8.

「どうだった」

 先程までいた茶店を振り返りながら、街道を北に向けて歩く男が問うた。


「うん、すごいエネルギーを感じたよ」

 答えた男はフードを取る。その下にあったのは後ろ髪を一房に結わえた黒髪、淀みのない碧色の瞳、端正な顔立ち――、ジョンが見た手配書に描かれた顔にそっくりだった。それもその筈、彼の名は天草シロウ。黒い羽織に軽衫かるさん、その下に白い着物を着た彼は楽しそうに笑っていた。


「情報の通りだったな」

「まだ疑っていたんだ」

 当たり前だろうと鼻を鳴らす男に対し、シロウはくつくつと笑みを返す。

「笑っている場合ではありません。良かったのですか、直に接触してしまって」

 藤色の筒袖、黒の行灯袴。シロウと同じように黒髪を後ろに結わえて下げる女性。彼女は叱るような口調でそう言った。けれど、シロウは相変わらずにこやかなまま、気安い様子で手を振った。

「大丈夫。あの対面は必要な事だよ、アマキ」

 僕にとってはね。そう嘯いて見せるシロウに、アマキと呼ばれた女性はしばらく彼を睨んだ後、仕方なさそうに溜め息を付いた。


「他人の話を聞かない人ですね……」

「そんな事ないよ。君の話は絶対に聞き逃したりしない」

 シロウは並んで歩きながらアマキの手を握った。その途端、彼女は頬を赤く染め上げた。相変わらずの様子にシロウは笑いながら、

「恥ずかしがる事はないでしょう、僕らは既に夫婦なんだから」

「こ、こんな人前でする事じゃないでしょう……!」


「Shaking my head...」長身の男が肩を竦める。「ノロけるのもいい加減にしろよ。それにしてもどうする。奴に近付けた折角のチャンスをふいにしたんじゃないか」

「いや、大丈夫だよ」シロウは笑ったまま、「いずれ惹かれ合う――、引かれ合うよ」

「奴がこの国にいる間しかチャンスはないぞ。あまりのんびりはしていられない」

「確かにね」追い立てる男を他所に、シロウはあくまでもにこやかだった。「でも、大丈夫だ」

 なんの根拠があるんだか……。男はシロウの能天気さに溜め息を付きたくなったが、

「それはお前の魂の声か?」

 その問いに、シロウは笑顔で頷いた。男にとってそれだけで十分だった。


 ――お前の魂を信じる。俺にとって最も大切な答えだ。


 天草シロウは戦争の中で神輿に担がれ、偽りの将として祭り上げられた。実際に指揮していたのは別の人間だったが、彼はシンボルとして丁度良かったのだ。

 戦争の発端は信仰心の違いだけでなく、「鎖国」制度を敷く政府やそれを推す王族への反発もあった。ナガサキは皇国内で唯一諸外国と接点のある地だ。そこで多くの知識や技術を得た彼らは、なぜ諸外国を排斥するのか理解出来なかったのだ。外から得られる知識があれば、この国はより豊かになれると信じて止まなかった。……無論、彼らは『鎖国』が『教会』の手に因るものだと知る由もなかった。


 男とシロウの出会いは偶然だった。真実、偶然でしかなかった。たまたま訪れたこの国で、彼は民衆の前に立つシロウの言葉を聞いたのだ。

 その言葉が、その響きに魂を揺らされた。染み込むような、澄み込むような、透き通るようなその音が魂にまで響き渡った。その感覚を、なんと表せようか。男は自らの内に湧いた感動に打ちのめされた。


 シロウの言葉は「どんな時でも貴方に寄り添う」と訴えかけるものだった。彼は「神」と接続し、ニンゲンでは知り得ない視点を獲得した――、否、させられた。それは彼自ら望んだものではなかったが、それでも自分しかいないのならと彼は笑った。

 彼は笑う。常に笑みを絶やさないのは、幸福なる為に必要だと信じているから。その笑顔に癒された者が、あの戦の中でどれだけいただろう。


 彼は尊い、しかし彼を守れる者はいなくなった。もう自分しかいないのだと、男は意を固くする。あの戦は彼を信奉する者達全ての息の根を止めた。男はシロウとアマキを逃がす為に全力を尽くしたと言って、過言ではない。


「彼よりも先に、家族を解放させたいんだ」

 シロウは男を見上げながらそう言った。成程と、男は頷いて答える。

「前と同じだ。俺達が陽動、お前達が実行」

「分かった。――頑張ろうね、アマキ」

「……私としては、貴方にはどこかに隠れていて欲しいのですが……」

 アマキの不安気な声に、シロウは軽く笑い声を上げて、

「そんな事は無理だって、もう知っているでしょう」

 そんな風に笑われたら、何も言えないではないですか……。アマキはまた仕方なそうに溜め息をつき、不承不承といった風に頷いた。


 彼らが向かうのは、この国の帝、神無月ヒガンが住まうエドの城。シロウは胸を躍らせていた、ジョン・シャーロック・ホームズ――彼の魂と相まみえる時を。

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