9.
それでも次男の持論に牡丹が納得しかねていたが、その間にも、とうとう順番が回ってきてしまう。
未だ浮付いている萩とは裏腹、牡丹の鼓動は急に速度を上げ。口の中は勝手に乾き出す。
そんな彼の心情を全く気に留めることもなく、萩は牡丹が付けているベールの端をそっと摘まみ。一センチ、五センチ、十センチと、徐々にベールを上げていく。
それに従い、今まで隠れていた顔がとうとう露わになりそうになるが、その刹那。牡丹の全身が突如わなわなと震え出し、そして。
「やっぱり無理だーっ!!!」
そう声を上げながら、牡丹は手に持っていたステッキで、思い切り萩の頭部をぶん殴った。
突然の衝撃に、その場にしゃがみ込んで酷く悶え出す萩を余所に、
「無理、無理、無理、無理っ! やっぱり無理! 無理だ、絶対に無理だーっ!!」
牡丹はすっかり発狂し。ひょいとステージから飛び降りるとスカートの裾を摘んで、扉に向かって走り出す。
けれど、履き慣れていないヒールが邪魔をして。本人としては懸命に走っているつもりなのだろうが、それは歩いているのとたいして変わらない。
復活した萩は頭を押さえながら、へろへろと走っている牡丹を鋭く睨み付ける。
「牡丹のやつ、よくもやりやがったな。それに、このまま逃がしたりしたら……」
(紅葉さんに良い所を見せる、絶好のチャンスなのにっ……!)
こんな好奇な機会をみすみす逃してなるものかと、萩は牡丹に続いてステージから飛び下りる。
そして、前を走る牡丹に追い付くと、彼の前に回り込む。
「萩……。そこを退けよ!」
「ふっ、それは無理な要求だな。お前に逃げられたら俺が困るんだ。お前には、俺の引き立て役になってもらわないとならないんだからな」
「引き立て役って、何を言ってるんだ? よく分からないけど、退くつもりがないなら……」
一瞬の内に、二人は互いに相手の意図を読み取ると、牡丹はステッキを、萩は腰に差していた模造品の剣を構え。同時にどちらともなく飛び出した。
キンキンッ――! と、甲高い音が鳴り響く中。
「あーあ。牡丹と足利が組んだ時点で、一波乱ありそうだとは思ったが。まさか、チャンバラごっこを始めるとは。
それにしても。足利はまだしも牡丹のやつ、よくあんな格好で動き回れるな」
「きっと意地よ。本当、毎度のことだけど、よくやるわよねえ」
「それで、この事態どうするんだよ?」
「そうねえ。私が止めに入ってもいいんだけど……」
明史蕗は、ちらりと隣にいる宮夜を眺め。
「きゃあ、きゃあっ! まるで洗脳された誠司くんとベリーちゃんが戦うシーンの再現みたい!
写真、写真! 写真撮らないと!」
パシャパシャとカメラのシャッターを切っている宮夜に、竹郎と明史蕗は互いの顔をそれぞれ見合わせ。どうしたものかと困惑顔を突き合わせる。
その間にも、牡丹等の戦いは熱を帯びていき――。
「どうして邪魔するんだよ!? そこを退けよ!」
「お前こそ、いつも俺の邪魔をしやがってっ……!」
「俺がいつどこでお前の邪魔をしたんだよ!? それを言うなら、今まさに邪魔をしている、お前の方だろう!」
「いいや、お前だ!」
「いいから退けよ!」
「誰が退くもんか!」
「どうしてお前は昔っから、いつも突っかかって来るんだよ! しつこいにも程があるぞ!」
「しつこいのは、お前の方だろう! どこまでも俺の邪魔をしやがってっ……!」
(この男は、本当に……!)
萩の中で、ふと過去の記憶が想起される。苦汁を飲まされた日々が一気に蘇っていく。
(どうしていつも、いつもコイツなんだよ。確かに学力も運動神経もそんなに大差はないが、でも、ルックスだけは負けてないはず……。
ああ、そうだ。周りの女子からの受けも、俺の方が断然良かった。なのに、どうして俺が好きになる子だけは、俺よりコイツを選ぶんだ!?
