アルナルドの罠

 

 夕焼けが水平線に揺らめきながら入り行くさまは、明日からの別天地への旅立ちを祝福してくれているように思えたその夜。

 良い逃亡先はどこにしましょうか、とアイラやエイラと共に三人でサラの部屋に籠もり、計画を練り始めた時のことだ。

 祝福どころか、悪夢の到来を思わせる破裂音が船内に響き渡った。


「何?」

「確認してまいります!」


 サラの疑問に答えるように、機敏なアイラが外の扉へと向かう。

 しかし、そこは厳重に施錠がされており、外界との接触を断つがごとく、頑として開こうとはしなかった。

 エイルは扉に据え付けられている伝声管を片耳に当てて、向こう側との対話をはかろうとする。

 戻って来た返事は、「殿下より、すべての客室からの出入りを禁じるとの警戒警報と命令がでております。ここはお従い下さい」、というものだった。


 そんないきなりの警戒警報が発せられるなんて、よほどのことがあったに違いない。

 サラをチラリと見返したエイルは、主がうなずいたのを見て、所属を明らかにすることに決めた。


「この船室に乗船されているお方は、ラフトクラン王国レンドール子爵家の御令嬢サラ様です。遠くは帝室の第十四位、帝位継承者でもあらせられます!」  


 その一言を耳にしてこれまでの厳重な警備の意味を理解したのか、扉の向こうにいる情勢兵士の声が少しばかりうわずって聞こえた。


「は? ちょっ、しばし……お待ちを!」

「ねえ、どうする? 帝位継承権をお持ちの乗客だ、なんて聞いていないわよ?」


 こらこら、そんな会話、伝声管の前でするものではありまんよ。

 サラはアイラと苦笑しながら向こう側の二人の会話を楽しんでいた。


「どうしようか、船長からは誰であっても船室からお出ししないようにって厳命されているし」

「分からないわよ、下手したら殿下より上の存在かもしれないし」


 アルナルドは第六位の帝位継承者だから、私なんてはるか下ですけどね。

 サラはそうぼそりと悲し気に言い、アイラはお嬢様、しっかり? と慰めながらエイルと門番との対話に耳を傾けていた。


「船長に確認しなければなりません! それまではお待ちください!」

「……だ、そうですが。いかがなものでしょうか、お嬢様」

「ふーん、困ったものね。迂闊に出て行けば問題が起こるし、出て行かなければそれはそれで問題になりそうだし。エイル、この音はどこで起こったものか確認できる?」

「ああ、お待ちを」


 爆発音の発生地の確認。それと同時に、船のこの船団の被害予測なども、侍女はてきぱきと情報を得ていく。

 その様は間抜けにもワインをだしに使われたエイルとは雲泥の差で、それを見てサラは二度ぼやくのだ。


「連れてくるのは、姉の方だけでも良かったかもしれないわね、アイラはエサに飛びついた間抜けな狸の様だし」

「お嬢様! 狸はあんまりです! それはお姉様の方がまだ犬顔……ひっ」


 余計な無駄口を叩くな、この馬鹿妹!

 そんな視線でエイルににらみつけられて、アイラは顔面蒼白になる。

 サラにトラブルを持ち込んだ罰として、主人の見知らぬどこかの場所でエイルは妹にそれはそれは足腰が痛くて歩くのもやっとなほどの体罰を敢行したらしい。

 大人しい顔をして、最も怖いのは姉の方だと以前話していたじいやの言葉を思い出し、サラは心が冷たくなったものだ。


「アイラ。どうしてそう、懲りないの?」

「申し訳ありません、お嬢様……」

「私はいいわよ。あ、そうだ。先日のせっかんの方法を聞いて、私がやるのも面白いわね。気晴らしに」

「……悪魔が二人揃ったような気が、アイラにはしております」

「はいはい、そんなのはどうでもいいのよ。それで、エイル。どうだったの?」


 サラと妹の声がうるさいと手で合図するエイルは、門番からの報告を受けてなるほどと首を振っていた。

 どうやら、良からぬことがあったらしい。

 アイラは待機します、と言い扉から離れると海が見える窓のいくつかから、外海を窺っていた。

 そのうちの一つに、何かを見つけたらしい。

 つくづく、王室は無駄な人材ばかりを用意する! そう吐き捨てるように言った彼女をまのあたりにしたのは、久しぶりのことだったからサラはどうしたの、と聞き返していた。


「お嬢様。どうやら、あれは見送りにした方がよいかもしれません」

「あれ、ね。でもどうして? 明日にはその場所に着くというのに」

「それが……どうやら、航路は王国からの手が先に回っている可能性が……」


 サラをこちらにどうぞ、とエイルは手招きする。

 窓の外、はるかな雲間にあるそれを指さすと、少しばかり窓を開けてサラにその場を譲った。

 昼間は生暖かい海風も、夜になれば吹き荒れる一陣の冷たさを与えてくれる。

 頬が凍りそうとは大げさだが、思わずそう感じたサラは一度は窓から顔を放し、再度、侍女の指さす方角に目をやった。


「何……あの、白くも青く見えるあれは? 雲、ではないわよね、エイル」

「はい、お嬢様。あれこそ、次で乗り換えるための船――飛行船かと思われます」

「へえ……大したものだわ。あんな高いところに浮かんでいるなんて……」

「閉めますよ、冷え込みますので」


 わずかに数秒だったが、まさしくそこにあったのは、新聞などの記事に写真が載っていた飛行船そのものだった。もっとも、世界的に流通しているのは飛空艇と呼ばれる、もうすこし丁の字のようなものだった記憶があるが。


「あれを王国が寄越した、と?」


 でも、王国では空軍はおろか、王族ですらも空に関する技術を持つことを帝国から禁じられていて、天高く往くそれらを見かけたことはあっても身近に見たことすらない。王族に近いサラですらそれなのだから、アイラたちは言わずもがなだ。 


「そこはよくわかりませんが、これには関わっているようです。すでに先日、あれからの使者がこの船にやって来たのだと、先ほど聞きました」

「使者、ね。あんな天空とこんな海上の間を使者が行き来できるなんて、信じられないけど。そうなると、私を引き渡せなんて理由ではなさそうね」


 サラの意外な発言を耳にして、エイラは首を傾げた。これは自分たちを引き渡すための、アルナルドがやったことではないのかと思っていたからだ。


「それは何故?」

「だって、アルナルドが悪いことをするときは、必ず二段重ねだからよ。最初に、こっちに接触して、その裏で大きな悪事をするのがあの人のやり方だから。でも、昨日から一度もやってきてないでしょう? それにあの音はどこからしたの?」

「同じ船団の、別の戦艦だという話です、サラ様」

「やっぱり、ね。ちなみに、旗艦であるこの船は、なぜか船団の真ん中にはいない……でしょ?」

「確かに、言われてみればそうですね」

「つまり、囮を用意しないといけないことになった。ということじゃないかしら。あの飛行船の使者をうまく利用するためか、それとも――」


 生け捕るか、何か。

 ここは情勢が分からないけど、アルナルドの指示に従いましょう。

 そう言い、サラは眠たそうにあくびを一つしたのだった。                    

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