12-1.

「待ってくれ!」

 ジョンは階下から響くコウスケの鬼気迫る声に、思わず振り返った。


「ナズナさんと一緒にいる筈では?」

 ジョンは振り返ってコウスケに問う。先行する彼に追い付いたコウスケは荒い呼吸のまま、

「……自分達は一つ、貴方にまだ話していない事がある」

 果たしてそれは一つで収まるのか――と、ジョンは言わないでおき、続くコウスケの言葉を待った。


「后は確かに悪魔だ。そして彼女は――、大悪魔の内の一体でもある」


「――――」

 ジョンは目を見開き、思わず息を止めた。コウスケが語った言葉の意味を正しく受け取るのにしばしの時間を使ってから、

「どうして大悪魔なんかを野放しにしてるんだお前らは……ッ!」

 一喝めいたジョンの言葉に、コウスケは「そう言うだろうな」と自嘲する。


「彼女は多くの時間を人間界で過ごしたが故に地獄へと戻れなくなった。どうしてそうなったのかは定かでないが、彼女は見た目以上に老いている。チカラは衰弱し、だから権力者の下に身を隠して生き続けて来たのです」

「……相手が弱っているからって、それでも野放しにする理由にはならないだろうが」

「そうだ。けれど帝の傍にいるのだ。我々だって無闇に手は出せない――その葛藤、出来れば分かって頂きたい」

 歯を噛むコウスケの顔に、ジョンは舌打ちした。理由は分かるし、自分の知り得ない事情だってあるのだろう、けれどそれでも何か策はなかったのか。ジョンは重い息と共に、その問いを口にせず吐き出した。


「とにかく頂上へ急ごう」

 ジョンの言葉に頷き、コウスケは再び足を動かす。階段を昇りながら、

「自分が貴方について来たのは、ナズナ様が天守閣に来た者は『「縁」を依り代にした移動』を用いたと言ったからだ」

 大悪魔と縁を連ねる者――。その意味に、ジョンは足を止めた。

「嘘だろ……?」

「分からない。しかし、万が一があったらと思い、ホームズさん一人を向かわせるのは危険だと判断したから、自分はここにいる」

「…………」

 ジョンは更に速度を上げて階段を駆け上がる。頂上にいるであろう敵の正体に、恐怖と焦燥、そして幾ばくかの興奮を抱いて。


 遂に天守閣へ昇り至る。そこに広がる光景に、二人は息を呑んだ。蒼炎に染められた室内は最早絢爛な装飾など跡形もなく、その中で無事に残るのは術師セイメイに因って敷かれた「結界」に囲まれた空間だけだった。


 その「結界」の前に、一人の男が立っていた。右頭部を刈り上げ、蘇芳色の髪を全て左へ流す特徴的な髪形、頭部から真上に伸びる二本の大きな角。ギラついた光を滾らせる力強く紅い瞳。針のように尖った尾も彼の凶暴性を表しているようだった。はだけた黒いドレスシャツから屈強な肉体を覗かせ、その両手に灯る蒼炎が妖しく揺れていた。


「あァ? なんだ、てめえ?」

 開口一番、男の人ならざる姿を目にし、不躾な言葉をぶつけたのはやはりと言うか、ジョンだった。眉をひそめる彼は、男と同じように危険な光を瞳に滾らせ、油断なく彼を睨み付けていた。

「行儀のなってねえガキだな。テメエこそ誰だよ」

 男――ベリアルは振り返り、どこか面白そうにそう問うた。肉体を得た高揚感か、彼の中にそうするだけの余裕が伺えた。

 余裕めいた嘲笑と、殺気立った炯眼の違いこそあれど、両者の間には火花が飛び散っていた。


「僕の名は、ジョン。ジョン・シャーロック・ホームズだよ――、糞っ垂れ」

 その火花が導火線へ引火したのは、まずベリアルの方からだった。ジョンの名を耳にした途端、男はその体から濁流のような殺意を発した。

 ジョンはベリアルの突然の変貌に理解が追い付かず、「あ?」と声を上げるので精一杯だった。


「よォ、テメエか……。ベルゼブブの兄貴にナメた事してくれやがった糞野郎は……ッ!」

 膨れ上がった右手の蒼炎――。敵意を感知したジョンは、ベリアルがその手から炎を発するより先に『十字架』を顕わし、瞬時に盾として展開した。


 ジョンの『十字架』は心の在り様を示す。彼が「耐え切れる」と信じる攻撃を跳ね返し、逆ならばその身を削られる。ザ・タワー・ホテル襲撃の際には、宮本ムサシという剣士の攻撃に苦心したが、それを乗り越えた彼の心を壊せるモノがあるだろうか。

 ベリアルが放った炎も例外ではない。ジョンは『十字架』で蒼炎を受け止めると、いとも容易く吹き飛ばして見せた。


「ハッハア!」

 自分の攻撃を跳ね除けたジョンの姿に、しかしベリアルは狂喜的な声を上げた。

「そうでなくっちゃ楽しくねえよなあ! 久々の娑婆だ、まだ暴れ足りねえよッ!」

 ジョンはベリアルの言葉に、ギラギラと光るその瞳にたじろぐ自身を自覚する。ここまで明確な敵意、殺意、そして破壊欲を表す相手を知らなかった。今まで対峙して来た敵は、それでもどこか使命や意思を持っていた。だが今、目の前にいる男は、ただジョンを破壊する事だけに明確な悦びを抱いている。


 自分を殺す為だけに立っている――。それは計り知れない強さを秘めているように思えた。


 ジョンは強く息を吐き、『十字架』を肩に置いた。顎を上げ、敵を睥睨する。自身の心に影を差す不安に抗う為にも、不遜な態度を見せ、尚且つ中指を突き付けてみせた。

「台詞が咬ませ犬そのものだぞ、恥ずかしくねえのか?」

 相手が誰であろうと、我道を貫く。ジョンは相手に合わせない、むしろ逆だ。敵を己の道に呼び寄せ、優性を維持する術を画策する。


「――――」

 ベリアルが一瞬呆けた後、ニィと歯を見せた。青筋を立て、体の重心を低く落とした。

「殺す――ッ!」

 獣の如く飛び出したベリアルが、ジョンの眼前へと迫る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る