チビで女顔のコイツより、俺の方が絶対に……、絶対にポイントが高いに決まってるのにっ――!!)
萩は、先程以上の鋭さを以って。目の前で対峙している牡丹を睨み付ける。剣を握る手にも力が入り、打撃の音もより大きくなっていく。
一進一退の長きに渡る攻防も、発展の兆しが見られ始め。萩側に、優勢の色が一気に傾く。
そして、とうとう、キンッ――!! と、一層と甲高い音がその場を支配した。牡丹の手からステッキが、勢い良く後ろへと吹き飛んだ。
丸腰になってしまった牡丹に、萩は容赦なくも近付いて行き。
「ようやく観念したか。その面、白日の下に晒させてもらうぞ」
(そして、今度こそ……。今度こそ紅葉さんを振り向かせて、必ずやこの因果を断ち切ってやるんだ……!)
もう一度、萩は牡丹の被るベールの端を掴み直す。ようやく拓けそうな輝かしい未来を目前にして、自然と手は震え出す。
一方の牡丹は、もう駄目だと。固唾を呑み込ませる。
「なんで、どうしてそこまで……。お前なら……、お前なら、俺の気持ちを分かってくれると思ってたのにっ……!」
(姉ちゃんの被害に遭っていた者同士、女装の嫌さを!)
「お前こそ、俺の気持ちなんて、ちっとも分かってない癖に!」
(誰のせいで、今まで散々振られ続けたと思ってるんだ!)
二人は間近で睨み合うが、牡丹の顔を覆っている布が邪魔をして、互いの表情は見て取れない。
「お前の気持ちって、なんだよ、それ。お前はいつも俺のことを犠牲にして、一人で逃げてた癖に!」
「お前だって! いつも何食わぬ顔で、横から掻っ攫いやがって!」
「だから、さっきからなんの話をしてるんだよ!? 訳分かんねえよ!」
「お前こそ、いい加減にしろ! どうしてそんなに鈍いんだよっ!?」
「鈍いって、俺のどこが鈍いんだよ!?」
「はあっ、どこがだと!? そんなの全部だ、全部! この鈍感野郎!
お前はチビで女顔なだけじゃなく、鈍感馬鹿だ、鈍感馬鹿!」
「だから、チビって言うなっ! お前こそしつこいんだよ。一体俺が何をしたって言うんだよ!」
「何をしたって……」
(そんなの……。)
萩は息を詰まらせながら、ベールを掴む手に力を入れる。ぎゅっと、皺が寄るのも全く気にせず。彼はますます握る手に力を込める。
(特に何もしてないから。俺の方が、ずっと、ずっと思ってたのに。それなのに、なんとも思ってないお前がいつも簡単に……。
だから、ますます腹が立って。だけど、どうすることもできなくて。
今回だって例外じゃなく、紅葉さんだって今までの子達みたいにアイツのことを……。
でも、)
「一体どんな理由なんだよ!? どうしてそんなに突っかかって来るんだよ!」
「理由って、そんなの……、」
萩は、きっと眉を鋭かせ。
(理由なんて、ただ一つ。俺は、紅葉さんのことが……。紅葉さんのことが、)
「好きだからに決まってるだろうっ――!!!」
――整然と、萩の声が館内中へと響き渡り。一瞬の内に、辺りはしんと静まり返る。
数拍の間を有してから、萩は己の過ちに気が付くが後の祭りで。ベールのせいではっきりとは見えなかったものの、おそらく顔を蒼く染めていただろう牡丹は、その場に突っ立ったまま。けれど、意識が回復すると、すすっ……と萩から遠ざかっていく。
「ち、ちがっ……! ちょっと待て。今のは、お前のことじゃなくて……!」
すぐに反論しようとしたが、萩の声は周りの歓声によってすっかり掻き消されてしまい。虚しくも、牡丹の耳に届くことはなく。
しばらくは鳴り止みそうにない喝采を浴びる中、二人のアピールタイムは呆気なくも終了した。
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