謙介11
その日はリハーサルが早く終わったそうで、彼女は19時前にホテルに来た。
鮨がいいと言うので、夕食はホテル内の鮨屋に行った。
横に長い皿に10貫の鮨が並んで出てきた。彼女は嬉しそうに、声を上げ、携帯で写真に撮った。
高級ホテルの鮨屋なので、かなりの出費だったが、喜んでいる彼女を見て、謙介は満足であった。
食べている途中、「この前、苗字を教えてくれなかったけど、今日は教えてくれないかな?」と言った。
今日も教えてくれないのではないかと不安に思いながら問うたのだが、彼女はすんなりと教えてくれた。
「はい、こんのと申します。こんのまいです」
「こんのは今と、野原の野なの?まいはどういう漢字を書くの?」
「いえ、こんのこんは紺色の紺です。のは野原の野です。真は真実の真で、維は明治維新の維です」
「へえー、その維は珍しいね」
「そうなんです。維持の意味からつけたそうです。つなぐという意味があるそうです」
少し首を横に傾けて微笑んだ。
交際クラブのホームページでは、年齢は自動的に更新され、実年齢が記されているとのことだったが、一応確認してみたくなった。
「クラブのホームページに載っていたけど、歳は32歳なのですよね?」
「そうです。がっかりしましたか?」
「いや、年齢よりだいぶ若く見えるね」
「よく言われます」
彼女は澄ました顔をして、平然と言った。
部屋に戻ると、謙介は真維を抱きしめた。接吻をし、着ていた白のブラウスを脱がし、ブラジャーを外した。
そして、ベッドに倒れ込み、ミニのキャロットスカートの裾から彼は手を入れようとした。
「だめ、それは。やめて」
彼女は拒んだ。
謙介は諦め、丹念に乳房を愛した。彼女の息遣いが荒くなった。先日より激しいように思われた。
彼女は胸が感じるのか?女性は生理の時の方が敏感なのだろうか?それとも、二度目で自分に心を許し、気持ちが入ったのだろうか?
そんなことを考えながら、ふと、左の乳房の上、鎖骨の下辺りに絆創膏が貼っているのに気がついた。
この前は彼女の要望で室内がほぼ真っ暗であったので、気がつかなかったのだろう。
今日は彼が無理に室内を薄明るくしたのだが、彼女は嫌がりはしなかった。
行為の後、謙介は真維の横に寝転んで、
「これは豊胸手術の跡なの?」とたずねた。
「そんなわけないでしょ!豊胸手術の跡なら、乳房の下か、脇なのよ」
そう言って、顎を上げ、手を口に当てて笑った。
彼女がそんなに大きく笑うのを見たのは初めてだったし、敬語でなかったのも初めてだ。
謙介は嬉しくなってきた。
「そっか」
「馬鹿ねえ」
また彼女が笑うので、顔を見合わして笑った。
しかし、その後、彼女は真顔になると、
「実は、これ、手術の跡を隠しているです」と言った。
「何の手術をしたの?」
「乳癌です」
謙介は言葉に詰まった。驚きのあまり、何と言ったらいいのか分からなかった。
「もう6年前のことです。ちょうど小林さんの奥様が亡くなられたのと同じ頃ですよね。右の胸にしこりがあるのに気づいて、病院で調べて貰ったら癌でした。ほら、ここにも傷跡があるでしょ?ファンデーションで隠しているから分かりませんか?」
目を凝らすと、微かに手術痕があるのが分かった。
「小さい頃に地元の夏祭りののど自慢に飛び入り参加して、賞を貰ったのです。歌が上手いねとみんなに褒められて、それからずっと歌手になりたいと思っていました。でも、家族の反対もあって、OLをしていたのです。
しかし、その手術をきっかけにもう我儘に自分の好きなことをしようと思って、歌手になろうと思ったのです。
でも、どうしたら歌手になれるのか分からず、調べていたら、アイドルグループのオーディションは一杯あったのです。
ダンスは苦手だけど、ステージに立って、聴衆の前で歌えるという夢は叶えるので、とりあえず、それらを受けたのです。
が、22歳までしかダメのところが多かったし、年齢制限がなくても、やはり歳を取っているのは大きなハンデでした。それに歌も踊りも中途半端だったので、色んなところを受けたけれど、すべて落とされました。
こんな生半可な気持ちでは到底無理だと思い、会社を辞め、バイトをしながらボイトレやダンスを習いに行きながら、さらにいくつものオーディションを受けたところ、今の事務所が拾ってくれたのです。
……喉が乾いちゃった。水を飲んでもいいですか?」
真維は起き上がり、テーブルの上のミネラルウォーターを取りに言った。上半身裸の彼女の後ろ姿はスタイルが良くて美しいなと思いながら彼はベッドから眺めた。
彼女はベッドに戻り、続きを話し始めた。
「それからは月に一度定期検診に通っていて、何ともなかったのだけど、去年、左胸に癌が転移していたのが見つかったのです。それで、また手術したのだけど、お金がなかったので、親に払ってもらいました。もう親に申し訳ない気持ちでいっぱいで、復帰してから交際クラブに入ったのです。そのお金を返したくて」
「そうなんだ」
謙介はこんな時にこんなことを聞くのは不謹慎で彼女を怒らせるかもしれないと一瞬思ったが、交際クラブの話が出たので、今まで気になっていたことを思い切って口にした。
「それで、パパは何人いるの?」
「え?誰もいません。手術代や入院費は保険が下りたので、結局、親に迷惑はかけなかったのです。あと、誰からもオファーが来なかったので、誰とも会うことなく、もう交際クラブに入っていたことなどすっかり忘れていました。それで、小林さんからオファーが来た時にはびっくりしました。誰にも相手されないこんな私を選んでくれて、ありがたかったです」
そう言って、謙介に向かって、頭を下げた。
謙介は真維の話を聞いて、小躍りしたくなるほど嬉しかったが、それと同時に、こんな美人を誰もオファーしないはずはない、本当の話なのだろうかという疑念も抱いた。
「癌と言ったら、みんな驚くけど、でも、そんな大したことないのですよ。ステージが早くて、2回とも1週間以内で退院したし、お医者さんが言うには、もう全部取り除いたので、転移の心配はないということです。だから、今後、ますますアイドル道を邁進する所存ですので、応援よろしくお願いします」
そう言って、真維はお辞儀し、それからまた、頭を少し後ろに傾げ、口に手を当てて笑った。
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