2.

 時は移り、翌日の放課後――……。


「本当、昨日は驚いたよな」

と、隣を歩く竹郎は、昨日の興奮を引きずっているのか。色濃く滲みた音を上げる。


 今日一日、校内は三男の、昨日の告白事件の話題で持ち切りで。相変わらずの天正家のブランドネームの強さを、牡丹はひしひしと実感する。



「確かにびっくりはしたなあ。元々、果し合いだって聞いていたし。だけど、だからって、そんなに驚くことか?」


「だって桜文先輩、告白されても今まで全部断ってたのに、今更受け入れるなんて」



 驚くだろうと竹郎は繰り返すが、やっぱり牡丹は大袈裟だなと思う。そのまま並んで歩いていた二人だが、突然竹郎がぴたりと足を止めた。


 どうしたんだと牡丹が問う前に、竹郎が差した指の先を辿っていくと、複数の男子高校生がこそこそと電信柱や曲がり角に身を隠し、なにやら前方を窺っていた。


 傍から見れば怪しい集団のその中に、牡丹は見慣れた姿を発見し、

「梅吉兄さんに、桜組のみなさんまで。何をしているんですか?」

と、その背に向け訊ねる。



「ん? なんだ、牡丹か。何って、尾行だよ、尾行」


「尾行ですか? 一体誰を……って、桜文兄さん? それに、えっと、あの子は……」



(確か、桜文兄さんに告白していた……。)



 名前は那古万乙といったっけと、牡丹は昨日の一件を思い返す。



「一応軽くアドバイスはしてやったが、桜文のことだ。心配でな」


「心配って、何が心配なんですか?」


「そりゃあ、アイツのボケっぷりに決まっているだろう。あの天然さについていけず、どうせ二、三日で音を上げられるだろうと思っていたが、相手の子もなかなかの強者でさ」


「強者って?」



 どういう意味かと問おうとしたが、突然、桜文がこちらを振り返った。なぜか牡丹と竹郎も一緒になって、梅吉達と一緒に咄嗟に物影へと隠れる。



「桜文先輩、どうかしましたか?」


「いや。ここ最近、誰かに見られているような気がして」



 しばらくの間、桜文はじろじろと後方を気にかけていたが、気のせいかと前に向き戻る。そして、隣を歩く万乙に、

「えっと、あのさ、万乙さん。付き合うって俺なりに考えてみたんだけど、でも、やっぱりよく分からなくて」

「どうしたらいいのかな?」

 桜文がそう問いかけると、一方の万乙は、

「それなら大丈夫です。私もよく分かりませんから」

と、きっぱりと述べる。



「なので船居ちゃんに相談したら、とにかく一緒に帰れと言われました。それから、勝負下着を付けろとも言われました」



 瞬間、噴き出す牡丹の横から、突然、

「あの子はー……!」

と、一応声は抑えさせているようだが、しかし。いつの間にか、今にも飛び出したい衝動に駆られている女生徒の姿があった。



「あ、昨日の……」


「なんだ。この子、牡丹の知り合いか?」


「いえ、別に知り合いというほどでは。えっと……」



 牡丹の視線の意味に気付いたのだろう、彼女は軽く頭を下げ、

「アタシは武蔵むさし船居です。そうですね、あの子の保護者みたいなものです」

と、自分から話し出した。



「ああ。君が桜文を口説き落とした子か」


「口説いたって、変な言い方しないで下さい。

 まあ、自分で言っておいてあれですが、でも、まさか本当に付き合ってもらえるとは。思ってもいませんでした。とは言っても、今はまだお試し期間ですが。世の中、言うだけ言ってみるものですね」



 牡丹達の方で、そんなやり取りがされている頃。桜文サイドでは、万乙はしれっとした顔で、

「でも、勝負下着の意味が分からなくて。船居ちゃんに訊いたんですけど、自分で調べろって怒られちゃいました」

と、続けていた。


 すると、船居は顔を真っ赤に染めたまま腰を上げ、

「あの子は本当に……!」



「わーっ、ストップ、ストップ! 今出て行ったら、尾行してたことがばれちゃうよ!」


「そうですよ、姉御。牡丹殿の言う通りです、落ち着いて下さい!」


「誰が姉御だ!? 人を変な風に呼ぶな!」



 数人の組員達によって船居が押さえ込まれている中、一方で桜文も真面目な顔で。



「勝負下着? そうだなあ。『力戦奮闘』とか書いてあるパンツのことじゃない?」



 刹那、ゴンッと鈍い音が鳴り響き。梅吉は、ぐらぐらと揺れる脳内をそのままに、コンクリート塀に預けた頭をゆっくりと起こし上げ、

「駄目だ、あの馬鹿……」

と、小さな音で呟いた。


 とにもかくにも、牡丹達の尾行は続けられる。公園を通っていると、不意に香ばしい匂いが鼻をくすぐった。



「あっ、たい焼き屋さんだ!」


「たい焼き好きなの?」


「はい。甘い物ならなんでも好きです!」



 万乙の兎の耳みたいな髪の束が、ぴょこぴょこと軽やかに動き出す。二人は屋台の前に移動すると、たい焼きを購入する。


 が――。



「良かったね、お嬢ちゃん。お兄ちゃんに買ってもらえて」



 けろりとした声で、屋台のおじさんが言う。


 その光景に、牡丹は頬を引きつらせ。



(内心では思っていたけど、誰一人として言えなかったことを……!)



 そんなにもあっさりと……と、牡丹並びにその場にいる全員が思っている中。万乙は、むすうと口先を小さく尖がらせ、

「妹じゃないもん……」

 そう言い退ける。



「そうだよね。えっと、仮の彼女? だよね」


「へ、へえ、そうなんだ。兄ちゃん、人の良さそうな顔をしてるのに……」



 見かけによらずとでも言いたげに、おじさんは出来立てのたい焼きを二人へと手渡す。


 その様子に、梅吉はげんなりと眉を歪ませる。



「あの馬鹿。たい焼き屋のじいさん、絶対に意味を誤解してるぞ」


「梅吉の兄貴。俺達、ちょっとあの親父を締めて来ます」


「締めて来るって……。駄目ですよ、そんなことしたら」


「ですが牡丹殿、あの親父、兄貴の彼女のことを侮辱したんですよ!?」



 今度は組員揃って飛び出しそうになるのを、牡丹はどうにか押さえ込ませる。代わりに大量にたい焼きを購入するという、一見売り上げに貢献している嫌がらせで済ませさせた。



「このたい焼き、美味しいです」


「うん。今はカスタードとかチョコとか色んな味があるけど、でも、やっぱり餡子が一番しっくりくるなあ」


「はい。餡子、とっても美味しいです」



 桜文と万乙は、二人は並んでベンチに腰かけ。熱々のたい焼きに噛り付いている。その姿は定年後の老夫婦のようで、彼等の背後には薄らと築三十年の住宅の縁側が見えた。



「うーん。ラブラブと言うより、ほのぼのと言うか。いや。ほのぼのを通り越して、ぼけぼけだな。天然同士、上手く波長が合っているんだろうな……」



 あれはあれでお似合いだと、最早お手上げとばかり。梅吉は乾いた息を吐き出すと、呆れ顔でそう漏らした。

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