5-3.
「ジョン……ッ! くそ、ジュネ! ジャネットを頼むぞ!」
伸ばした手は届かない。ヴィクターはジュネにそう言うと、彼女の返事すら聞かず、ジョンのコートを引っ掴んですぐに彼を追い掛けた。
「うあああ、ジョンんんん……」
子供のように泣き叫び、ジャネットは床に
ヴィクターに言われるまでもない。ジュネはジャネットから離れるどころか、泣きじゃくる彼女を優しく抱き締め、背中を叩いた。
「大丈夫よ、ジャネット。泣かないで。そんなの、貴女らしくないでしょ」
「だって、ジョンが……ジョンがあ……」涙で顔をぐしゃぐしゃにしたジャネットがジュネを強く抱き締め返す。「ジョンまでいなくなったら……、どうすればいいのか分かんないよお……」
「もう、しょうがないわね」ジュネが溜め息混じりにジャネットの頭を撫でた。「大丈夫、ジョンはどこにも行かない。ジャネットだって知ってるでしょ? ジョンは強いんだから」
「でも怖くて……。『あの日』からずっと怖くてえ……。ジョンが――皆がいなくなったら、私……、どうすればいいの……?」
ジュネはジャネットをあやしながら、「そう言えば、いつもこうだなあ」と思い出していた。
ジョンと言い争った後、ジャネットはいつも不安になっていた。ジョンに嫌われたかも知れない、もう話してくれないかも知れない。気は確かに強いが、けれど心配性でもあって、一度不安になるとそれで胸が一杯になってしまい、酷く不安定になるのだ。特にジョンに関わることになると、ことさら強くそれが現れ、ジェーンとジュネは二人がかりで彼女を落ち着けなければならなかった。
――ジェーンは
「大丈夫、大丈夫よ、ジャネット。誰も貴女を置いて行ったりしないから。貴女を一人になんてしないわよ。皆がついてるし、神様だって貴女をちゃんと見ていてくれているわ」
神様か……。ジュネはその存在を、
「ジョン、ジョン、ジョン……」
彼の名を繰り返すジャネットの頭を撫でながら、ジュネはフフッと小さく笑った。
「ジェーンは本当に、ジョンのことが好きなのね」
「…………」
ジャネットは固まって動かなくなった。彼女の顔は耳まで赤く染まっていた。
「な、なによ、悪いの。ジュネだってそうじゃないの?」
「そうね、私はジョンのことが好きよ」
「――――」
あまりに堂々と言ってのけるジュネに、ジャネットは思わず息が詰まった。
「なによ、その顔は。この想いは真っ当なものよ。どこにも恥ずべきところなんてないわ」
本人にそれを伝えられていないことは、恥ずべきなのかも知れないけれど――と思いながら、ジュネは舌を出した。
「でも、ジョンは……」
「そうねえ……。ジョンは、ジェーンが好きなのよねえ」
まるで他人事のように、ジュネは笑う。
ジュネがそんな風に笑えるのは、自分の想いは彼女に負けないと信じているからだ。
ジャネットもそうだった。……けれど、今はどうだろう。妹がいない今、ジャネットは自分の想いに真正面から向き合うことが出来なくなっていた。
例え、ジョンが貴女を選んでくれたとして、それはワタシがいなくなったからじゃない?
ワタシを諦めたから、ジョンは貴女を見てくれたんじゃないの?
ねえ、ジャネット。ワタシがこうなったことに、貴女、本当は――――、
昏い声が聞こえる。ジャネットは耳を塞ぐ。感覚を閉じる。自分だけが無事に残るという罪悪感――、後ろめたさ。囚われれば、自分を奈落へ引き摺り下ろそうとジェーンが自分を見ている――そんな妄想すら夢に見るその声は、毎夜のように彼女を襲っていた。
「ジェーンがいなくなったのに、私だけが夢を叶えようとするなんて、なんて――傲慢」
怖ろしいものでも見たかのように、ジャネットは体を震わせた。
「それは――勘違いよ、ジャネット」ジュネはハッキリと言った。「考えてみなさい、ジェーンが――あのジェーンがよ? 貴女にそんな苦痛を強いる筈がないでしょう」
「そうだけど……、でもっ! 頭から『声』が離れないの! アタシは、あの子を信じられなくなってる! アタシの中のあの子が怖くて堪らない……!」
生き残ってしまったが故に、遺された者の心に巣食う魔物。それはとても手強く、抗うことも出来ずにその牙に食い殺されてしまう者もいる。
ジュネは、例えその魔物に襲われたとしても、ジョンとジャネットなら鼻を鳴らして簡単にあしらってしまうと思っていた。だから、シャーロックとワトソンの葬儀で意気消沈している二人を見ても、大丈夫だと勝手に確信していた。しかし、現実は甘くなかった。二人は魔物の牙に噛まれ、今も血を流し続けている。
血を流し続ければ、人間は死んでしまう。心だって、それは同じだ。
私は勘違いしていたんだ。二人だって人間だ。私にとってのヒーローは、同じ人間で、そして友達なんだ。今度は、私が二人を助ける番なんだ。
ジュネはジャネットの肩に手を置いたまま、体を離した。泣きじゃくるジャネットの顔を正面から見詰めるジュネの目が、キッと据わる。
「ジャネット、痛かったらごめんね」
「――――ぇっ?」
返答すら待たず、ジュネはジャネットの顔を挟み込むように両手で強く叩いた。二度、三度と続くビンタに思わず目を回したジャネットを、ジュネはまた強く抱き締める。
「ジャネット、目を覚まして、私の声を聞きなさい。貴女の中にいるそんな『声』なんかより、私の声を聞きなさい。
――その声は
「…………」ジャネットはパチクリと瞬きを繰り返し、やがて大きく息を吐いた。その頃には震えも、嗚咽すらも止まっていた。「……ジュネって、本当にアタシより年下だよね?」
「なに、どういう意味よ」
ジュネがジト目でジャネットを睨み付ける。その可愛らしさに、ジャネットは思わず吹き出した。
ジャネットはしばらく笑ってから大きく息を吐き、
「……ジェーンは、アタシを許してくれるかな」
「許す許さない以前に、そもそもあの子が貴女を恨む訳ないでしょ」
フンと、小馬鹿にするように鼻を鳴らすジュネの姿に、ジャネットはまた少し笑った。
「そうかなあ――……、そうだよね。ジェーンはいつも笑って、まるで天使みたいで……」
妹を思い出し、ジャネットは笑いながらも、また涙を浮かべた。ジュネもジェーンの微笑みを思い浮かべ、寂しいけれど、どこか暖かい気分になった。
「会いに行きましょう、一緒に。まだあの子のところに行ってないんでしょう? あの子の声を聞けば、貴女の心配なんて吹っ飛ぶわ」
「うん……」ジャネットは涙を拭いて、「うん、会いたい。ジェーンに会いたい……」
ジョンは――、ヴィクターは大丈夫かな……。ジュネはジャネットの頭を撫でながら、部屋を出て行った二人のことを考えた。
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