5.

 いつまでも、その場に立ち尽くしたまま。次第に小さくなっていく華奢な背を見つめ続けていた萩だが、不意にぽつりと呟く。



「それで。どうするんだ?」


「どうするって、なにが?」


「だから、このこと。……牡丹に言うのか?」



 萩の視線を受けながら、竹郎は一寸考え込む。


 が。



「彼女の気持ちに、あの牡丹が気付いていると思うか? このことを話せば、そのことも自ずと知れちゃうだろう」

 そう述べる竹郎に、

「……それもそうだな」

と、萩は、小憎たらしい男の顔を思い描きながら、小さく頷いて見せる。



「それにしても、牡丹の異母妹、本当に可愛くないよな。脅されてるっていうのに、それらしい顔の一つもできないのかよ」


「お前、それ。本気で言ってい るのか?」


「はあ? どういう意味だよ」


「いいや、別にー。ただ、足利がそう思ってるなら、やっぱり天正菊は女優だなと思って」



 やはり訳が分からないと、首を傾げさせる萩だが、不意に遠くの方で、どさりと鈍い音が耳を掠める。音のした方に顔を向けると、先程まで普通に歩いていたはずの菊が、なぜか地面に倒れ込んでいた。


 萩は、咄嗟にそちらへと駆け寄る。



「牡丹の妹……?

 おい、牡丹の妹? しっかりしろ!」


「……らないで……」


「え……」


「触らないで、触れないで……」


「なっ……!」



(この女……!!)



 萩は、思わず拳を強く握り締め、

「あのなあ! こういう時くらい、もっと可愛げのある……」


「お願い、誰も……。誰も、触らないで……」


「なんだ、譫言か……?」



 閉ざされたままの瞳に、萩はそう漏らす。だが、その問いに答えてくれる声は、どこにもない。



「おい、足利。取り敢えず、保健室に連れて行くぞ」


「あ、ああ……」



 竹郎に促され、萩は菊を抱き上げる。



(コイツ、見た目以上に軽いな……。)



 萩はそう思う一方で、保健室への道を急いだ。




 閑話休題。




「あの、菊が倒れたって聞いて……!」



「来たんですけど」と、軽く息を切らしながら、藤助と、その後ろから道松も続く。



「軽い貧血だから、少し休めば大丈夫よ。今はぐっすり眠っているわ」


「そうですか。そしたら、あと二時間で授業が終わるので。もし菊が目を覚ましたら、迎えに行くから待っているよう伝えて下さい」



 そう保健医に伝言を託すと、四人は深閑とした廊下を歩く。


 だが、その静けさを壊すよう、不意に藤助が、「ねえ」と声を上げた。



「萩くん達が、菊のことを保健室まで運んでくれたんだよね。ありがとう」


「いえ、そんな。困ってる人を助けるのは、人として当然ですから。なあ、足利」


「おい。保健室まであの女を運んだのは、俺だぞ。ったく、本当に調子の良いやつだ。それより。

 ……お宅の妹、演劇部の部長に脅されていましたよ」


「演劇部って、もしかして石浜くんのこと? 脅されていたって……」


「内容は、先輩達なら簡単に想像が付くんじゃないかと思いますが」


「そっか。うん、石浜くんならやりかねないな」



 萩のその一言により、全てを把握したのだろう。へらりと弱々しい笑みを浮かばせる藤助の傍ら、道松は元々鋭利な眉を更に尖らせる。



「あの野郎……!」


「道松? ちょっと、どこに行くの? 教室はそっちじゃないだろう」


「どこって、アイツを絞めて来る。アイツのクラス、今の時間は体育だったよな?」


「絞めて来るって……。駄目だよ、そんなことしたら! それこそ相手の思う壺だよ」



 今にもその場から駆け出して行きそうな道松を、藤助は彼の肢体にまとわり付いて必死に引き止める。



「あのう、先輩方。一応、俺流の口止めはしておきましたけど。でも、確実な保証はできませんし、石浜部長、しつこい性格をしてますからね」


「それで。どうするんですか?」


「どうするって?」


「与四田の言う通り、あの先輩がこのまま素直に引き下がるとは思えませんが」


「どうするも、こうするも……」


「いっそのこと、バラしちゃった方が良いんじゃないですか? あの女のことだから、どうせ誰にも……、先輩達にも隠しているんでしょう。正直に、知ってるって。気付いてるって言っちゃった方が、お互い楽になれるんじゃないですか?」



 すっと瞳を細めさせ。見つめて来る萩の視線から、それでも藤助はさらりと逃れる。



「それはできない。それだけは……」


「できないって、そんなに難しいことですか?」


「うん……。だって、言っちゃったら、ここにいられなくなったら、行き場なんてどこにもないもの。他に行く所なんて、俺と一緒で、菊にはないから。だから、今まで通りを装うしか……」



 最後の方は、ほとんど空気混じりで音にはなっていない。だが、容易に想像できた。


 もう一度、口先で藤助は繰り返させるが、その呟きは静けさに呑み込まれていくばかりだ。


 傷跡一つ残す所か、淡々と時間だけが、通常通りに授業が展開されている教室とは独立して経過していった。

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