6.

 突如浮上した金銭問題により、家族会議の結果、節約生活を送ることに決まった天正家。


 だけど、それは思っていた以上に大変で。



「おい、牡丹。どうしたんだよ、バイトの求人誌なんて眺めて」



 ちゅー……と紙パックのジュースに差されたストローを吸いながら、竹郎は俺の顔を覗き込む。


 俺は雑誌に目を向けたまま、「んー……」と、低い呻り声を上げた。



「いや、ちょっとな。バイトでもしようかと思って」


「へえ、それはまた急な話だな。なんだ、何か欲しいものでもあるのか?」


「まあ、そんな所かな」



 まさか、妹の下着代のためなんて。


 恥ずかしくて言える訳がない。俺は思わず竹郎から目を逸らす。



「でもさ、牡丹。バイトなんてできるのか? 部活はどうするんだよ」


「そうなんだよ。問題は、そこなんだよなあ」



 竹郎の指摘に、俺は現実を思い出し。はあと深い息を吐き出すと、ぐたりと机の上に突っ伏した。


 部活が終わってからバイトに行く余裕なんて、あるだろうか。バイト自体したことがないからなあ。ただでさえ剣道の稽古が終わった後ヘトヘトなのに。それからまた働くなど……。


 やっぱり、現実は厳しそうだ。俺はもう一度、深い息を吐き出した。


 だけど、かといってそう簡単にも諦められず。引き続き手頃なものはないかと目を細めて求人誌の文字の羅列を追っていると、不意に廊下から慌ただしい音が響き出した。


 その音が鳴り止んだかと思いきや、教室の扉ががらりと盛大に開かれ、

「おい、牡丹! ちょっと匿ってくれ」

と、梅吉兄さんが飛び込んで来た。


 梅吉兄さんの息は荒く、肩を激しく上下に揺らしている。



「梅吉兄さん、どうしたんですか? そんなに慌てて」


「どうしたもこうしたも……。げっ、もう追い付いて来やがった!? 牡丹、俺はここには来てないからな!」


「はあ」



 俺は訳も分からないまま、取り敢えず気の抜けた返事をした。その間にも梅吉兄さんは、咄嗟に掃除用具入れのロッカーの中へと身を隠した。


 すると、それと入れ替わるような形で、またしても教室の扉が外側から盛大に開け放たれ、今度は、

「おい、牡丹! あの馬鹿が来なかったか!?」

と、怒声を上げながら道松兄さんが乗り込んで来た。



「えっと、馬鹿って一体……」


「馬鹿と言えば、アイツしかいないだろう。梅吉だ、梅吉!」


「ああ、梅吉兄さんですか。梅吉兄さんなら、えっと……。あっちの方に走って行ったような……」


「そうか、分かった。いいか、牡丹。あの馬鹿を見つけたら、すぐに俺に教えろよ」



「何がなんでも絶対に捕まえてやる……!」と、道松兄さんは背中に大きな炎を燃やしながら、俺が指差した方向に颯爽と向かった。


 どたどたと兄さんの足音が遠退いていくのが、おそらくロッカーの中からでも分かったんだろう。がちゃりと扉が開き、中から隠れていた梅吉兄さんが出て来た。



「ふう。いやあ、危ない所だった。助かったよ、牡丹」


「それは別にいいんですけど、今度は一体何をしたんですか?」



 道松兄さんが、あんなにも血眼になって探してるんだ。


 余程のことをしたに違いないと、俺は呆れ顔さながら推測を立てる。



「なんだか失礼な言い方だなあ。俺はただ、ちょっと商売をさせてもらっただけだよ」


「商売ですか?」


「おうよ。道松・藤助・桜文のプライベート・スペシャルショット! 一枚なんと、たったの十円! セット販売だとよりお得! どうだ、牡丹」



「一枚買わないか?」と、梅吉兄さんは机の上に何枚もの写真を並べていく。それは着替え途中や寝顔など、どれも際どいものばかりで。天正家での日常の一コマで、まさにプライベートそのものだ。


 道松兄さんの怒りの原因はこれかと、俺はぺらぺらと写真を眺めながら簡単に理解した。



「こんな写真、いつの間に撮ったんですか?」


「いやあ、なんのこれしき。俺の手にかかれば朝飯前よ」


「こんなことをして、本当に大丈夫なんですか? 道松兄さん、相当怒ってましたよ」


「なに。これもひとえに可愛い妹のためだ。節約生活より、こっちの方が手っ取り早いだろう。兄として、少しくらい体を張ってもらわないとな」



「誰か買わないかー?」そう梅吉兄さんが声を張り上げるや、主にクラスの女子達の目が鋭く光り。みんな財布を片手に、一気に兄さんの周りに群がった。



「道松先輩セットお願いします!」


「私は藤助先輩で!」


「はい、まいどー。たくさんあるから、順番にね」


「あの、先輩。先輩の写真はないんですか?」


「えっ、俺? ごめん、俺のは用意してなかったや。そうだなあ……。それじゃあ、撮影会ってことで、撮ってもいいよ」


「えっ、本当ですか?」


「うん。なんだったら、サービスで上までなら脱いでもいいし」



 そう言うと梅吉兄さんは、ずるりとジャケットを脱ぎ捨て。ワイシャツのボタンを一つ一つ、焦らすように外していく。ボタンが一つ外れる度に、女子の群れから黄色い歓声が上がる。


