3.
見事、竹郎の采配の結果とでも言えるのだろうか。演劇部の公演のチケットをくれた紅葉にお礼をするという名目で水族館に行くはずが、なぜか彼女に加えて菊まで同伴することとなって。
問題の日曜日――……。
「へえ、珍しいな。牡丹と菊が一緒に出かけるなんて」
俺と菊が並んで玄関先で靴を履いていると、藤助兄さんが漂然とした音を上げる。
にこにこと嬉しそうにしている兄さんを、菊はきっと鋭く睨み付け、
「どうしてこんなのと私が一緒に出かけないとならないのよ。好きで出かける訳ないじゃない」
藤助兄さんに八つ当たりした後、
「ちょっとでも変なことしてきたら、ぶっ飛ばすわよ」
と、俺のことを睨み付けた。
「何もする訳ないだろう! 一々誤解を招くようなことを言うなよ」
俺のは必死に主張するが、もちろん素直に聞き入れてもらえる訳がない。菊は完全に、疑り深い目を差し向けてくる。
ったく、竹郎のやつ。一体何を考えているんだ。いや、そんな分かり切ったこと、今更思考する手間などいらない。
菊と関わりたいがため、こんな手を使うだなんて。やっぱり気に喰わない。この手筈を踏んだ友人に対する愚痴が尽きることはなく、ぶつぶつと口先ばかりが無駄に動いてしまう。
「ちょっと、もっと離れて歩きなさいよ」
「なんだよ。おい、押すなって。歩道からはみ出るだろう。車に轢かれるじゃないか!」
俺は菊からの攻撃を受けながらも、どうにか待ち合わせ場所である水族館の前に到着した。
すると、入り口の前に、すでに竹郎と紅葉が待っていた。
「おーい、牡丹。こっち、こっちー!」
「竹郎、それに紅葉も。二人とも早いな」
「何言ってるんだ。お前達が遅いだけだろう」
「だって、菊が一々突っかかってくるから」
「なに人の所為にしてるのよ、この変態!」
「だから、変態って言うな!」
「はい、はい。分かったから。それよりも、牡丹。今日は頼んだからな」
竹郎は俺の耳元に顔を寄せ、こそこそと小さな声でそう囁く。
「頼んだって、そんなこと言われても。どうすればいいんだよ」
「そんなの簡単だよ。俺は天正菊と回るから、お前は甲斐さんと回るんだ」
「はあ、紅葉と?」
「ああ。そう言うことだから、ちゃんと彼女をエスコートしてやれよ」
言うや否や、竹郎は二人の元へと戻り。それから、ずいと菊の方へと身を寄せる。そして、勝手にその場を取り仕切ると菊だけを引き連れ、すたすたと先に行ってしまう。
その場には、ぽつんと俺と紅葉の二人だけが取り残された。
本当、勝手なんだから……。
「ごめんな、紅葉」
「えっ、何がですか?」
「竹郎が勝手なことばかり言って。今日だって、紅葉にお礼をーなんて言って、本当は自分が菊と一緒に行きたかっただけなんだから」
本当に仕方ないやつだ。俺はまたしても愚痴を溢す。
「そんな、私は別に構いませんよ。その……、あの、私、今日は本当に楽しみで……!」
「へえ、そうなんだ。まあ、実は、なんだかんだ俺もなんだ」
「えっ……、本当ですか?」
「ああ。始めはさ、竹郎の策略にまんまとはまってる感じで全然乗り気じゃなかったんだけど、段々、まあ、いっかって。なんだかどうでもよくなって。
それに、水族館なんて小学生の頃に一回行ったきりなんだ。だから、こういう所は久し振りでさ」
「そうなんですね。私も久し振りです」
そう言い合うと、俺達は同時に笑い出し。先に行った竹郎と菊の後へと続く。
中に入ると、たくさんの水槽がずらりと並んでいて。その一つ、一つに、隣を歩く紅葉は瞳を輝かせている。
「あっ、見て下さい。クラゲですよ。わあっ、綺麗……。ふふっ、ふよふよと水中を泳いで、なんだかとっても気持ち良さそう。
あっ、こっちにはアザラシが。きゃあっ、可愛い! ……って、済みません。私ばかり燥いでしまって……」
「そんなことないよ、俺も楽しいし。それに、今日は紅葉にお礼するために来たんだから」
「そうですか?」
それなら良かったと、紅葉は薄らと染まった頬を更に赤らめる。
だけど、不意に紅葉は小さく口を開いて、
「……あの、気になりますか?」
「へっ!? 気になるって、何が?」
「菊ちゃんのことです。菊ちゃんのこと、何度も見てるじゃないですか」
「うっ……、」
そんなこと……。
「ない」と言い返したいのに、そう言い張れる根拠などどこにもない。見事に図星を指されてしまった。
「気になるっていうか、竹郎と何話しているのかなって。だって、相手はあの菊だぞ? 俺なんてほとんど話したことないのに」
「そうなんですか? あっ。でも、菊ちゃんもそんなことを言っていたような……」
紅葉は菊との会話を思い出しているのだろう。思わず、くすっと緩んだ口元から笑みを溢した。
「菊ちゃん、牡丹さんの話になると、いつも牡丹さんの悪口ばかり言うんです」
そう告げると、紅葉はまた、くすくすと小さく笑い出した。
まさか紅葉の前でも、俺のことを悪く言っていたなんて……。
どこまで俺のことが嫌いなんだ。ずっと笑い続けている紅葉の隣で、俺は眉間に皺を寄せる。
「でも、私は好きですよ。そんな菊ちゃんの話を聞くのが」
「えっ。好きって?」
「菊ちゃん、口では牡丹さんのこと散々悪く言ってますが、でも、なんだか楽しそうで。話を聞いていると、その雰囲気が伝わってきて。羨ましいなって、いつも思ってしまうんです」
「羨ましい、か。でも、俺達の関係は紅葉が想像しているような、そんな穏やかなものじゃないぞ」
どちらかと言えば……、いや、言わずとも暴力的だ。菊に散々叩かれた日々がふと蘇り、俺の顔は自然と歪む。
だけど、それでも紅葉は、
「いえ、羨ましいです。とても羨ましいです」
そう何度も繰り返した。
そんな紅葉の気持ちが、俺には全く分からなくて。当館で一番の自慢とされている、色鮮やかな魚達が群れを成して泳いでいる巨大な水槽の前で、俺は一人首を傾げさせた。
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