加えようとジョンがこちらへと走り寄るところだった。


「ハァ……ッ!」

 敵に容赦などなく、ひたすらにこちらを殺す事にしか意識がない。なるほど、強敵。ベリアルは敵の強さを認めながら、しかし笑みを浮かべた。


 歯を見せる男を見、ジョンは敵の中に恐怖や焦燥を見出せなかった。男を占めるのは狂騒染みた悦楽――、戦う事が至上の悦び。なるほど、狂戦士。ジョンは男の胆力を認めながら、望むところだと言わんばかりに笑みを浮かべた。


 破顔する両者は傍から見れば、どちらも狂気――凶器だった。


 敵の拳を穿つ『十字架』と、『十字架』を砕かんと放たれる拳。互いを弾き飛ばし、その衝撃を足で止めるや否や、再び敵の体を狙い前へと脚を踏み出す。両者の力は拮抗し、まるで噛み合わさる歯車のようだった。

 これでは埒が明かない――。そんな想いが胸を絞める中、ジョンは視界の隅にチラリと赤い光を捉えた。それでも敵から焦点を離さぬまま、一体なんの光だったのかを頭の片隅で考える。……やがて思い至った答えにハッと目を見開く。左手首を翻して、巻いているブレスレットを見ると、やはり赤い点滅を繰り返すボタンがそこにはあった。

 メアリーが助けを求めている。彼女はナズナと共に階下にいる筈だ。まさか敵は下からも攻め上がって来ているのか。ジョンの脳が様々な展開を予測するが、答えは出ない。そして、目の前に立つ敵も動きを止めない。


「どうした、目ェ離してんじゃねえぞ……ッ!」

 ブレスレットに目を奪われるジョンの姿を好機と捉え、男が蒼炎を纏わせた拳を翻す。

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