 が。



「ほう……。それで、その撮影会とやらは一体いくらだ?」


「そうだなあ。一人三百円で、取り放題って所でどうかな? ポーズも自由に指定オーケーで……って、ん……? その悪魔の声は……。げっ、道松――!?」



 いつの間にか梅吉兄さんの後ろには、悪魔の声もとい道松兄さんが立っていた。


 眉間にはこれでもかというほど皺が寄り、かつて見たこともないほど恐ろしい形相だ。梅吉兄さんの言う通り、まるで魔界からの使者のようだ。背中には目には見えないものの、すさまじいオーラまでもが宿っている。



「梅吉、てめえ。分かってるんだろうな……?」


「えー? 分かってるって、なんのことかなあ?」


「ふざけるなっ! おらっ、持ってる写真を全部出せ! それと、儲けた金もだ!」



 道松兄さんは梅吉兄さんの胸倉を掴み上げ、ぶんぶんと強く揺さ振る。傍から見れば治安の悪い町を徘徊しているチンピラが、幼気な青年からカツアゲをしているようだ。


 だけど、実際は立場が逆であり、幼気な青年の方が余程質が悪く。目の前で繰り広げられる兄弟喧嘩を見せ付けられながら、せめてここで暴れるのは止めてくれないかなと。俺は必死の道松兄さんには申し訳ないが、そう思わずにはいられない。


 誰かどうにかしてくれないかな。


 そう思っていると、

「あーっ、もう。やっと見つけた! 

 梅吉ってば、また変なことを企んで……」

 救世主とばかり、藤助兄さんまでやって来た。



「藤助兄さん! 兄さんもなんだか大変そうですね」


「ははっ、まあね。

 もう、梅吉ってば。俺達の写真を勝手に売って、みんなからお金を巻き上げるなんて。早く持っている写真を出さないと、今日の夕飯抜きにするよ」


「おい、藤助! それは反則だろう!?」



 ずるいと梅吉兄さんは必死に抵抗するけど、天正家で生活をする以上、家事全般を取り仕切っている藤助兄さんに逆らえる者は誰一人としていない。


 梅吉兄さんが折れるのは、最早時間の問題で。にこにこと笑みを取り繕っている藤助兄さんを拝めるような形で、結局梅吉兄さんは渋々隠し持っていた写真を出した。



「ったく、勝手に人のプライバシーを売りがやって」


「だって、面白いくらいばんばん売れるんだぜ? これがやらずにいられるかっての」


「開き直るんじゃない! 本当にこれで全部だろうな? 一体何枚売ったんだよ……。

 おい。今、コイツから写真を買ったやつ。金は返すから写真を出せ」



 道松兄さんは、今度はくるりと写真を購入していた女子達の方に手を向ける。だけど、名乗り出る者は一人もいない。代わりに誰もが咄嗟に持っていた写真を隠し、視線を適当に宙に漂わせる始末だ。



「おい、この馬鹿から買ってただろう。さっさと写真を出せ!」


「脅したって無駄だと思うぜ。こんなお宝写真、誰もそう簡単には手放さないって」


「うるせえっ、お前は少し黙ってろ! 

 いいから早く出せ!」


「ねえ、道松。女の子達から無理矢理奪い取る訳にもいかないし、売られた分は仕方ないよ。諦めよう。どの道、全部なんて回収し切れないだろうし……」



 藤助兄さんに諭され、道松兄さんは不本意ながらも妥協せざるを得ず。



「ちっ、仕方ねえなあ。今回だけは特別に目を瞑ってやる。だが、梅吉。次はないと思えよ……!」

と、物騒な台詞を残し。藤助兄さんを連れて教室から出て行った。



「良かったですね、梅吉兄さん。夕飯抜きにならなくて」


「まあな。さすがにこれ以上食事の量が減るのはキツイからな。

 えー、お兄ちゃんからもお許しが出たということで。どうにか死守した道松のとっておきシャワーシーンもあるんだけど、どうかな。誰か買わない?」


「梅吉兄さん、まだ隠し持ってたんですか……って、ひっ!??」



 突如、ただならぬ殺気を感じ。振り向けば、そこには案の定、鬼の形相をした道松兄さんが……。



「梅吉、てめえっ……! 誰が許すと言った、誰が。ああっ!? この、舌の根も乾かぬ内に……!」



「いい加減にしろーっ!!」と本日一番の雷が、やっぱり本来なら麗かな昼下がりを送っていたであろう二年三組の教室に落下した。

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