謙介5
ホテルのロビーのソファに座って、落ち着かなく、そして不審者と思われないようにさりげなく、謙介はホテルに入ってくる女性を目で追っていた。
午後9時近くだが、土曜日だからだろうか、まだまだ人の出入りは多い。
男性からクラブに女性を指名し、日時と場所を指定して、セッテングの申し込みをする。
そして女性からクラブに同意の返答があると、セッティングが完了する。
あとは、当日待ち合わせ場所にいると、待ち合わせ時間に女性から電話があるとのことだった。
以前一度、日曜の昼に申し込んだのだが、スケジュールが合わないという理由で断られた。
平日は仕事があるので、こちらが東京に行くことができない。土曜の夜なら大丈夫と言われたのだが、この日は午後9時でなければ無理とのことだった。
それで、泊まりで東京に来たのだが、時間を持て余して仕方なかった。
東京にいる息子に連絡するのも先日来たばかりなのに、また何しに来たと鬱陶しがられるだけだ。不審に思われるかもしれない。それで、内緒で来ていた。
こちらは女性の写真を見ているが、彼女はこちらの顔は知らない。
しょぼくれたお爺さんだと落胆されたくないので、風呂に入り、丹念に身体中を洗い、歯を二度ほど磨き、髪は整っているか、鼻毛は出ていないかと何度も鏡でチェックしたのだが、8時半になると、じっと部屋の中で待つことに我慢出来なくなって、部屋から出てロビーに降りて来た。
電話がかかる約束の時間にはまだ20分以上もある。それで、ソファに座って、女性を待っていた。
と、9時ちょうどに着信があった。
慌てて出ると、「森田さんのお電話ですか?」と女性の声がした。
「あ、はい。そうです」
「どちらにいらっしゃいますか?」
「フロントと反対側の壁側のソファーに座っています。水色のポロシャツと紺のズボンを履いています」
「あっ、わかりました。今から行きますね」
そう言って、背の高い若い女性が微笑みながら、近づいて来た。
クラブの写真で見た女性とは全く印象が違っていた。
写真では大人の女性という感じだったのだが、今来た女性は、黒のポロシャツにアイボリーのショートパンツ、白とピンクのスニーカー姿で、ピンクのリュックサックを背負っていた。そして、そのリュックにはクマの小さなぬいぐるみをぶら下げていた。まるで少女のような格好だった。
もしかして、イタイ子?
それが第一印象だった。
「早くから来ていませんでしたか?」
「は、はい。10分前には」
「そうなんですね。私も10分前には来ていたのです。人を待たすのは嫌なので、いつも余裕を持って早く待ち合わせ場所に行くことにしているのです。もっと早く電話したら良かったですね」
そう言われてみれば、彼女が謙介の側を何度か行ったり来たりするのを見たような気がする。しかし、全く別人だと思っていたので、気が付かなかった。
がっかりした。ガッキーとは全く違う。
セッティング料は女性によって異なり、例のモデルの女性は通常のブラッククラスのセッティング料の2、5倍の25万円も必要だった。しかし、彼女のクラスはプラチナだし、セッティング料も通常のプラチナの5万円であった。こんな美しい人がなぜ?と思ったのだけど、その理由が分かったような気がした。
パパになろうとする男性の好みからは完全に外れているのだろう。
しかし、わざわざ東京まで来た訳だし、若い女性がデートの誘いにせっかく応じてくれたのだから、エスコートしない訳にはいかない。
「夕食はもう済ませましたか?」
「いえ、まだです。ずっと仕事だったし、仕事が済んだらすぐに来たので」
「ホテルのレストランはもうすぐラストオーダーで間に合わないので、バーに行きましょう。軽食もあるので。お酒は飲みますか?」
「はい、行ける口です」
そう言って、目を細めた。写真の印象とは違うが目が大きく、鼻も高い、やはり美人だ。謙介の胸はときめいた。
自分のような何の取り柄もなく風貌も良くない初老の男がこんな若い美女と今からデートをするなんて、夢のような極めて贅沢なことではないか。そう思い直した。
「では、行きましょうか」
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