2.
幼い頃から、ずっと憧れていた。ずっと、ずっと、待ち望んでいた。そう、この日が来ることを。
「やっと見つけた。私だけの、王子様……」
昨日のことを思い出すだけで、頬が熱くなって。頭の中は、なんていうのかな。アドレナリンっていうのかな。ほわほわとしたもので満ちていて、とても心地良くて。こんな気持ち、初めてで。
なんだか自分が自分でなくなっちゃったみたい。朝からずっと溜息しか出て来ないんだもん。
本日何度目になるのかな。きっと三十回は超えていると思うの。おそらく三十四回目の溜息をした所で、突然、ばんっ! と、鈍い音が私の鼓膜を震わせた。
びっくりして顔を上げると、眉をぴんと尖らせた菊ちゃんが目の前に立っていた。菊ちゃんの手は、私の机に置かれていて。さっきの音は、きっと菊ちゃんが鳴らしたものだ。
私はようやく菊ちゃんが何度も呼んでいたことに気が付いた。
「あっ……。菊ちゃん、おはよう」
「『おはよう』じゃないわよ」
「何度呼んだと思ってるのよ」と、やっぱり菊ちゃんはもう一度、机を強く叩き付ける。
「ごめんね、菊ちゃん。でも、あのね、私、見つけたの……」
「見つけたって、何を?」
「王子様……」
「はあ?」
「私の運命の人、牡丹さん……」
「牡丹? 牡丹って、まさか――!?
アンタ、いつの間に……」
菊ちゃんの口から、なぜか、はあと乾いた音が漏れた。
どうしたのかな? 首を傾げさせると、菊ちゃんはさっき以上に眉をつり上げて、それから、
「よりにもよって、なんでアイツなのよ。あんな男のどこがいいの?」
なんて言い出した。
まさか、そんな感想が返って来るなんて。全く予想していなかった私の目は、きっと丸くなっていたと思う。
「どうして? 牡丹さん、とっても素敵な人じゃない。菊ちゃんにあんな素敵なお兄さんが増えたなんて、知らなかったよ」
「私はあんなの、兄なんて思ってないもの。それより、アンタこそどうしてアイツのことを知ってるのよ」
「あのね、昨日ね、上級生の男の人に絡まれて困っていた私の前に牡丹さんが颯爽と現れて、助けてくれたの。まさに、夢にまで見た王子様みたいだったの……」
「ふうん、あの変態がねえ。下心でもあったんじゃない? アンタ、可愛いから」
「もう、菊ちゃんってば! さっきから牡丹さんのことを悪く言って。牡丹さんが菊ちゃんに何かしたの?」
「それは……。とにかく、アイツはろくな男じゃないから。くれぐれも気を付けなさい」
菊ちゃんってば牡丹さんのこと、ずっと悪く言い続けて。二人の間に何があったんだろう。だけど、菊ちゃんは聞いても全然教えてくれない。
「でも、いいなあ、菊ちゃん。牡丹さんと一緒に暮らしてるなんて。それに、牡丹さん以外のお兄さん達もみんな素敵だし」
楽しそうで羨ましいな。そう言うと、菊ちゃんは私からふっと視線を逸らして。
「ちっとも良くないわよ。……兄妹なんて」
そう言った菊ちゃんは、なんだかいつも以上に素っ気なく。どうかしたのと聞いても、やっぱり、「なんでもない」という短い返事だけで。
「それより、紅葉。昼休みに先輩が脚本のことで話があるから、教室まで来てくれって。さっき、伝言を預かったんだった」
「脚本のことで? なんだろう」
「なんだろうって、あのメルヘンチックな展開に物申したいんでしょう。途中までは良い感じなのに、後半からいつも滅茶苦茶になって。その夢見がちな性格、もう少しどうにかできないの?」
「別に私、夢なんて見てないよ」
「王子様とか、運命の人とか。そんなことばかり言ってる人間の、どこが夢見てないのよ。大体、この現実に王子なんてファンシーなもの、いる訳ないじゃない」
「そんなことないよ。いるもん、王子様!」
だって、私にはいたもん、運命の王子様が。この世界で一番素敵な人だ。
だけど、そう思ったら急に不安になってきた。だって。
「……ねえ、菊ちゃん。いくら牡丹さんが素敵だからって、菊ちゃんも牡丹さんのこと、好きになったら嫌だよ……?」
私がそう言うと、菊ちゃんは、むすりと眉間に皺を寄せ。
「はあ? 誰があんな変態なんか。冗談言わないでよ」
菊ちゃんは私の額に指を持っていき。真ん中目がけ、つんと強く弾いた。
私はその痛みに、思わず、
「いったーい!」
と、音を上げてしまう。
「ひどいよ、菊ちゃん」
「紅葉が馬鹿なこと言うからよ」
「菊ちゃんってば、もう……。
あっ、そうだった。あのね、私、牡丹さんに助けてくれたお礼に、クッキーを焼いてきたの」
「ふうん、よくやるわね」
「菊ちゃんってば、本当にいじわる。だからね、それでね。牡丹さんに渡しに行くの、付いて来てほしいの」
私がお願いすると、菊ちゃんの顔色は一層と悪くなるばかりで。
「はあ? それくらい、一人で行きなさいよ」
「菊ちゃんってば、そんなこと言わないで……! お願い、一人だと恥ずかしくて、上手く話せないよー」
私は菊ちゃんに飛び付き。ぎゅううう……と、菊ちゃんの腰にまとわり付く。
いつもの私だったら、ここでめげていたと思うけど。でも、今回ばかりは、そう簡単に諦める訳にはいかない。
頑張り続けると、菊ちゃんはとうとう折れてくれ。
「もう、仕方ないわね! 付き合ってあげるから、早く離れなさいよ」
「本当!?」
「絶対だよ!」と、念を押すと、菊ちゃんは、「しつこい!」と、私を強く跳ね除けた。
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