第53話 舞踏会の夜1

 舞踏会当日。

 

 旅にすぐ出られるよう荷物を整えたあと、兄と馬車に乗った。

 今夜、ジークハルトに婚約破棄される。

 心は静かに凪いでいた。


(覚悟はもう前にすませている……)

 

 豪華絢爛な宮殿前に到着すれば、すでに多くの招待客の姿があった。

 カーブを描いた天井に、帝国の紋章と古代神話のフレスコ画が描かれ、壁一面鏡張りとなった楕円形の大広間。

 

 そこかしこから、今晩婚約破棄されるのでは、という声が聞こえてくる。


「リア、気にすることはない」


 隣に立つ兄が、リアの肩を抱き、励ましてくれた。


「気にしていませんわ、お兄様」


 兄はリアを心配し、家でも常に気遣い、優しく接してくれる。

 それはカミルもだった。


 家族と別れることを思えば少し寂しい。だが、リアはもう旅に出ると決心していた。


「私、風に当たってまいりますわ」


 周囲から、好奇の目を向けられるのは、ひどく疲れることだった。

 リアの気持ちを慮ってくれ、オスカーは頷く。


 誰もいないバルコニーへと出る。

 篝火の間を縫って、生ぬるい風が頬とドレスを撫でていく。


 バルコニーを奥まで進み、空を仰いだ。

 欠けた月が夜闇に浮かんでいた。

 深呼吸し、心を落ち着かせていると、夜を切るように、ざあっと風の音が立った。

 ヴァンが暗闇から姿をみせる。

 

 リアはびっくりして、手摺りに手を置いてヴァンを見つめた。


「え……ヴァン?」

「リア」


 バサバサとバルコニーの前で翼を広げるヴァンは、本来より小さくなっている。

 他の人間にはみえないが、リアは念のため、辺りを見回す。人はおらず、ほっと息を零す。


「どうしたの?」

「心配で」

「心配?」

「うん。今日は、なんか運命のうねりを強く感じるの」

 

 運命のうねり……?

 

 それは何だろう。

 リアにとって、今日がターニングポイントであるのは確かだ。

 

 ヴァンはくるんと尾を回す。余り長くはここで話せない。


「ヴァン、私ね、今日家を出るわ。もう少ししたら、一緒に旅をしてくれる? 国外で落ち合いたいのだけど」

「もちろん」


 ヴァンは快諾してくれたけれど、不安そうに瞬く。


「どうかしたの?」

「ボク少しここにいてもいい?」

「でも人に見つかってしまったら、驚かれてしまうわ」

「ボクの姿はみえないから」


「──リア、一人で何を話している?」


 重たく、ひどく低い声にはっとする。バルコニーの出入り口にジークハルトが立っていた。


 久し振りに彼の姿を見、リアは息を呑んだ。

 

 お茶会では会わなかったから、花火の日以来である。

 そのときも具合が悪そうだったが、今はそのときより悪化してみえた。

 

 頬はこけ鋭利となり、双眸は異様な光を放っている。

 美貌は損なわれていないが、体重はかなりおちたように思うし、放つ雰囲気が、様変わりしている。

 昏く、苛烈だ。

 

 こちらに歩いてくるジークハルトに、リアは声をかけた。


「ジークハルト様……大丈夫なのですか?」


 そういえば……前世でも同じように、開口一番、彼にそう尋ねた。


(ジークハルト様の顔色が悪くて。心配で、会ってすぐにそう聞いたわ)


「もちろん大丈夫だ」


 彼は痛いほどこちらを見つめ、乾いた声を立てて笑った。


 大丈夫そうにはみえない……。

 

 舞踏会に出席できる状態なのかどうかも、危ぶまれた。


「……どうされたのですか」


 彼は笑いを止め、冷ややかな声で答えた。


「君に心配してもらうことは何もない」


 リアは唇をきゅっと噛みしめ、俯く。


(……そうよね。彼は、違うひとを選ぶのだもの。私のことなんて必要としていない)


「……」

 

 彼は目を眇め、手摺りに視線を流した。


「今日は風が強いな」


 ヴァンが目の前で翼をはためかせているからである。


「今、ここで君は何か独り言をいっていたが──」


 彼は腕を上げ、空に手を伸ばした。それが偶然、ヴァンの身体に触れる。

 パチッと弾けるような音がして、ヴァンの姿が消えるのと、リアが硬直するのと、ジークハルトが呻くのが同時だった。


「……う……っ」

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