5.
ストーカー犯は刃物を大きく振り回し、少しずつ出口へと向かっていくが、この調子ではどれくらいの時間を有するだろうか、果ては見えない。
男が一歩下がれば、牡丹等は一歩進み。一進一退の攻防ばかりが続く中。ふと菊は刃物を首筋に当てられたまま、息を切れ切れにそれでも声を発して。
「……らないで……。汚い手で、触らないで……」
「き、菊……!? 何を言って……」
「アンタみたいな男に触られるくらいだったら、死んだ方がマシよ……」
「ばかっ、お前!?」
(なんでそんな挑発的なことを……!)
「言うんだよ」と、牡丹が続ける前に、男の顔色は明らかに変貌した。
けれど、それにも構わず菊は男の腹に右肘を叩き込み、緩んだ腕の中から抜け出すが、すぐ様その場に座り込んでしまう。
そんな菊に向け、男の怪しく煌めいた右手が大きく振り落され――。
「菊――っ!??」
咄嗟に飛び出た牡丹だが、刹那、彼の頬を一筋の風が撫でた。瞬きする暇もなく、彼の視界は大きな背中に占められる。
次に牡丹が目蓋を開かせると、目に飛び込んで来たのは、大きく後方へと吹き飛んでいる一人の男と真っ赤な光景で。
「桜文兄さん……? 兄さん、血がっ……!」
「俺は大丈夫。それより菊さんは?」
「大丈夫って、全然大丈夫じゃありませんよ! このナイフ、深く刺さってるみたいですし」
「おい、牡丹。ナイフは抜くな、反って出血が酷くなる。
それより早く止血しろ。救急車は俺が呼ぶから」
そう指示を出すと、萩は電話をかける。
数十分後、救急車が到着し、地面に這い蹲ったままの菊を牡丹が強引に引っ張って、一緒に車の中へと乗り込んだ。
病院に到着すると薄暗い廊下に並べられた椅子に座り込む菊とは引き替え、牡丹は無意味にも、忙しなく辺りを行ったり来たりを繰り返す。
落ち着く気配を一向に見せないでいると、ふと菊の喉奥が震え、
「なんで……、どうしてアンタなのよ……」
「菊……?」
「選りにも選って、なんでアンタなのよ……!」
低い声音で呟く菊に、牡丹は眉間に皺を寄せる。
「もしかして、さっきの輸血のことを言ってるのか? そんなこと言われたって、仕方ないだろう。お前はO型で、兄さんとは型が違うんだから。血液型なんて自分で選べるものでもないんだし」
諭すようそう言うが、菊は納得していないのか。不貞腐れた顔をしたままだ。
牡丹は、こてんと首を傾げる。
「菊、どうしたんだよ? なんか変だぞって、お前、その手……。
血ぐらい拭けよ。えっと、ハンカチ、ハンカチ……」
牡丹はポケットに手を突っ込み、中を漁って取り出すが、一緒に入れていたキーホルダーまでもが外へと飛び出した。からんと、甲高い音がその場に響き渡る。
牡丹の瞳に映り込むと、それに向かって手を伸ばす。
「ほら、これ。お前、落としただろう。萩が拾って、俺が預かっていたんだ」
「……いらない……」
「はあ? いらないって……。
何を言っているんだよ、大切なものなんだろう? これを池に落とした時、あんなに必死になって探していたじゃないか」
「うるさいわね。いらないったら、いらないっ――!」
半ば叫びながら。無理矢理牡丹が握らせたそれを、菊は遠くの方へと投げ捨てる。
またしても、かつんと甲高い音が鳴り響く中。そんな妹の様子に、牡丹は酷く動揺する。
しばらくの間、牡丹は口を堅く結んでいたが、拾い直したキーホルダーをじっと見つめる。
目に入った文字に牡丹は思考を巡らせると、不意に牡丹は顔を上げさせ――……。
「お前、もしかして……」
牡丹は一度、口を閉じ。それからゆっくりとだが、また開かせて。
自然と震え出す唇をそのままに。
「……桜文兄さんのことが、好きなのか――……?」
刹那、ぱしんっ――! と乾いた音が、深閑としたその場に強く響き渡る。
牡丹は真っ赤に染まった頬を押さえ、菊を見つめ返す。が、菊はたっぷりの涙を溜めた瞳を、それでも鋭利に尖らせて、
「だから……、だからアンタなんて……。
アンタなんて、大っ嫌いなのよ――!」
そう叫ぶと菊は蹲ったまま、顔を上げることはない。微弱ながらも華奢な肩は震え、ただただ声を押し殺している。
始めて目にするその光景に、牡丹は何も言えない。呆然と突っ立ったままだ。
菊の嗚咽ばかりがいつまでも、牡丹の耳の奥を強く突き刺し続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます