第33話 近い距離

 彼とこの会話をした覚えがない。

 同じ人生でも、違うところもあって、ところどころ記憶は欠けており、薄らいではっきりしないのだ。

 不意を衝かれることはしょっちゅうで、驚くことは多々あった。

 

 彼は立ち上がると手を伸ばし、リアの顎に指を絡めた。

 彼の親指がリアの頬を撫でる。


「リア」


 視線が至近距離で絡まり合う。


「試してみないか」

「……試すって、何をです」


 彼に触れられている場所が、さらに熱を帯びる。


「オレが今言ったことをだ」


(……口づけ云々……?)

 

 彼は長い指で、リアの下唇をそっと辿った。

 鼓動が早まる。


 彼はシャープな頬を傾け、ゆっくりリアに顔を近づけた。

 

 そのとき、部屋にノックの音が響いた。

 リアはびくんと身が揺れ、吐息の触れる距離で彼は動きを止める。

 リアから手を離し、ジークハルトは睫を伏せ、椅子に掛けた。


「――冗談だ」


(冗談……)


 リアが身体を弛緩させると、彼は扉に向かって不機嫌に言葉を放つ。


「入れ」

「失礼します」

 

 茶菓子を運んできた侍女が、入室した。

 室内には微妙な空気が流れている。

 聡い侍女はそれに気づけば、丁寧かつ速やかに茶菓子をテーブルに並べて、退室した。

 リアは椅子に座り直して、尋ねた。


「ジークハルト様、体調は……」

「悪い訳ではない」


 リアはほっとする。


(でも本当に?)


 パウルのことがあり、リアはジークハルトの体調が気にかかる。

 それに緊張感と胸のざわめきがまだ続いていて、会話になかなか集中できなかった。




◇◇◇◇◇




 部屋を出たあと、リアは皇宮の書庫に行ってみた。

 ジークハルトから先程聞いたことを調べようと思ったのだ。

 にわかには信じがたい内容だった。

 

 事実なら、彼のいう本はどの辺りにあるのだろう?

 皇宮書庫は広く蔵書数は膨大である。


(魔力についてのことだから……)

 

 リアがうろうろとしていると、よく通る声が後ろで響いた。


「リア様」


 振り返るとそこに、近衛兵のローレンツがいた。赤褐色の髪に、グレーの瞳、逞しい体躯で凛々しい彼はリアより八つ上の二十三歳だ。侯爵家の令息である。

 彼はこちらに颯爽と歩いてくる。


「本をお探しですか?」

「はい、ローレンツ様」

「私も調べものがあって、ここに寄ったんです。一緒に探しましょう」


 人の良いローレンツはそう言ってくれた。


「ありがとうございます」

「いえ」

 

 彼は微笑んだ。


「リア様は、見るたびに、成長してらっしゃる。最初お会いしたときから、大人びておられましたが」

 

 彼は九歳のリアをジークハルトに引き合わせるため案内してくれたときから、リアのことを気遣ってくれていた。

 それから会えば、いつも声をかけてくれる。


「本当に美しくなられました」


 眩しそうに彼は目を細める。


「そんなことありませんわ」


 リアは少々照れる。

 ローレンツは優しく、リアの兄弟同様、女性人気が高い。

 

 そこで世間話をしていると、名を呼ばれた。


「リア」


 低い声に、びくりとして振り返る。


「ジークハルト様」

 

 彼は大きなストライドで、リアの前までやってきた。


「ローレンツと何をしているのだ?」

「ここでお会いして、お話をしていたのです」

「おまえは何しにここに?」

「は。本を探そうと……」


 ジークハルトは目を眇める。


「彼女の本探しはオレがする」


 ローレンツは頭をさげて、その場から離れた。

 ジークハルトは冷たい目で彼を見やり、壁に片方の手をついた。

 距離が近い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る