4.
急遽、家族会議の結果。節約生活を送ることに決まった天正家。
その翌日、昼食の時間。
がやがやと騒がしくなるのに従い、教室の中には昼独特の鼻をくすぐる匂いが立ち込めていき。それは、三年二組の教室も同様であり――。
「はい、道松の分のお弁当。おかず、いつもよりちょっと少ないけど」
藤助は弁当箱を掲げ、へらりと笑みを取り繕う。だが、薄らとだが、眉だけはいつもより少し下がっている。
道松は、一拍空けてから弁当を受け取り、
「それは別に構わないが、お前は弁当を持ってどこに行くんだ?」
と、立ち上がった藤助に問いかける。
「へっ!? いや、俺は、その、天気も良いし、今日は外で食べようかなって」
「そうか。それじゃあ、俺もたまには外で食べるか」
「えっ!? 道松はここで食べなよ。うん、やっぱり今日は風が強くて少し寒いし、外で食べるにはあまり適してないかも」
「なんだよ。俺が一緒だと駄目なのか?」
「そういう訳じゃないけど、でも……」
道松からの鋭い視線に、藤助はうようよと視線を宙に泳がせる。
見るからに挙動不審な弟の様子に、道松はますます眉間に皺を寄せる。
「ったく。どうせお前の分だけ、日の丸弁当なんだろう」
「違うよ! 日の丸じゃなくて、海苔弁だよ。あっ……」
急いで口を手で塞ぐものの、時既に遅く。まんまと誘導尋問に乗せられてしまった藤助は、むすうと頬を膨らませる。
「海苔弁だっておいしいもん」
「おいしいかもしれないが、おかずもちゃんと食べろ。ほら。俺の分を分けるから、弁当箱を寄越せ。
うわっ、見事に真っ黒だな。本当に米だけかよ」
「だって、牡丹も菖蒲も食べ盛りだろう。満足に食べられないのは可哀想じゃないか」
「で、自分の分のおかずを二人に分けたのか。ほら、お前もちゃんと食べろ」
「でも……」
「節約するのはいいが、最低限はちゃんと食べろ。お前に倒れられたら困るんだよ。長男命令だ」
「もう。こういう時ばかり、そういうことを言うんだから」
藤助は、やはりいま一つ納得していないものの。道松が自分の弁当箱からひょいひょいとおかずを取り分けて行く様を、横目でじっと見守る。
「にしても。いくら節約するとは言え、米ばかり食っても仕方ないだろう。栄養が偏るぞ」
「米ばかりって、ああ、これ? 違うよ。もう一つは梅吉の分だよ。ほら、朝忘れて行ったからさ」
「梅吉が? 珍しいな。アイツ、馬鹿だけど女のことと食べ物のことだけは忘れない癖に」
「でも、今朝も寝坊して、慌てて出て行ったし」
藤助は梅吉の分の弁当を持って、隣の教室を訪れる。が、ひょいと中を覗き込むと、いつもよりなぜか人口密度が高く。特に、女生徒の姿が多く見受けられた。
その光景に、藤助は思わずその場に立ち尽くし。何事だろうと様子をうかがっていると、おそらくこの状況の源泉だろう所からひょいと手が伸びた。
「おー、藤助! こっち、こっち」
「梅吉!? なんだよ、この騒ぎは」
ようやく見つけたお目当ての兄は、複数の女生徒に囲まれていた。藤助はその間をどうにか掻き分け、梅吉の前へと躍り出た。
未だに現状が理解できず。きょろきょろと辺りを見回している藤助に、梅吉はさらりと告げる。
「悪い、悪い。俺の分の弁当はいらないって伝えるの、すっかり忘れてたよ」
「はあ? いらないって?」
「だから、俺の分はしばらくの間、みんなが用意してくれるからさ」
「みんなって……、えっ……?」
まさか――と、思うのと同時。この騒ぎの原因をようやく理解できたものの、藤助は嘘だろうと頭を抱え込ませる。
「なっ、これで少しは食費が削れるだろう?」
「何言ってるんだよ。そんなの、迷惑だろう」
「迷惑って、迷惑かな?」
「ううん、そんなことないよ。はい、梅吉。私のお弁当。食べて、食べて」
「先輩。私のも食べて下さい」
「うん。みんな、ありがとう」
「でも、先輩。一人でこんなに食べられますか?」
「大丈夫。このくらい余裕だって」
「本当ですか? 残したら嫌ですよ」
「そんなことしないって。ちゃんと全部食べるよ」
梅吉は何人もの女生徒を相手に、相も変わらずへらへらと、一見媚を売っているように見えるだろうが、これが彼の天性による反応なのだから、きっと浮気性であった父親によく似たのだろうと。
そんな調子でいつまでも女生徒達を侍らかしている梅吉の姿に、藤助の口元が自然にぴくぴくと軽く痙攣する。が、それに呼応するよう不意に廊下から慌しい足音が響いて来た。そして、ぴたりと鳴り止んだかと思えば、今度はがらりと教室の扉が勢いよく開け放たれた。
「こらあっ、梅吉! てめえ、一体何をしやがった!?」
「道松!? どうしたんだよ、そんなに怒って」
「どうしたもこうしたも、さっきから女どもが無理矢理いりもしない弁当を押し付けてきやがって……。梅吉、お前の仕業だろうが!」
「仕業って、失礼な言い方だなあ。ついでにお前等の分も頼んでやったのによー。
俺達、今、ちょっとお金に困ってて。せめて昼飯くらいはしっかり食べたいなってさ」
「はあっ、そんなことを言ったのか!?」
「何を余計なことをするんだ。大体、どこの誰かも分からないやつが作ったものなんて食えるかっ!」
「なんだよ。道松ってば、相変わらず潔癖症だなあ」
ぴしりと道松の額にまた一本、青筋が浮かび上がる。
「そういう問題じゃない!」
と、彼は梅吉の頭部を思い切り叩いた。
「いってー!? 何すんだよ」
「そうだよ、梅吉。道松の言う通りだよ。家庭の事情に他人を巻き込むなよ。
みんな、俺達のことは気にしなくていいから。ちゃんと自分のお弁当は持ち帰って」
「あーっ、俺の弁当!?
なんだよ、なんだよ、二人して。あっ。もしかして、藤助。お前、妬いてるのか? 大丈夫だって。みんなには悪いけど、藤助の作った料理が一番うまいからよ」
「妬いてないし、そういう問題じゃない!」
「いい加減にしろ!!」と、道松と藤助の声が見事に重なり合い。その怒声は、廊下にまで強く反響した。
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