6.

「ったく、どうして俺が牡丹の妹なんぞと大事な一日を過ごさなくてはならないんだ。しかも、こんな手錠までかけやがって。本当なら、今頃紅葉さんと校内を回っていたはずなのに」



 ぶつぶつと愚痴を溢しながら、萩はちらりと恨めしげな瞳で隣を歩く菊を眺める。彼女との何度にも渡る攻防の末、ようやく諦めさせられるたが、それでも心のどこかでは、やはり諦め切れてはいないようだ。


 萩は、わざとらしく大きな音で溜息を吐くが、一方の菊は、一切顔色を変えることはない。


 その上、

「あの。妄想するのは勝手ですが、いい加減、現実を見た方がいいと思いますよ」

と、淡々とアドバイスをする始末だ。


「なっ、なにが妄想だ! お前さえ邪魔しなければ、きっと実現してたんだ。顔はちっとも牡丹に似てないが、人を苛立たせる所はそっくりだな。

 それから、ずっと気になっていたが、さっきから食べてばかりじゃないか。お前の胃袋は、どうなってるんだ? 女の癖に、そんなにばくばく食べて。はしたないぞ。こんな女がミス庚姫なんて信じられん。少しはその名に恥じぬよう、姫らしくできないのか」



 じとりと、萩はクレープに噛り付いている菊を疎ましそうに眺めながら、

「やはり女性は清楚で可憐でたおやかで、お淑やかでなくてはな!」

 紅葉さんのようにと、おまけとばかり付け加え。なぜか得意顔を浮かべさせる。


 だけど、それでも平気な顔で食べ続けている菊に、萩は更に眉間に皺を寄せさせる。



「大体、どうして俺なんだ。俺のこと、好きじゃない癖に。

 噂で聞いたが本来なら、ミスター黒章とやらには好きな人を選ぶんだろう? お前にはいないのか、そういう相手が」


「……アンタには関係ないでしょう」


「関係ないって……。なくはないだろう、人の恋路を邪魔しておいて。いい加減、理由を教えろ。こっちは被害者なんだ、知る権利がある」



 教えろとしつこく問い質す萩に、菊は一つ小さな息を吐き出させる。



「先輩って、本当にしつこいですよね。それに、邪魔してるのはそっちじゃない」


「邪魔って……」



「あの子の邪魔をしてるのは、アンタの方じゃない」

と、もう一度。動揺を隠し切れずにいる萩を追い込むよう、きっぱりとした声で繰り返す。



「だって、そうじゃないですか。あの子から微塵も思われてないのに、付きまとったりして。今日だって話を聞く限り、性懲りもなくあの子に付きまとうつもりだったんですよね。

 第一、紅葉はアイツのことが好きなのに。無駄じゃないですか。早く諦めたらどうですか」


「なっ、なっ……。さっきから黙って聞いていれば、随分と好き放題言ってくれるじゃねえか……!」


「好き放題って、本当のことではないですか」


「なんだとっ! いつ誰が紅葉さんに付きまとったと言うんだ!? ストーカーみたいに言うんじゃない。

 いいか、牡丹の妹よ。ああいうのは、アプローチと言うんだ、分かったか?」



 萩は捲し立てるように反論するが、やはり菊には全く効果がない。彼女は薄らと目を細め、その瞳にたっぷりの軽蔑を込める。


「そんなの、自分の都合の良いように解釈しているだけだと思いますが」



 つんとそっぽを向く菊に、萩は拳を強く握り締めた。



「この女は本当にっ……! 全然可愛くないじゃないか。どうしてこんな女が人気あるんだ? 俺にはちっとも信じられん。

 それから一つ言っておくが、彼女の気持ちなんて、わざわざお前に言われなくても分かってる」



 萩は一度、そこで区切り。ゆっくりと、目を伏せながら再び口角を上げていく。



「俺が好きになる子はみんな、なぜか牡丹のことが好きだった。今まで告白する度に、牡丹のことが好きだからと。そんな理由で振られ続けた。そして、紅葉さんだって、そうだ。

 けど、それでも俺は彼女のことが好きだし、その上、今回は告白する前にそのことを知れた。だから俺の方が牡丹よりも良い男だと分かってもらえれば、今度こそ好きになってもらえるチャンスもある。

 それに、こんなことを言えば負け惜しみだと思われるかもしれないが、紅葉さんだって俺と同じ立場なはずだ。……いや、俺以上に困難に違いない」


「困難?」


「ああ。牡丹は恋愛事なんて嫌いだと、人を好きにならないと。そう言ってるが、ならないんじゃない、なれないんだ。アイツは信じられないんだよ。他人のことを、自分自身を。人を好きになった所で意味なんかないと、どうせ思い続けてなんかいられないと、はなから諦めてるんだ。

 だから、アイツが紅葉さんを――誰かを好きになることなんて。この先だって、きっとない。それを考えれば紅葉さんよりも、俺の方が余程勝機がある」



 そうはっきりと宣言する萩を、菊は相変わらず冷徹な目で見据える。



「随分と自信があるんですね」


「まあな。アイツとは、ガキの頃からの腐れ縁だ。あの頑固者の牡丹を変えられる人間が、この世にいるとは思えない。もちろん、紅葉さんにも到底無理な話だ。

 お前は紅葉さんを、自分の兄貴を応援したいんだろうが……って、おい、牡丹の妹。お前、顔色が悪くないか? 保健室にでも行った方が……」



「いいのではないか」と、言い切る前に。突然、ぐいと萩の右手が引っ張られる。急に駆け出した菊につられて萩は目的地が分からないまま並行するが、次第に行き先が分かってしまう。


「いや、いや、いや。ちょっと待て、さすがに待て! ストップ、ストップ! それは不味いだろう!?」

と、女子トイレを目前にして、どうにか無理矢理足を止めさせる。


 その場から一歩たりとも動こうとはしない萩を、菊はじろりと見つめ……、いや、睨み付ける。



「いや、だって。常識的に考えて、そんなの駄目に決まってるだろう。それに、お前だって嫌じゃないのか!?」


「……先輩のことです。手錠を外せばその隙に、また逃げるじゃないですか」


「逃げないから、絶対に逃げないから! お前が出て来るまで、ちゃんとここで待ってるから。だからお願いします、外して下さい。さすがにこれは洒落にならないって!」



(女子トイレに入ったなんて、紅葉さんに知られたら……。)



 いや、彼女だけではない。周りからどんな目で見られるものか。いくら不可抗力と言え、そうはいかないだろうと、萩は必死になって頼み込む。


 菊は一寸悩んだが、ようやく観念したのか。ポケットから鍵を取り出すと自身の手錠を外し、かと思えば、偶々近くを通りかかった男子生徒の手にかけ直す。そして、自分はそのままトイレの中へと駆け込んだ。


 もちろん彼女の背に向け、萩は咄嗟に手を伸ばしたが間に合う訳もない。自分と同じ境遇に置かれている、鎖の先の男子生徒からの視線を受けながら。



「あの、これは一体……」


「……俺に訊くな」



 ようやく菊から解放されたかと思いきや、今度は見知らぬ男子生徒と繋がれ。そんなに自分のことが信用できないのかと、自業自得ではあるが、そう思わずにはいられない。


 遣る瀬ないとばかり、萩は項垂れる頭に従うよう、静かにその場にしゃがみ込んだ。

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